私のために嬉し泣きしてくれる人、人生で何人会えるだろう。
よく思い出す光景がある。
ワンワン、号泣している女性の姿
私は、その女性の向かって右手側、出席者の群れの中で大人しくパイプ椅子に座っている。
その女性は、来賓席。
ハンカチで涙を拭いてはいるが、拭ききれてない。
大人があんなに泣いてる姿、滅多に見ない。
空気を読める人なら、なぜ泣いているか触れてはいけないんだろう…と察する。
まだ、式典も始まる前のゴチャゴチャした中、人目を気にせず、女性は泣き続けていた。
コレは、数年前の
『成人を祝う会』で見かけた光景。
号泣していた女性は、
特別支援学校の教員で、
成人を迎えた新成人の学生時代の担任の先生だった。
あの○○さんが、新成人になるなんて…
と嬉しさのあまり、号泣し続けていた。
涙の正体は、“嬉し泣き”
「熱心な先生だね」
と一言で終わる光景だったかもしれない。
でも私には、「羨ましい」という感情が胸をいっぱいにしていた。
20歳を迎え、新成人になれたことを泣いて喜んでくれる担任の先生。
私にはそんな恩師はいない。親だって泣いてくれるか分からない。
嬉し泣きしてくれる人に出会えている、新成人の人生が、羨ましく思えた。
そして、号泣できる先生のことも羨ましく思えた。
私の人生で
誰かのために泣くこと、
私のために泣いてくれること、
そんな経験は無いに等しい。
ましてや嬉し泣きなんて。
人生の豊かさは、何ではかれるのか。
はかる必要も、人と比べる必要も無いけど、
なんだか羨ましくて、なんだか嫉妬してしまった。
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