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【夏休みに読みたい本『りんごの木を植えて』】自作を語る~りんごの木を植えながら──大谷美和子

りんごの木を植えて』は、がんの再発がわかったおじいちゃんと過ごす家族の日々を、小学校高学年の少女・みずほの視線で描いた創作児童文学です。
大好きなおじいちゃんとの日々は、亡くなってからも心の中できらきらと輝きつづける。悲しくさびしいけれど、胸の中に満ちる幸福感。全国学校図書館協議会による2021年の「第54回夏休みの本(緑陰図書)」にも選ばれました。
子どもたちだけでなく、大人にも、心になぐさめと希望を与えてくれる物語です。note読者のみなさまにぜひ読んでいただきたい1冊です。
夏休みに向けて、作者の大谷美和子さんに作品への思いを書いていただきました。

書影

『りんごの木を植えて』あらすじ
みずほは小学5年生。2世帯住宅で暮らす大好きな祖父にがんの再発がわかった。しかし、祖父は「積極的な治療」はおこなわないという。
ある日、「たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日わたしはりんごの木を植える」というマルティン・ルターの言葉を、祖父がみずほに語る。「明日世界がなくなるとわかってるのに、そんなむだなこと、なんでするの?」とみずほ。どうしても理解できない。
がんを身体にかかえながらも、大好きな絵を描き、庭仕事をして毎日をのびやかに暮らす祖父。そして祖父や家族と語り合う時間のなかで、みずほは「おじいちゃんの生き方」を見つめ……。「人間が生きること」そして「死ぬということ」を考える珠玉の物語。
大谷美和子(おおたに・みわこ)
1944年、福岡県生まれ。『ようこそスイング家族』(講談社)で日本児童文芸家協会新人賞、『きんいろの木』(講談社)で野間児童文芸新人賞、『またね』(くもん出版)で日本児童文芸家協会賞受賞。ほかの作品に『ひかりの季節に』『わが家』(ともに、くもん出版)、『愛の家』(国土社)などがある。

子どもの頃から問いかけてきたこと

私は子どもに向けて書く、という意識があまりないのです。児童文学の世界にまぎれこんだのも、たまたまというだけで、子どもや児童文学が何よりも好きと言うのは口ごもってしまう、ふとどき者の書き手です。
でも、そのようないいかげんさで始めた創作活動ですが、気がついたら44年が経っていました。その間、いつも子どもに怖れを抱いてきました。
子どもはわかっている、直観で見抜いている、という怖れです。

大谷美和子さん写真

▲大谷美和子さん

私は書く事は子どもの頃から苦になりませんでした。読むことも大好きでした。自分の思いなどをうまく話すのは苦手でしたが、それを書く事ならできるように思っていました。

子ども時代のことを思い返すと、おとなたちの人間関係における確執や、子どもに対するおとなの欺瞞、出会いや別れなど、「なんで?」と思いながらも、聞いてはいけないことだと口にしませんでした。それでもなんとなく勘で受け止めていたことは、あまり外れていなかったと今さらながらに思います。
それら感じたこと知りたかったことは、本質的なことであったと、年を経るごとに気づきます。

例えば、生まれてきた者は死ぬ存在である。なぜ必ず死ぬのに、生きなくてはならないのだろう、とかいうことです。

子どもが「死」を日常的に大人に尋ねたり、語ったりするのは、タブーだった気がします。それはいまでもそうかもしれません。でも身のまわりでは「死」は起こります。
それで、児童文学の書き手となってから、そのことを直接的にも間接的にも問いかけてきたように思います。意識してそうしたのではなく、子ども時代から引きずってきたものが背中を押す、とでも申しましょうか。

子どもは知りたがっている

生と死をテーマにした作品は『りんごの木を植えて』で4作目です。このテーマで最初の『またね』(くもん出版)が26年前になりますから、けっこう私もしぶとい。

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▲「生と死」をテーマに大谷さんが紡いだ4作


この4作は、もとくもん出版の編集長で現在はフリー編集者の長谷総明さんが引き出してくださいました。編集者さんって、ほんとうにすごいです。作家が気づいていない心の奥底にあるものを明るみに出してカタチにし、それを求める読者のみなさまに渡してくださる仕事です。

「死」を考えるということは、「生きること」になります。きっと子どもの私は「どのように生きていくのか? 生きたいのか?」を、幼いながらに思っていたのでしょう。
そんな難しいことを児童書で、と言えなくもないのでしょうが、子どもは知りたがっている、と思って書いてきました。

長い間書いてきて気づいたことは、子どもと老人は近しい、ということでした。子どもはこの世に来たばかり、老人はこの世をもうすぐ去る。
子どもは来たばかりで、まだいろいろなこの世の知恵がついていません。老人は長年生きてきてたくさんの知恵がついていますが、面倒だったり、この先のことを考えて、どうでもよいものは捨てていきがちです。どちらもシンプルな状態なのではないでしょうか。
子どもの読み物とされるものに老人と子どもが登場するのは、たがいが近しいからではないかと思うのです。だから老人と子どもはわかりあえる。私はそう思います。

『りんごの木を植えて』で描きたかったこと

さて、『りんごの木を植えて』ですが、舞台は私のよく知っている場所・大阪府南部。登場人物は2世帯住宅に住む家族。これはモデルもなく、すべて創造した人物。
ストーリーは、おじいちゃんのがんの再発から死までの家族のようすを、主人公の小学校高学年の少女・みずほの視点で追います。

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▲物語のはじまりは、おじいちゃん、おばあちゃんと、
みずほたち家族の「いっしょごはん」のシーン

よくあるお話です。病気の家族をあたたかく支え、絆を深める美しいお話になりがちです。それも悪くはないと思います。
でも、私はそれを描きたいのではありませんでした。生きる意味と、死のあとも親しい人の中で生き続ける、ということを具現化したいと思ったのです。

これはいろんな方が話したり、書いたりされています。私は私のやり方で、とわりあい気負わずにはじめました。
病気や治療方法などはそれぞれの考え方があり、これでなくてはならないとかは言えないと思います。積極的にできるかぎりの治療をし、少しでも長く生きることを選ぶ人もいれば、そうでない人もいます。

私は自分がこのような状況になったら、どうしたいかをも考えましたが、それ以上に、このお話のおじいちゃんという人物の人柄、来し方、価値観を考えると、日常をこれまでと同じように慈しんで生きていきたい、と「生」の質を選ぶと考えました。
というよりおじいちゃんはそう主張したのでした。おじいちゃんは積極的な治療を選ばなかったのです。

ちょっと話は逸れて

ところで、「がん哲学外来メディカル・カフェ」ってご存知ですか? がんになってから病気のことは医師に相談できても、不安や心配事など個人的な悩みは多忙な医師には打ち明けるのを遠慮してしまう方も多いようです。
そこで、グループでお茶を飲みながら安心して語り合い、それぞれの生きる目的を見出していただく場として作られたのが、このカフェです。現在では、日本中に200か所ほどあります。

私もおよそ1年前から毎月一度、教会のカフェでスタッフをしています。

「赤い屋根」3か月予定

▲大谷さんがスタッフをつとめる、
がん哲学外来カフェ「赤い屋根」のちらしより


いつも思うのは、人間は強い、どのような状況になっても生きようとする力が備わっているということです。
一人では難しくても、聞いてくれる人がいて、支えてくれる人がいると生きていける。そう思えるようになりました。

ちらし

▲「赤い屋根」の活動は、地元のミニコミ紙でも
大きく紹介された

本を読むことは、もうひとつの人生を生きること

本を読むということもそれに似た作用がありはしないでしょうか。現実では一回きりの人生しか生きられず、たくさんの人と出会うといっても限界があります。
でも読書は、時代や民族、地域を越えて見知らぬ人の人生の伴走者になれます。今まで知らなかったことを我が事に重ねて考えてみたりもできます。それって、経験になりますよね。自分の中に残ります。
私にとって物語を書く事は、もうひとつの人生を生きることでもあります。ちょっと「ええカッコ」しているみたいですけれど、本音です。照れますが。

現実の話になりますが、最近は自宅で最期まで過ごすか、それとも病院や施設でかと話題にのぼることがあります。
この作品のおじいちゃんと家族は、自宅での最期を選びました。これがベストと言っているわけでは決してありません。実際わが家では夫が有料老人ホームで、母はグループホームでお世話になって亡くなりました。

けれどこの2、3年の間に、私の周辺で4人(独居1、老夫婦のみ3)のがん患者さんが望んだように自宅で最期まで暮らしました。そのために専門職の方々が入れかわり立ちかわり支えました。これまでの生活の場で愛する人やモノに囲まれて、これまで通りに暮らしたのです。
病気ではあったけれど病人ではなかったとも言えます。世の中は悪くなった部分もたくさんありますが、このようにして社会的な制度が整ってきつつあるのも確かです。これは希望につながりますね。

この方々の死は作品の中には取り上げていません。ただ仕上がってから、この中のおひとりが元気だったころに話された言葉が、おじいちゃんの言葉となっているのに気づきました。

「さきにした約束を守らなあかん。約束いうもんはそういうもんや」

作品では、先に遊ぶ約束をした友だちでなく、別の友だちのところへ遊びにいこうとしていたみずほに、おじいちゃんが言った言葉として出てきます。
これって、その人から受けた言葉が私の中で生きて影響を与えているということです。

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▲「さきにした約束を守らなあかん。約束いうもんはそういうもんや」
(左ページ8行目)

白石ゆかさんの素敵な表紙絵と挿絵で『りんごの木を植えて』は世の中に出て行きました。
読んでくださった方の感想は、76歳の私と同じような年齢の方からのものが多かったのです。最初に申しました「子どもと老人は近しい」を証明してくださったようで、うれしくなりました。もっとも私自身は老人という意識があまりなく、可愛げも皆無なのですけど。

児童文学は子どものための読み物、と言い切るのではなく、いろんな世代の人に読まれることを願っています。
高齢の方にとっても活字は大きくゆったりと組んであり、ストーリーはめちゃめちゃ複雑でもないし、なにより挿絵があって、ホッとひと息ついたり楽しんだりもできます。
20代、30代の方々には、忙しさの中で見失いがちな、ついこの前までの自分、まっすぐでひたむきだった姿に出会うことにもなるように思います。

児童文学は希望の文学とも言われます。実際に、人が精一杯生きる物語というのは、読み手に勇気や希望を与えてくれます。だから、児童文学が「みんなの文学」になってほしいと願います。

さて、これから夏本番。そして、夏休みは心身の解放のとき。
毎日、決まったスケジュールの中で、目標に向かって頑張ることを強いられている子どもたち、そしておとなたちも、制約を少し解かれて、のびやかに過ごすことのできる期間です。
その中に、読書という遊びも入れてほしいものです。そして、みずほやおじいちゃんにも出会っていただけると、うれしいのですが。

夏休みを過ごす子どもたちとおとなたちの心に、生きる力が強く湧き、「今」を生き生きと過ごせますように。