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ずっと図工がスキでした。

noteを始めて、自分がどんな人間だったか、思い返すことが多くなりました。
あとは娘の気持ちを想像する時、幼少期の記憶を辿って当時の気持ちを思い出します。
私が思い出せる一番古い記憶は、2歳頃の記憶です。

図工がスキな理由

今日は図工がスキだった理由を思い出します。
今考えられる理由は、
答えが決まっていないから。
自分で思ったことを自由に表現できるから。

そんな自由なステージでも、ショックな出来事もありました。

“らしい”って何?

保育園児の時に、“将来の夢”を絵で描くという課題がありました。

周りの女の子たちは、お花屋さんやケーキ屋さんが大半。隣の子の絵を見て、同じ絵を描くような感じで、ほぼ二択。

私は将来なりたいものはなかったので、その時描きたかったものを描きました。
描いたものは、小学校の校舎。よく学校のイメージ図で見る感じのシルエットです。

絵優先で、将来の夢は、学校の先生ということにしました。(一度もなりたいと思ったことはありません。)

私の絵を見て、担任の先生に言われたこと。
「子どもらしくないから描き直しなさい。」

なぜ?
好きなものを描いていいのでは?
子どもらしいってなに?

理解不能でした。
(当時は)保育園では先生は絶対的な存在で、嫌だ!と言い返すことも出来ず、悲しい気持ちになりました。

校舎の絵が気に入っていたので、描き直すことはどうしてもしたくありませんでした。
そこで子どもながらに“子どもらしい”を考えました。

当時の私のベストアンサー
『空白部分に“太陽”を描く』

私が譲らないのもあり、先生は仕方なく、文集にその絵を載せてくれました。

こんな出来事は小学校に行っても、多々ありました。。。
大人のカタにはめられると、とても辛くなり、好きだったものも嫌いになってしまいます。
(結局、中学校の美術はつまらなくて、嫌いになりました。)

神様を見つけた


ずっと図工がスキでいられたのは、認めてくれる先生がいたからです。
高学年になると図工専門の図工の先生が教科を担当します。
その先生がとっても、良かった。
私にとっては学校の神様でした!

大きなテーマはあるものの、細かいことは本人に任せる、といった方針で、私は水を得たサカナのように、やりたいことをやりたいようにしていました。
絵の具を洗うのが嫌いだったので、パレットは使った絵の具が残ったまま。学校の神様は、「それでもいいよ!」と言ってくれました。
私は毎週、カピカピに乾いた絵の具に水を混ぜて、絵を描きました。(残った絵の具を流してしまうのが、もったいないという気持ちもあったと思います)

そして、
学校の神様は、とてつもなく絵が上手かったです!尊敬!尊敬!尊敬!
工作、裁縫、陶芸、なんでも上手かったです。

5年生の時の『正面の席の人の顔を描く』という課題では、私の作品が学校の神様のツボにハマり、大変褒めてもらいました。今でも嬉しい、自慢な出来事です。
25年近く経ちますが、その絵は図工室の壁に、まだ貼られていると思います。いつか確かめに行けるといいな。

あなたの恩師は誰ですか?
と聞かれたら、私は学校の神様を選ぶと思います。

あの時、認めてくれて、ありがとうございました。

こんなに鮮明に、
嫌だった記憶と嬉しかった記憶を覚えてるのに、なんで大人になると子ども目線、忘れちゃうんだろう。

母の来年の
課題と期待にいたします。

こんな絵を描いたんだと思う。

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