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都市部でも「限界集落」「限界集落」寸前の場所がある それも東京都23区にある


1 東京の限界集落を訪ねて 東糀谷6丁目

東糀谷6丁目が「都内の限界集落」のインターネットの記事を見て訪ねてみとうと思った

京浜急行「大鳥居」駅を降りて京急バス「東糀谷6丁目」行に乗る
都内なのにまるで三浦半島のバスダイヤ

京急バス 大鳥居バス停
東糀谷6丁目行き

本当にコレ東京23区なのか?と疑った 1時間に二本 
無事に「東糀谷6丁目」行きのバスが到着 ガラガラの車内で終点「東糀谷6丁目」に到着

東糀谷6丁目団地


バス折り返し所

東糀谷6丁目バス折り返し所には 最寄り駅の大鳥居・糀谷・京急蒲田・JR蒲田に向かう高齢者が数名待っていた

普段の買い物もバスが頼り スーパーなど これらの駅にバスで通う

車が数台通るだけの道

団地以外は工場地帯なので 日曜日はクルマが数台通る程度

旭橋へ向かう道

大きな工場の横の道を大森南へ向かう 旭橋を目標に歩く 日曜日なのか人が歩いてない
昔軍事科学の本で読んだ「中性子爆弾」を落とされた雰囲気

中性子爆弾は人間だけを殺す核兵器の一種 使う物質の半減期が短く 管理が面倒などでお蔵入りになった

SF小説の中で中性子爆弾の被爆地に調査している 陸上自衛隊の化学隊隊員の雰囲気である

南前堀公園 1
南前堀公園 2

かっては農業用水 海苔作りの「ベガ船」がひしめいていた南前堀も埋め立てられ公園になったが人っこ一人いない有り様

時より聞こえる「テレビ番組」の音が人類生存確認 やはり高齢者が多くマスゴミだけが頼り

大きな食品工場

大きな食品工場を横目に過ぎると 東糀谷と大森南の境目「旭橋」にたどり着く

2 大森南・森ヶ崎地区


新呑川 旭橋 河口側
新呑川 旭橋 上流側

旭橋を渡り大森南・森ヶ崎地区へと足を進める 多少なりともファミリータイプのマンションがあるが 空室が目立つ

新呑川から見える 大森南・森ヶ崎地区

しかし人の生気が感じられない 新呑川沿いの小道歩くがすれ違うのは高齢者ばかり

大森第一中学

若い人達の声が聞こえる スマホのマップで確認すると「大森第一中学」である

しばらく京浜運河沿いを歩く バス折り返し所と大きな病院が見える


東京労災病院 1
東京労災病院 2
京浜急行バス 森ヶ崎折り返し所

東京労災病院である この辺は工場労働者が多いのでケガなどが多く労災病院である

森ヶ崎温泉(鉱泉)が出てきて 明治から第二次世界大戦前の頃は 横浜の綱島と並ぶ保養地で 鉄道開業でしばらくたって「川崎」「大森」などの駅も開業 大師電気鉄道も開業して地元のお金持ちが大森駅・梅屋敷駅から馬車を走らせた


森ヶ崎鉱泉 記念碑
効能を彫った感謝の碑
解説板

東京労災病院近くの「大森寺」にその記念碑がある

関東大震災後は馬車が自動車に変わり「梅森自動車」でバスを運行した
(京浜急行に買収されて現在の京急バスの路線)

近くの「東京労災病院」も 鉱泉があった頃は 湯治場の温泉病院があった記録もあるのでその流れみたいだ

近くに「森ヶ崎公園」があるので そこで大休止・昼食である


戦前の飛行機空中衝突 墜落の解説板
森ヶ崎観音堂

「森ヶ崎公園」での大休止を終え森ヶ崎観音堂へ向かう ここは戦前に練習機と訓練飛行の旅客機が空中衝突をして70人近い死者を出した大惨事の跡である

詳しい事は「大森航空機空中衝突事故」でWikipediaに任せて 大森東地区へ足を進める

盛平商店跡

寂れた商店街の入り口に 「森ヶ崎鉱泉」の時代は料理店だった「盛平商店」は蕎麦店で経営していたが 現在は閉店して老人保険施設になっている

少子高齢化の波は情け容赦なくここにも来てる

大森南・森ヶ崎地区 1
大森南・森ヶ崎地区 2

ここも先ほどの「東糀谷6丁目」地区同様 休日のせいなのか子供はおろか 人すら歩いていない

かろうじて「洗濯物」「テレビ番組の音」が人類生存確認の手段

日曜日の午後だったので「新婚さんいらっしゃい」のテレビの音 洗濯物も高齢者の物

歩いている自分ですら「ここは本当に東京23区なのか?」「それとも別次元の世界」なのかと思った

3 大森東地区

旧呑川緑道に出る 海苔作りが盛んで 昔は大森は海苔の名産地であった

旧呑川緑道の説明板

説明板には 海苔作りが盛んな頃の絵(海苔干し)と旧呑川に並ぶ「ベガ船」が描かれていた

そこを足早に通る 個人的理由で近寄りたくない「家」がある

気の早いソメイヨシノが咲いていた 避難橋を目指して足早に歩く

やたらに人なつっこい柴犬

やたらに人なつっこい柴犬に出会う 飼い主さんも獣医さんに「すごく珍しいフレンドリーな柴犬」と言われたそうだ

日本犬は飼い主さんと家族以外なつかない特性がある 珍しい日本犬である

避難橋手前の町工場

廃業したみたいの町工場がある 町工場も海外との競争力激化と 後継者がいないので廃業する事業者も多い

大森東避難橋

大森東避難橋を渡り昭和島に 暖かいが風はまだ少し冷たい

五位鷺 ゴイサギ

ゴイサギが羽を休めている サギといっても「オレオレ」でなく 鳥の鷺である

昭和島から見る 大森東地区

自分の中で「フィリピン マニラ」の光景がダブった 川を挟んでドントのスラムの光景である

産業空洞化 少子高齢化 後継者と この国の問題がこの3地区に横たわっている

まだこの国は経済的に豊かだから「スラム街」にはならないが 一歩踏み外すとスラム街になる可能性がある

フィリピンのドントスラムは子供が多いが この3地区は子供の姿を見ない 森ヶ崎公園と昭和島ぐらいである

少子高齢化の違ったスラム街になる可能性をはらんでいる

東京モノレール 昭和島駅

まだ大森東地区は歩いて数分に「東京モノレール 昭和島駅」の鉄道インフラがある

コレを生かせれば魅力ある街になる 浜松町・大門の都心の駅に直線出られる いい交通機関なのにコレを生かしきれてない

確かに料金は割高だが 1時間に2ー3本程度の京急バスと 最寄りの京急駅・JR駅からの料金と大差無い

都心方面には有用な交通機関である

4 結び

東京ディープ・とある新聞で多少話題になったが まだこの問題はそんなに広がって認知されてない

それにこの辺は個人的理由で近寄りたくない場所であった 小中学校時代「いじめ」にあって自分にとって暗黒時代だった

寂れてしまった商店街で物を買うと 店の人が毒親に告げ口する 旧ソ連邦や北Kみたいな場所である

ムラ社会が極まっている

田舎も都会も「限界集落」への道は 少子高齢化による異様な「ムラ社会」の形成 交通機関のダイヤの減便による外界との遮断
そして買い物難民の形成と 田舎も都会も「限界集落」への道を進む

ここで終わりとしよう

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