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忘れない きっと ずっと

ポーちゃんを見送って、ひと月が過ぎた。ふとした時に、小さいことを思い出しては涙ぐんだり、スマホに保存してある写真を見てはため息ついたりしている。引き出しの中から、写真館で写した自分とポーちゃんの写真を見つけて、声を上げて泣いたりもした。
一方では、努めて家に篭らないよう、日に一度は散歩に出るようにしている。思えば、昨年一年は、ほとんど散歩に出なかった。ポーちゃんが歩けなくなってしまって、一人で散歩することに抵抗感があったからだ。ポーちゃんを置いて、自分一人で出かけることに罪悪感みたなものがあったのかもしれない。

ポーちゃんとの出会いは、18年前の秋の日の夕方のことだった。中年にさしかかり、健康のためを考えてウォーキングを始めて数年経った頃だった。ウォーキングの途中で、小学生らしい女子二人が自転車を止めて何やら困った様子でいるところに通りかかった。声をかけたら、「あれ……。」と指をさした先の草むらに、子犬がいた。
メスの子犬が一匹だけで箱もタオルもなく直に草むらに捨てられていた。これは、捨てた人間が、カラスや野生動物などに殺されてもいいという意図を持って子犬をここに捨てたということだ。郊外の原野が近い場所なので、カラスや狐などがいることは自明だったからだ。
私は、その子犬を家に連れて帰り、土、日と二日にわたり世話をして、月曜日に保健所に連れて行った。可愛かったことはたしかだが、一人暮らしの自分には、飼うことは無理だろうと考えたからだ。

「だってね、この子と目と目が合っちゃったんだもの。」
昔、母が子犬を拾ってきた時の言葉だ。念願の一戸建てを得てわずか2週間くらいの頃だった。母が用事を終えて、公園の噴水のところに差し掛かった時に、誰かがジーンズのサロペットの胸ポケットにその子犬を入れて、引き取ってくれる人を探して立っていたのだそうだ。
母は農家の出なので、育つ環境の中に常に動物がいた。収穫物をネズミから守るために猫を飼っていたようで、よく、猫との思い出を聞かせてくれた。ひそかに、家を建てたら、犬を飼いたいと思っていたらしい。父は逆に育つ中で動物と触れ合った経験がなく、どちらかといえば、犬を飼うことには反対だった。だが、母の実力行使で、結局飼うことになった。
母は、その子犬に『チロ』と名付けて、犬小屋を居間の窓下に置いて、外飼いすることにした。父は、飼うことになってもやはり反対だと言って、「俺は世話しないからな。」と宣言していた。後にその宣言を自分から反故にして、父は散歩係になった。
私が就職して実家を出た後、チロが14歳の犬生をまっとうした時、母親はものすごく落ち込んでいた。私自身は、仕事の忙しさで、チロの死に目には会えずに終わった。

結局、私も拾った子犬を一度は保健所に連れて行ったけれど、もし引取り手がなければ処分されると聞いて、いても立ってもいられなくなって、再度引き取りに行った。そうして、ポーちゃんと私の暮らしが始まった。
3歳になるまでは、壁やカーテンをかじったり、ドアの取っ手をかじったり、やんちゃな振る舞いが多かったが、年を経るごとに落ち着いて行った。また、玄関横に柵を設置して、そこで遊んだり過ごしたりすることもあった。一度、宅配便の方に、「おうちに人がいる時の方が、すごく吠えるんですよね。」と言われたことがあった。ポーちゃんなりに、私と家を守らなきゃという気持ちがあるのかなと思い、犬らしいなと感じた。

ポーちゃんが、最初の年から外耳炎や皮膚炎になり、年を追うごとにひどくなって行ったのが、7歳までの間だった。強いステロイド薬を飲んでも、なかなか皮膚の炎症は治らず、薬の副作用だけがひどくなった。評判を聞いては違うクリニックに行って、結局5人目の獣医さんにようやく診断してもらうことができた。人間で言えば、アトピー性皮膚炎で、アレルギーの原因は食物、接触する植物、吸い込む花粉やほこりなど、特定はできないとは言われたが、血液でのアレルギー検査の結果、キク科やナス科の植物、穀物への反応が強く出たので、避けた方がいいということだった。フードも、同じものを続けるのではなく、何ヶ月かおきにローテーションしてメーカや種類をかえることを勧められた。同時に、炎症や痒みを抑えるために、免疫反応そのものを抑える薬を飲むことを勧められた。全くゼロになったわけではないが、その薬が、ポーちゃんの皮膚炎を劇的に楽にした。

ポーちゃんと一緒にお散歩する中で、いろいろな人に出会った。お散歩デビューした頃に、よくおやつをくれた年配の男性。「(自分のところの犬が)死んじゃったんで、おやつが余ってるから、こうして持ち歩いて散歩してる犬にあげてるんだ。」と言ってた。今ならその気持ちがよくわかる。
近所に住む犬好きの方。この方は、ポーちゃんよりも先に他界された。おやつをくれたり声をかけてくれたり、とにかく可愛がってくれた。私が外出中に、外の遊び場から出てしまった時も、その方の家のドアのところに座っていたそうで、車が多い通りに出ないで済んだ。ポーちゃんがそこまで懐いたのが嬉しかったらしく、何度もその時のことを話してたな。
その方がご存命だった最後のあたりで、窓を開けてポーちゃんにおやつをくれたことが何度かあった。その思い出がポーちゃんにもあったようで、その方が亡くなった後もその窓下から見上げてしばらく待つような探すような行動をしたものだ。そんなことがあったご縁で、その方の奥様もポーちゃんのことをとても気にかけてくれた。

ポーちゃんが永遠に生きると思っていたわけではない。いつかはお別れする時が来るのはわかっていた。だけど、ポーちゃんがそばにいないということが、こんなにも辛く悲しいことだとはわかっていなかった。
それでも、ポーちゃんのことを知っている人や可愛がってくれた人とちょっとした言葉を交わすことが、どれほど慰めになるか。その人たちとポーちゃんの思い出を話すだけでも、どんなに癒されるか。大事な存在を失った時、悲しいけれど思い出して語り合うのは、残された者が立ち直るために必要なことなのかもしれない。
これからしばらくは、散歩中に、犬と飼い主さんに会ったら、ポーちゃんを思い出して涙出てくるんだろう。どんなに時間が経っても、きっと忘れることはできない。

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