幼子は色彩のブルースを口ずさむ

「すごいもの聴かせてやるよ」

小さい頃、父は決まってそう言ってカーステレオから曲を流した。はじめて聴く音たちは車内を非日常へと彩り、走るたびにガタンガタンと揺れる古いミニクーパーを異世界へと吹き飛ばす。
『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』で大滝詠一の1969年のドラッグ・レースが流れ出して、まる子を乗せたロールスロイスがライムグリーンの煙をあげながら道も河も走り抜けて空を飛んでいってしまったのと同じ。どこまでも行けそうと夢を見る。
あのときの目から星が零れ落ちたような感覚はいまだに残っている。残っている、正確に言うなら'思い出される'のほうがいい。知らない音に出会うたびにその感覚が身体の中で目を覚ます。
でも、長い間忘れていたこの感覚をまた思い出すようになったのはここ1、2年のこと。音楽の聴き方がガラリと変わったと自分でも思う。長い時間をかけて蓄積して'当たり前'として化石になりつつあった音楽を掘り起こしている、いまはその途中なのかもしれないと。

小さい頃から我が家ではよく音楽が流れていた。仕事や家事の相棒にリビングで母が流していたもの、父がいたずらを教えるようにカーステレオから流したもの、音楽番組から流れる当時の流行りのもの。
わたしはよく歌い、よく踊る子どもだったらしく、それらの曲に飛び跳ねながら合いの手を入れていたという。特によく口ずさんでいたのが、EGO-WRAPPIN'の「色彩のブルース」だったそう。言葉の意味もわからずたどたどしくあの甘やかなメロディーをなぞっていた。なんともちぐはぐで滑稽な光景だ。でも、自分にも覚えていないだけで無邪気な時期があったことを知ると何故だか少し安心する。

閑話休題。

ほかにもお気に入りだったと例に挙げられたのが、UA「情熱」,電気グルーヴ「ポケットカウボーイ」,RIP SLYME「BLUE BE-BOP」,KICK THE CAN CREW「地球ブルース〜337〜」,スネークマンショー「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」,RHYMESTER「肉体関係part2」,Dimitri from Paris「Love Love Mode」,Cornelius「DROP」,夏木マリ「ミュージシャン」

R&B、ジャス、テクノ、ヒップホップ、実験音楽、エトセトラ。驚くほどいまと趣味が変わっていないなと正直笑ってしまった。

変わっていない、それが実はようやく始まりに戻ってきたのだと気が付いたのはごく最近のこと。いま久しぶりにnoteを書いたきっかけのひとつでもある。
知らない音を巻き込みながら輪を広げて最初のときめきへと帰ってきた。わたしの「好き」をかたち作った音たちと再び巡り会うことで、音楽は味気のない日常を別世界へと簡単に変えてしまうスイッチであることを思い出した。指一本で電車を海中に変えることも、自室のベッドを月の向こう側へ吹き飛ばすこともできる。あの頃よりもたくさんの音を知ってわたしはもっと色んな場所へ行けるようになった。そして音の数だけその行き先も無限であるとも知った。

このことに気が付けたわたしはきっと無敵だ。いまのわたしの目から零れ落ちる星たちは、あの頃よりも大きく瞬いている。

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