羽村の民家「旧下田家」
羽村市羽西1丁目13番地3号(現所在地より2キロほど北)にあった下田季吉氏の家を譲り受け、昭和57年(1982)3月に現在の郷土博物館の敷地に移築復原されました。
記録によって、弘化4年(1847)に建設されたことが明らかになっています。
四ツ間に改造して使用していましたが、移築にあたり当初の広間型に復原されたものです。
入母屋づくりの茅葺民家で、この地方の一般農家の姿をよく示しています。
当家で使用されていた生活用具と建物の1,210点が「羽村の民家(旧下田家)とその生活用具」として国の文化財指定を受けました。
1210点の内訳は以下の通りです。
衣生活33点、食生活144点、住生活23点 農耕38点 漁撈17点 養蚕538点、紡織139点 諸職30点、交易15点、信仰302点 民俗知識35点、その他22点。
管理人さんが在所しており、囲炉裏で火を熾しています。
またたく間に、家中が烟でいっぱいになりました。天井も柱も煤で真っ黒です。神棚のだるまさんまで真っ黒。
随分広い。
「豪農ですか?」と尋ねると、
「いや、ごく一般的な農家ですよ」という管理人さんの答え。
「何人で住んでいたんですか?」
「6人です」
昔のほうが広い家に住んでいたんですね、庭だって広々しているし。
<間取り>
<調理用具>
「流し」
「瓶(かめ)」梅干しを入れる。
「徳利」菜種油用。
「水瓶」調理のときに使う水や飲料水を溜めておく。
「水嚢」うどんや団子を掬う。
「柄杓」
「お玉」
「しゃもじ」
「三段式しゃもじ差し」
「かまど」
「蒸籠(せいろ)」
<雨具>
「箕」
「菅笠」
「箒」
「桑の実かご」
<製茶道具>
「焙炉」茶の葉を茹で、 日に干したあと、焙炉にかけて 炙ります。
「臼」
管理人さんが「回してみていいよ」とおっしゃってくれたので、回してみました。
『日本山海名物図会2』
<機織り機>
「ハタアシ」いわゆる「高機」のこと。地方によって「ハタシ」「オバタシ」「タチバタ」などと呼ばれていました。
この家では昭和30年まで機織りをしていたそうです。
<庭>
「お風呂」竹簀子床に、桶を1つ置いただけのお風呂。
下にはもう1つの桶があり、流した水を溜めています。
生活汚水は、今のように科学薬品が含まれず、栄養価の高い良い汚水でした。
この水を庭に撒いて、花を育てたりしていました。
エコが徹底していましたね。
「縁側」
いい感じ〜。
私が子どもの頃は、上の乳歯は縁側の下に、下の乳歯は屋根の上に投げて、「ねずみのように強くなあれ」と言う習慣がありました。
結婚して以来、マンション暮らしなので、娘にはこの言い伝えは継承されませんでした。
娘たちの乳歯は乳歯ケースの中に保存されています。
これら民具は、購入したもの、手作りしたもの、譲り受けたもの、配給されたものなどがあり、下田家の男子が器用で大工仕事が好きだったことから、自家製品が多いのだそうです。
ここを出てしばらくしても、服から煤の匂いがしていました。
カバー写真:筆者撮影
<参考資料>
羽村の民家(旧下田家)とその生活用具ー民具編ー
羽村町教育委員会 昭和59年
国立公文書館デジタルアーカイブ
https://www.digital.archives.go.jp/img/4187115
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