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応援する、お世話になる。


娘愛用の“黄色い遮光レンズの眼鏡”
よく似合ってる。アラレちゃんみたい。

お気づきの方もいるかもしれませんが、PiOPiOのアイコンは、娘をモデルに描きました。
黄色い遮光レンズは、友人KOJIKOJIがいい感じの色合いに調整してくれました。
2人の合作です。

さすがのKOJIKOJI。イメージ通りの黄色。

この素敵な眼鏡を調整してくれている、視能訓練士さんがいる。

この視能訓練士さんに出会うまで…
娘は「光しか認識できない」「眼鏡をかけても効果はない」と診断されていた。数人の眼科医を受診したが、治療をしてくれる眼科医は見つからなかった。

“経過観察”の予約を取るようにだけ言われる繰り返し。

一緒に生活している私の感覚では、目は見えているし、物も認識している。
誰が来たかも判別して、ちゃんと顔も認識している。

ソレが伝わらない診察室。。。
この一方的な診断の中で、親がどこまで何を言えばいいのか。
理解のない医師に、形だけの治療を受ける。それでは意味が無い。

良くなるかもしれない、と一緒に考え悩んでくれる人でないと意味がない。
医師の立場から、“かもしれない”レベルの治療はしてはいけないことかも知れないが、世の中で分かってることの方が、私は少ない思っている。
奇跡が重なって、命が助かった娘にとって、“かもしれない”レベルでも十分な高確率だ。
何事もやるだけやりたい。

この怒りに似た感情を抱えながら、娘に眼鏡を作ってくれる理解者を探していた。
そんな時に、視能訓練士さんに出会えた。

初診の待合室、
良い治療が受けられる!というドキドキとワクワク。それと同じくらいの不安…また眼鏡をしても意味が無いと言われるかも。
今回の出会いは、どちらに転ぶのか…とても緊張していた。

診察室に入った瞬間、

「よく、見えてますね」と一言。

やっと報われた。
あれ?涙が。
目からこぼれないようにグッとグッと平然を装う。

その後も治療は順調。
眼鏡のおかげで娘の表情は激変。
知的面もグッと伸びている。
正しく見えるって生きてく上でとても大切。
決して後回しにしてよい、治療ではない。

娘の見えなかった目を、
“見えている”と証明してくれた視能訓練士さん。ありがとうございます。

そして、
今の娘が、視能訓練士さんにできること。

『色付きの遮光レンズ』と『斜視治療のためのプリズムレンズ』が効果があるという証明。

娘が眼鏡をかけている写真は、その証明になっているらしい。

百聞は一見にしかず。


視能訓練士さんから、
「娘ちゃんの写真を見ると、眼科医や研究者、色付きレンズを嫌がっていた保護者も、効果があることを納得してくれて、話がスムーズに進むようになった。
これからも私の治療を応援して下さい。」
と言われた。

応援される側だと思っていた娘は、ある時から応援する側にまわっていた。

お世話になってばかりの医療に対して、誰かのお役に立てる日が来るとは。。。
娘のためにも私のためにも、諦めなくて良かった。



受診のたびに、

黄色い遮光レンズをかけた笑顔の娘を、スマホで連写するのが恒例になっている。

「この写真は、希望の写真です!」

と、真面目に言う視能訓練士さん。
親バカな私たちは照れながらも、娘を誇りに思う。

手話で、
『応援する』と『お世話になる』は、
手のひらを押す方向が、自分側か、相手側か、の違いと教えてもらった。
軸は一緒で、どっち側に押すかの違い。
お世話になってると思っていても、知らないうちに誰かを応援していることもあるのかもしれない。

娘と視能訓練士さんの関係に似てるな。

いつかの誰かのために、今があるのも幸せです。

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