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『ワンダー・ワンダー・ワールド』第一回 <00,01,0A>

虻川枕さんの幻の1.5作目『ワンダー・ワンダー・ワールド』第一回公開です。公開の詳細や意図については、下記記事をご覧ください。

<『ワンダー・ワンダー・ワールド』あらすじ>
VR化されたインターネット空間・VRアースの世界をぶらぶらと彷徨う、自称底辺ユーチューバー集団の《ワンダーフールズ》。彼らがこの世界で行ったライブ配信は初回こそ低空飛行だったが、その最後に奇怪な人影が映る怪奇現象が確認されると、あれよあれよという間にメディアを席巻する時の人となっていく。やがてこのVRの世界を脅かすコンピュータウイルスを撒いたサイバーテロリスト《ノーネーム》を探す冒険へと変わっていく彼らのライブ配信は、VRアースの創始者《ダグラス》、延いては配信を眺める《視聴者たち》をも巻き込み、巨大なムーブメントに。
しかし、彼らの配信が注目されるようになった傍、初回の怪奇現象が自作自演だったのではないか? という疑いが、一部視聴者の間で囁かれるようになって――。


00

 世にも不思議な愚か者たちが、ここに存在する。
 彼ら、というか僕らは、穴を掘っていた。懸命に、汗水垂らし、黙々と。
 ここ、とは所沢学園大学(通称トコガク)の、その敷地内に広々と構えられた校庭を指す。運動部の連中や、あるいは体育の授業時にのみ使用が許されるこの校庭に、何故、運動部でもなくまして四年生の僕らはいるのか。そして何故、穴を掘っているのか。
 言わずもがな、タイムカプセルを埋めるため、である。
 では何故、タイムカプセルを埋めるのか。
 それも、言わずもがな。
 全世界に、この模様を配信するため、だ。

 ワンダーフールズ。

 そう聞いて、僕らを思い描く人がこの世にどれほどいるだろう。なんせ、最高再生数一〇〇〇回弱、無名も無名の、底辺ユーチューバーだからだ。
 そのユーチューバー配信企画の一環で、僕らは穴を掘っていた。あちこちに立てた三脚の上には、カメラが設置されている。夜間でも撮影できるような特別な機能を持ったビデオカメラは、決して安くない。それでも、この企画のためにわざわざ購入したのだ。
 今回の企画はそれだけ、特別な意味を持っていた。
「……今更な話だけどさ。これって、不法投棄に当たるんじゃね?」
 しばらく誰もが穴掘り作業に没頭していたところ、安藤が僕に向かってそう話しかけてきた。暗いから誰に向かって言ったのかわかりにくかったが、この企画の言い出しっぺは僕だから、懸念をぶつけるとしたら僕しかいない。夜なのでボリュームは控えていたが、そこには若干の苛立ちが込められていたように思えた。
「……どうして? タイムカプセルなんだから、不法投棄ではないんじゃない? 一応、矢野の許可も得てるわけだし」
 僕らの活動は、一応のサークル活動として大学に認定されていて、一応の顧問も制定している。矢野、という万年准教授の男がそれに当たる。名ばかりではあるのだが、心配性なのか過保護なのか、ともかく逐一活動を報告させたがる。一度たりとてNGが出た試しはないので、もはや形式的なもの、彼の出世に響かないよう、安心したいだけなのだろう。教授になれない原因は他にあると言うのに、彼はそれに気づいていない。
「それに、掘り起こす前提の企画だし」僕は追随して言う。「この動画を以って僕らは一旦解散して、チャンネル登録者数が百万人になったら活動再開。その時に、このタイムカプセルを掘り起こす。そういう企画だ」
「そう、そこだ」安藤は、立石に水の反応を見せる。「分かってるとは思うけどさ……そんなこと、起こりっこないだろ。実際」
 安藤の正直な指摘に、反論しようと思っていたにもかかわらず、笑みが漏れた。真壁と堀田も同様だったようで闇夜に苦笑いを浮かべつつ、それな、と次々に言った。
「埋めっぱなしのタイムカプセルなんか、ゴミの不法投棄と大差ない」
「せやで。底辺ユーチューバー、舐めんなよ? 百万なんか絶対無理やって」
「……今更だけど企画、やっぱり変えようぜ? まだ時間あるだろ」
 彼らはここぞとばかりに自虐を繰り返した。撮れ高を作るつもりなのか、それとも企画に不安要素が多く本当に異議を唱え始めているのか。
 ――ただ、まあ、ここだけの話。どれだけ撮れ高を作ったところで、どれだけ不安を抱いたところで。
 この動画が配信されることは、未来永劫、ないのだけど。
 そのことを心苦しく思いながら、噛み潰した苦虫とともに本音を飲みこんで。
 今度は、カタ。カタカタ。
 と太ももを指が弾き始めていた。これは僕の癖で、何か考え事をする時には気づくと指が走り始めてしまうのだ。
 さて、彼らの問いかけに対する返答として、相応しい言葉は何か。指が動き、脳が回転していく。
「いや、変えない。この企画で僕らは解散、この事実に変更はない」
 そう強気で言い放つと、遅れて小さく溜息が聞こえた。
「最後まで地味なもんやな、俺らの活動は。意味、あったんか?」
「大丈夫。思考してみて」と、僕はいつものように言った。「例えばさ。インターネットに動画載っけたり、SNSでアカウント作ったり。そういうのって大げさに言えば、歴史に足跡を残すような行為だと思うんだよね。一個一個が化石になっていく、っていうか」
「……雀の泪より価値あらへんけどな、そんな化石」
「まあ、そうかもしれないけどね。ともかく、掘り起こされないタイムカプセルは化石になる。化石は、地球の一部を作る」
「俺らの動画が……地球の一部に?」
 三人にそれぞれ目を配って、僕は言う。
「僕らの活動には意味があった。僕は本気でそう信じてる。……だからこの化石も、いつの日か必ず掘り起こされるんだ。だから不法投棄には、決してならない」
 彼らはそこから先、何も言い返してはこなかった。その内容に胸打たれていたのか、それともただ疲れていて、皆んな頭がボーっとなり始めていたのか。
 いつまでも明けないように思われた空が薄い群青を連れてきた。
 明るんだ空に照らされ、初めて僕らはそれぞれの疲れ切った顔と、掘り進めた穴とを確認し、自ずと笑っていた。
 なんちゅう顔だ、俺らどんだけ掘ってんだ。
「仕上げに移ろう」
 そう言うと、各々、タイムカプセルの準備を始めることにした。
 今回のために購入した商品は【史上最強のタイムカプセル】と謳われた腐食に強いステンレス製だった。ネタに困った時、大概のユーチューバーは視聴者を弄るか、アマゾンに頼る。紹介だけで動画になるし、すぐに届くからすぐに動画ができる。アマゾン様々だ。
 小箱サイズのそれらに四つ、一人一人が思い出の品を詰めて、蓋を閉める。箱の中身が過去のものとなって、封印される。
「……とか何とか言って、この動画がすんげーバズって、すぐ掘り起こすことになったら笑えるけどな」
 穴を埋め始める直前、安藤がそうポツリと漏らした。
「だから無いて、そんな、絵空事」
 堀田が、力なく突っ込んだ。
 同時に、妙に神々しい朝日が東から差し込んできた。達成感はなく、ただ積もる疲労感と引き替えに、僕ら四人はタイムカプセルを地中に埋め終えていた。

 それから、数日が経つ。
 僕は予定通り、十時間にも及ぶ穴を掘るだけの動画素材には一切手をつけることなく、編集もしなければ無論、公開もしないまま。
 彼らの元から、姿を消すのだった。
 その動画が世に放たれることはなく、地球の一部にすらなれないままに。
 令和七年。夏と秋の境目の、九月中旬。
 彼ら不思議な愚か者たちが不法投棄で捕まらないことを祈りながら、罪悪感と喪失感とをこの胸に抱きながら。僕は。






01

 眼が覚めると、そこは寝室だった。当たり前のことである。
 が、不思議なことに前後の記憶が全くないのだった。眠ったことにも、無論この部屋に住んでいたことにも、身に覚えがない。
 部屋は薄暗かった。カーテンから漏れる光を頼りに、私は寝室に備えられた鏡に目をやる。顔を見れば、何か思い出せる。そう思った――のだが。
 これまた、どうしたことか。
 私には、顔すらなかったのである。

 しばらく呆然としたのち、奇妙なことが起きていることだけは理解した。一方で何が起きているのかは依然として不明のままだったが。
 私は、恐る恐る寝室を抜け出てみた。なおもその先には見慣れぬリビングが広がっていた。机、キッチン、椅子、ゴミ箱。簡素な部屋だ。恐らくは私の部屋なのだろう。にもかかわらず、やはり、落ち着かない。
 何らかの手がかりを求めて、私はくまなく部屋を見渡した。そうすると、机に置かれた一冊のノートを発見する。
 それは見る限り、日記帳のようであった。無記名で、古ぼけていて、それでいて薄っぺらだった。ここには私の足跡が書かれているのだろう、と思われた。
 そのノートを手に取り、中を覗く。だが、中には何も書かれてはいなかった。――否、破かれていた。
(誰かに、私の過去を、揉み消された……?)
 そんな疑念が浮かんだところで。ひらり、と。
 挟まれていた一枚の手記が舞い落ちる。音もなく着地し、仰向けになったそれは窓から漏れたほんのわずかな光を受け、手紙自体が発光しているようにすら見える。手紙の表面には剰え【readme.txt】と書かれてあった。
 私は言われるがまま、その文に目を落とす。

《両手はあるけど拍手できないもの、ってなーんだ。
 窓の外の世界から、その場所を探して。
 そこであなたを、待ってる。リドル》

「リドル……?」
 その発信者と思しきその名を声に出してみたところで、聞き慣れない名前だった。元より私の声にすら聞き馴染みがないのだから、仕方のないことであろう。
 私は、やがて窓を探した。カーテンを開く。
 そこには、世界が広がっていた。これも、当たり前のこと、なのだが。

 だが、案の定とでも言うべきか、その世界に見覚えはなかった。
 そもそも、辿り着いたこの世界を【世界】と定義してよいものか。そこはすでに【世界】として機能している、とはとても呼べないような有様だったのだ。
 ――なんせ、人が。
 あるいは車も。信号も、建物も。
 動物も、木々も、空も、鳥も、扉も、窓も、地面も壁も、電柱も電線も。街のあちらこちらに見える、何もかも全てが。
 止まってしまっていた。
 一見すると確かにそれは、街、と表現する以外に言いようがない光景だ。しかし彼らをよく見ると、いやそこにあるものは軒並み全て、ここではない何処かに向かって進んでいる最中、あるいは休んでいる最中、ないしは働いている最中、食べている最中で。最中、という時間だけが延々と続いている光景なのだ。少なくとも私が知識として蓄えている【街】の、あるいは【世界】の、その恒常的な様子でないことだけは確かなのであった。
 街の異常はそれだけに留まらない。止まっている幾つかの事象が、止まっているだけでなく歪んでもいた。
 道ゆくワゴン車。自転車に乗った人と、走り回る犬。
 歪んでいるのは物体だけではない。道のあちらこちらにも同じような現象が起きている。一部が不自然に凹んでおり、あるいは突如として穴ぼこや継ぎ接ぎが発生している。
 さすがにこの街並みに、私は面食らっていた。
 そんな混乱の胸中を象徴するかのように、近くに見えた時計の針は十時十分の辺りで静止している。まるで両手を上げているかのように見え、私は感情と景色の妙な共鳴にこの目を奪われる。また見回すと、付近の建物には【東京駅】と書かれていた。
 緯度35.681167で、経度139.767052の地点であることを、私は知る。
 そんなことを知ったところで、何も変わることはなかった。さてどうしたものか、と考え始めたところで。
 ジャーン、と、妙な音がした。
 まるでコンピュータが起動したような音が世界に鳴り響き、私の鼓膜を震わせた。その心の臓にまで、振動が行き渡る。
「時計の針は英語で【clock hands】。でも、拍手はできない。英語圏では有名なリドルなの」
 その声の主を探す。と、そこには。
 一人の、少女の姿があった。
 先ほどまでは建物の壁に凭れかかるように座って、この街の景色に溶け込んでいた少女。しかも五歳程度の小さな女の子が、目が合うとひょっこりと動きだす。
「君が……?」その先、私は声が出なかった。
 自分よりもはるかに小さなその女の子に対して、圧倒されてしまっていたのだ。彼女は、拍手を続けながらなおもひょこひょこと私に近づき、その目前に立って。
「ハロー、ワールド。私はあなたを【現実】へと導くプログラム、リドル。よろしく」
 そう、言葉を発した。
 この時、私と彼女の不思議な彷徨が。その計画が、起動したのだ。






0A

 AI技術の発展、炎上や誹謗中傷、仮想通貨の流出……。インターネットにまつわる話題は後を絶たない。
 そんな、制御不能なまでに膨れ上がったインターネットの世界をまるで一つの惑星のように具現化するという画期的な試みを成功させたインターネットブラウザ、その名も【VRアース】。この利用者がリリースからたったの五ヶ月で全世界述べ十億人、日本では一千万人を突破したのは既報の通りだ。インターネット環境とVR視聴環境さえあれば誰でも簡単にインターネットの世界に没入できるこのブラウザは、自宅と国境、個人と他人の距離を革命的に近づけ、人間の快適な生活になくてはならない住処へと成長を遂げた。
 が、人が集えばウイルスが蔓延するのもまた地球と同じようである。本記事ではSNSなどでも随時トレンド入りを果たし、現在サイバー世界で猛威を振るっている未曾有の【垢BANウイルス】を取り上げたい。
 そもそもこのウイルスの感染症状だが、VRアースのアカウントが乗っ取られてしまうだけでなく、パスワードを勝手に変更して持ち主がログインできなくしてしまうようなのだ。感染したアカウントを取り戻すのはまず不可能で、しかもセキュリティを向上する目的でVRアースは基本的に一人一つまでしかアカウントを作れない仕様となっている。つまり一度このウイルスに掛かってしまうと死ぬまでVRアースの世界にはログインができなくなる。まさに垢BAN、というわけだ。
 ――ところで、このウイルスを撒いた犯人にはあまりメリットもないように思える。では、その狙いは何処にあるのだろうか。
 ウイルスが流行し始めた当初、このアカウントに含まれる個人情報が犯人の狙いなのではないか、と予想されていた。しかしそんな予想をあざ笑うかのように、このウイルスを撒き散らした犯人を名乗る男【ノーネーム】が二月一日、ユーチューブ上に声明を出したのである。それによりウイルス拡散の目的は【身勝手な人類への制裁】であること、つまりは感染拡大そのものこそが狙いの、思想犯的なものだったことが明らかになった。
「私にたどり着く手がかりは、VRアース上に隠してあります。愚かな人類、および愚かなダグラスには到底たどり着けないでしょうが」(動画より翻訳)
 この悪意のハッカーからの挑戦状とも思える声明を受け、VRアースの配信元であるISE社CEOのダグラスも黙ってはいない。「犯人を捕まえた者に社より莫大な懸賞金を贈与することを検討中だ。常に正義はこちら側に存在する」との声明文をSNS上に公開している。犯人捜索に熱が高まる一方、ノーネームはVRアースへの新たなるハッキングを仕掛ける可能性があることを前述の動画内で示唆したり、あるいは数年前に仮想通貨を盗み世間を騒がせた重大事件の犯人も彼なのではないかと見られていて、世界的な注目を集めている。
 いずれにせよウイルスには早急な解決が望まれるところだが、専門家によると【怪しいサイトにアクセスしない】【ウイルス対策ソフトの更新】など、基本的なウイルス対策で垢BANウイルスへの感染は防げるそうだ。現実世界での風邪予防だけではなく、インターネット世界での感染予防も現代人のマナーと言えよう。お忘れなく。(文責:彩乃)

「……ふっざけんなっ!」
 ネット記事に目を通した俺は一人、この六畳の寒々とした部屋の隅から隅に届く荒々しい声で、そう吐露していた。
 決して他人には語られることのない不毛な暗黒期。どうやら人はそれを黒歴史、と呼ぶらしい。とすると俺は今まさに黒歴史の中にいた。今、俺がこんなにも不毛だということ、誰にも知られたくはないからである。
 職は在宅でフリーランスのシステムエンジニア――と言えば聞こえはいいかもしれないが、実態は下請けの、そのまた下請けの、下の下の下に位置するくらいの、この世界には何百万人と存在する典型的なIT土木。それが俺だ。インターネットが膨張し続ける現代は、ただでさえインフラ関連の整備に苦戦している。そのため俺のような端くれの人間にさえ声を掛けなければ、快適で不敵なこの情報社会の存続はできないのだろう。
 一浪してまで入ったそこそこ有名な大学、八十社ほどエントリーシートを送ってようやく入れたそこそこの企業。数年勤めただけで心身をやられ、こんなとこまで追いやられ。
 その挙句に今、VRアースに関連する下請け仕事の納期直前だというのにこの垢BANウイルスとやらに感染し、アカウントを奪われて立ち往生。助けを求めた先のネット上の記事で「お忘れなく」なんて当たり前のことを言われて万事休す。もちろん怪しげなアダルトサイトにアクセスした心当たりはあるし、ウイルス対策を万全に行なっていたわけでもない。だがそれにしたって、今が黒歴史とでも思わなくてはやってられない。
「やってらんねえっての」
 そうぶつくさ言いながら、別窓で立ち上げているSNSにカーソルを合わせる。
《この記事書いたやつ、ライターを名乗る資格なし。ネットで調べたことを並べるだけでお金が貰えんなら俺もライターに転職しようかな。やり直し》
 その記事を引用し、ネガティブなコメントをSNS上に残した俺は、何も解決してないのに少しだけマシになったような錯覚を抱く。と同時に今度は別窓で立ち上げていたユーチューブにカーソルを合わせていた。いかにも慣れた手つきで、発作的に。
 ユーチューブ上には、様々な動画が立ち並んでいた。いわゆるユーチューバーの投稿した動画が多いのは、俺の履歴から趣味嗜好を推測されたのだろう。そうして選出されたオススメの動画たちはまるで「私を再生してくれ」と挙手しているかのようだった。
 その中から、評判の良いもの、良質そうなもの、延いては再生数の多いもの。それらを排除していき、評判の悪そうなもの、つまらなそうなもの、延いては再生数の少ないもの。そういったものに目をつけていく。
 申し遅れたが、俺は底辺のユーチューバーを叩くことこそが趣味嗜好の人間なのだ。いわゆる荒らしであり、純粋に動画を楽しむつもりなどこれっぽっちもない。繰り返すが、俺は今まさに、黒歴史の最中なのだ。
 だから、こんな不毛なことをしている自分には目を瞑るしかない。視界は真っ暗にして、地獄の果てまで堕落するつもり――。
 そう。そのつもりだった。この日まで。
 奴らと、出会うまでは。

 配信を再生すると、三人の姿が映った。
 若い男が三人、いずれも二十代前半くらいだろうか。彼らは芯のない様子でひょろひょろと立っている。背後には壁が見え、その前後を邪魔そうに人が通っていく。そのことから、町のどこかで撮影を行なっているのだろうことは理解できた。
 ただ、その後にふとした違和感を覚える。まるで作り物のような、ジャギジャギした部分が街のあちこちに散見されたのだ。
 ああ。もしかすると、これは――。
 そう察し始めたところで、真ん中の男が手を振って初めて声を出す。
「これ、映ってんのかなあ? ……もしもーし。ハロー。ボンジュール。ニーハオ。コニチハー。……あと何かあったかね?」
 その男はいかにも軽い、中身のない発言を繰り返した。髪の毛の茶髪具合、そして長髪具合がいかにも中途半端で、見ているこちらに不快感を与える。どうにもいけ好かないオーラが、彼からは発せられていた。
「大丈夫だ、映ってる。俺のブラウザで、さっき確認した」
 と囁くように言ったのは、左に立つメガネでノッポの男だ。こちらは不快さこそないが打って変わって華がない。まるで細い石ころのようだ。どこで売っているんだと問いたくなるような鼠色のパーカーを着ていた。
「あ、ちょい待ち、冷蔵庫開きっぱやった」
 右の小太りの男が胡散臭い関西弁混じりでそう言うと、おいおい勘弁してくれよ、と隣の茶髪の呆れる声が聞こえてきた。小太りの男もまた彼ら同様にだらしがなく、発言から漂うトボけた感じが妙に苛立つ。
 幸か不幸か、俺は彼らの配信のほとんど冒頭から見ることができていた。画面上に移る視聴者数のカウンターを見る限り、この配信を冒頭から視聴することができた人数は全世界合わせて二桁に満たないほどであった。
 そのうちの一人であることを俺は誇りに、もちろん思うはずもない。
「……お待たでした」と小太りが絶妙に不快な言い回しをして、動きを再開させると。
「じゃ、配信始めます! ども! 安藤です!」と、茶髪が言う。
「堀田です!」と、これは小太り。
「真壁です」これは眼鏡の声で。そうして、三人揃って。
「ワンダーフールズです!」
 と、まるでアイドルみたいに言い放ち、一瞬の空白が生まれる。真ん中の安藤が仕切り直すように、はい! と声を上げる。
「改めまして僕らワンフルなんですけど、なんと僕らは現在、あのVRアースの世界から生配信でお送りしてまーす! イエーイ!」
「祝! VRアース初凸! 俺らも晴れて未来人やな」
「はしゃぐな。今時恥ずかしいぞ、それ」
 と、それぞれが威勢良く拍手を繰り出し、動画配信の開始を告げた。
 三人のバランスは見た目にはまあまあ良い。小学生時代に読んだ記憶のある『ズッコケ三人組』が大学生になったような、そんなイメージを彼らからは彷彿とさせる。が、素材そのものは抜群に悪い。烏合の衆、という言葉があるがまさしくそれだ。どんなにバランスが良くったって、烏は烏でしかない。
 しかし、そんな鳥たちを温かい目で見守る視聴者もいるようだ。そのうちの一人が、
『88888888』
 と別枠のコメント欄に書いて、彼らの配信を盛り立てる。ちなみにこれは【88】と書いて【パチパチ】と読む。いわゆるネットスラングの一つで、拍手を意味するコメだった。
「あ、コメントあざーす! なるべく拾ってこうと思うんで、どしどし送ってくださいねー」
 などと安藤が頭を下げ、その後に手を振る。その光景にやはりどこかぎこちなさを覚えた俺は、画面に目を近づけてみる。
 間近で彼らの姿をよくよく見てみると、それはやはりポリゴン的で、彼らが言う通りこの配信は3Dモデルを用いて、つまりVRアースの世界から行なわれていることに納得した。声だけは彼らの肉声を使っているため、画面上で見える彼らの動きとのチグハグさの正体は、これだろう。
 そのことを完全に理解した、その瞬間。
 ゾク、と肌が疼くのを感じていた。
「……で、今回は何をするか、ですが。このVRアースにおける東京の世界を舞台にですね、棒を倒しながら行き当たりばったり……」と、安藤の口から配信の内容について触れられていくが、もはやそれらの説明は俺の耳に入ってこない。
 ――根拠はない。
 が、ここ数年の荒廃的な荒らし生活によって鍛えられた嗅覚が、彼らから放たれる何とも流行らなそうな匂いを嗅ぎつけていたのだった。未来に得るであろう快感に早くも想いを馳せ、思考が止まったのだ。
「……来たこれ」
 そう思わず声に出していた俺の跳ねるような独り言は、当然、誰からも応答はない。

 VRアース。
 この巨大サービスがISE社から配信されたのは昨年の十二月のことであった。ISE社の社名の由来にもなっている、このサービスの開発コンセプトは。

 インターネットを、第二の地球に。
(Internetwork to the Second Earth)

 その名やコンセプトの意が表す通り、VRアースはVR機器とネットワーク環境を通じて今まで二次元の空間でしかなかったインターネット世界を三次元、つまり【第二の地球】として、自由に彷徨えるものに変換してしまったのである。
 その基本構造としてはシンプルで、まずはストリートビューの街並みをトレースしてポリゴン化、それによって三次元的な仮想現実の世界を作る。ユーザーはVRスーツとVRゴーグルを用いて世界に没入、その再現された地球の中を歩ける――。
 と単純に言えばそうなのだが、そもそもパノラマで撮影しただけのビューでは様々に歪な部分が生じてしまい、これを視聴に耐えうるものにするだけでも凄いことではある。
 その模倣された世界の中に、ユーザーがVRスーツとゴーグルを装着することで潜入することができる。ピタッと身体に張り付くVRスーツは彼らの身長・体重・骨格の特徴などを自動でモデライズし、さらにはモーションキャプチャの機能を用いて動きや仕草なども随時に反映していく。これには触覚センサーも搭載されていて、触れたものの感覚がスーツ上で再現されるようになっている。また、フルメットのような形をしたVRマスクはそのカメラ機能で顔や表情を認証し、随時モデルに反映する。こうして、自分と瓜二つの分身モデルがインターネットの世界に出来上がるのだ。基本的にVRアースで持てるアカウントの数は一つまでで、本人の姿形をしたアカウントでは倫理に外れた行動が取りづらい。そこがISE社の狙いであろう。
 そのモデルを使って世界を歩くわけなのだが、それはまだ地球の模倣品でしかない。そこでISE社はその世界に【インターネットサイトのVR化】というアイデアを加えた。
 具体的に言うと、例えばルイヴィトンの通販サイトがあり、ルイヴィトン社がVRアースにそのサイトを登録したとする。するとビュー上に表示されるルイヴィトンの店舗が実際にVRアース上で入れる店舗となり、より現実に近い形で買い物をすることが可能になるのだ。品物は後日自宅に配送されるだけでなく、VR上の自分のモデルに装着させることもできる。試着などを実店舗で行う必要もなくネット上で似合うかどうかが年中無休で一目瞭然となるため、子育てや仕事で忙しい女性などにも人気のサービスだ。さらに言えば基本的にはAI店員が接客をすることにもなるので店側にとっても人件費や土地代が掛からずに済み、ランニングコストはサイト運営費とISE社への登録費のみ。分かりやすいウィンウィンを実現している。
 一方で、さすがに飲食業などの仮想現実化はなかなか実現が厳しい面もある。が、例えばとある配達ピザ屋に関しては試験的にVRお持ち帰り割を実施し、VRアースでの注文は電話注文よりも安く配達、などのサービスを展開している店も出てきているようだ。またISE社の開発したマスクにはフレーバー仕様が搭載されていて、これにより飲食店の活用促進に一役買うつもりらしい。
 これらに挙げた例はほんの一部。VRアースの利用の仕方は業種によって多岐にわたっており、配信から三ヶ月経った現在だけでも全世界で7000万もの企業がVRアース内の施設を充実させていた。
 また、もちろん街を行くアカウント同士はコミュニケーションが図れる。フォローしあったものであれば専用のマイクを通じて会話もできるし、フォローがなされていない他人同士であったとしても、実際にインターフェース上で交流が図れる。射程圏内に入れば他人同士の会話も覗き聞くことができたり、会話に混じることだって可能だし、知人同士でのコミュニケーションをメインとしたミュートモードももちろん可能だ。多言語翻訳AIによって、異国語同士での遜色のないコミュニケーションも実現。こちらは主にビジネスシーンなどで重宝されている模様で、企業間や国家間のやり取りまで、このVRアースを通じて行われるようになっているそうだ。
 ――などなど、他にも、言い出せばキリがないくらいに。
 現実と非現実のあれこれ垣根を壊したVRアースは、配信から五ヶ月という短期間であっという間に人が集まり、現在では全世界での利用者が一億人も集う、今、最も注目の浴びるサービスまでに発展していた。

 で、本題はここからだ。
 彼らワンダーフールズは、そんな仮想現実の世界から配信を行なっている。
 このサービスには、リアルタイムで動画を配信できる機能が備え付けられていた。その機能により、ユーチューバーをやってみたい若者たちがこぞってこのVRアースの世界に夢中になっていったのだ。スマートフォンくらいの値段でかのVRスーツとゴーグルが手に入ること、その仕様や世界の幅広さも魅力となり、全世界あちこちにVRアースから配信するユーチューバーが生まれ、今やスタンダードがそれといっても過言ではない。
 ――そろそろ、お分かりだろう。
 彼らワンダーフールズは、遅すぎたのだ。
 今や有名だったユーチューバーあるいはタレントまでもが公式のチャンネルでこのVRアースでの配信を行なっている。それ相応の知名度やスキル、あるいはカリスマ性がなければこの群雄割拠になりつつあるVRアース配信で目立つことなどできない。そして彼らは現時点のところ、そういったいずれも持ち合わせてはいなさそうである。
 流行りそうな匂いもせず、かつ、まだ折れていない心を持つ弱小ユーチューバーは、荒らしを生きがいとしている人間にとっては大変に美味であり、貴重な存在でもある。その心の折れる新鮮な音はさぞ気持ちよかろう。その未来の快感を夢想しては、身震いが止まらなくなってしまうのだ。
『gdgdすぎ』
 身震いした身体は自ずとそんなコメを打ち込み、そのままreturnを撃ち放つ。すると早速、彼らの下にコメが投げ込まれる。
「早速言われとるやん、グダグダやて」
 俺のコメントを読んで、堀田が呆れた声を出す。遅れて表情も、呆れたものに切り替わる。なるほど、表情や声質から感情を読み取るAIが働いたのだろう。こっそりニヤリとし、ゾクゾクと気持ちが昂ぶる。
 いや、しかしまだだ。追随したくなる手をぐっと抑える。この少ない視聴数では荒らし、もとい嵐の被害もたかが知れている。今はまだ苗植えの季節だ。苗が育ってきて、大きくなりそうだと主が期待しかけた辺りで甚大な被害を及ぼす方が甲斐があるというもの。しばらくコメントは控えねばなるまい。
 昂ぶる気持ちを紛らわすべく、俺は彼らの視聴により意識を向けた。すると彼らはすでに定点での撮影をやめ、街ブラしながら配信を始めていた。
 どうやら彼らは東京の街中を散歩しながら、分かれ道に差し掛かるとランダムで方角を吐き出すアプリを使ってその方向に従って歩いていく、題して【棒が倒れた方は絶対! VRアースで棒倒しツアー】という、近代的なんだか原始的なんだか、そもそもVRアースでやらなきゃいけない理由がなさそうな、つまらない遊びの模様を配信していた。
 その道中は予想通り、それは退屈なものであった。棒の倒れる方角はランダムなのでさっき来た道を反対方向に進んでいって、あるいは一周して「さっき来た場所じゃね? ほらあそこGUやろ」などとブツクサ言って。
 そもそも、VRアース配信の仕様で移動中は一人の視点を借りることで配信が行われる。彼らの場合、一番地味な真壁がその視点役を担うのはまだいいとしても、基本的に画は安藤と堀田の背中を追うもので変わることもなく、かと言ってその二人に優れた話術があるわけでもない。その模様は仮に流し見だったとして、これを何故見せられなきゃならないんだと腹が立つレベルですらあった。
「……これ、企画倒れだったんちゃう? ちゃんとシュミレーションしたんか?」
「はぁ? シュミレーションしようぜっつったのに、そんなん要らなくね? とか言ったのお前だろ? 忘れたのかよ」
「……あの、シュミレーションじゃなくてシミュレーション、だからな。言っとくが」
 などという言い争いが早速起きている。ぐるぐる似通った場所を歩いて疲れた彼らの間には、早くも不穏な空気が漂い始めていた。
 このままだと盛り上がることもなく、叩きがいもないままに終焉を迎える可能性も大いに有り得る。俺からすればそれはまさしく時間の無駄だが、それでも二十数名の視聴者がまだ配信を見続けているのはきっと彼らの配信に何らかの期待を抱いているからだろう。
 その期待に応えるかのように彼らはなんと、この初回配信の中でいくつかの奇跡を巻き起こすことになる。
 最初の奇跡は、このすぐ後の分かれ道で起きた。
「……え、ここ?」
 次に棒(アプリ)が差した方角は、人一人が通れるか否かの狭い路地のある方であった。が、行き止まりではないらしい。一応は奥に何かが続いているようにも見える。
「まあ……進入禁止エリア、ってわけじゃなさそうだな」
 視点役の真壁が奥を見通して、そうポツリと言った。よし、と言って安藤は躊躇なく、その一歩を踏み出して行く。
「……え、行くん!?」
「棒の倒れた方は絶対、だからな」
 慄く堀田に、息巻いて言う安藤。
 会話を聞いているとどうやら企画者らしい彼の、成立させようと必死な様子にはもはや寒々しさすら感じられず、少しばかり滑稽で可笑しみすら抱かせる。もちろん大爆笑には程遠い微少の苦笑いだ。堀田も同様に苦笑いを浮かべながら、とは言え置いて行かれるわけにもいかず、渋々追いかける。その後ろを、視点を担当する真壁が淡々と行く。
 路地の間は薄暗く、会話もしづらそうで、しばし無言の時間が流れた。
 すると今度は突如として、視界が真っ白になる。長いトンネルを抜けたのち、目が光の調節をするかのように真っ白から色を取り戻したその世界の、先に。
 その建物は現れた。
 まるでバグでも起きたかのように、唐突に。
「は? なんよ、この建てもん……」
 画面には、コンクリート打ちっ放しの団地が何号棟かに分かれて建っている様子が確認できた。まだこちらからは遠くてよく見えないが、パッと見て人が住んでいる気配はない。至るところ壁が朽ち果てていることが分かり、むき出しになった鉄骨から垂れ流れた錆は血の跡のようにも見えてきてしまう。
 それから推測されたキーワードは。
 廃墟。廃団地。
「そうだ。ここ、アレだ。さくらウェブだ」
「……さくら、ウェブ?」
 聞き慣れない単語が出てきて、二人のみならず俺も、首を傾げる。
「聞いたことないか? 古いサイトを廃墟として仮想現実化する、噂の仕様」
 と続けて真壁が言うには、ISE社はインターネット上に眠る更新の滞った古びたサイトを見つけては、VRアース内で廃墟として具現化し、ユーザーが巡れるようにしているようなのだ。いわゆる肝試し要素を取り入れることで、ユーザーにちょっとしたいたずらを仕掛けている、とのことである。ISE社と運営元の許諾を経てこの廃墟化は行われるのだそうだが、こういういかにもベンチャー企業の人間の考えそうな遊び心が満載な部分もVRアースがユーザーから評判の良い所以でもある、とのことだ。
「そこで日本の運営してた【さくらウェブ】って大きなブログサイトがあるんだが、その利用者の九割が一年間全く更新しなかったことを受けて今年の三月でサービス停止することを去年の夏くらいに決めたんだ。そしてそれまでの期間限定でVRアースに廃墟としてこっそり公開されているらしい」
「え、こっそり? じゃあ、まぐれでここまでたどり着いたんか?」
「ああ。その入り口があそこだったなんて、俺も知らなかったが……。まあ、さっきみたいな路地とかに無造作に繋げてるんだろうな、きっと。URLを知ってる人であれば、あっさりたどり着く場所でもあるが」
 真壁はVRアースの仕様に精通しているのか、うんうんと推測を述べる。
「まあまあ、分かったけども。とにかくここは、ノーカンよな?」
 一方の堀田は、見るも恐ろしいこの場所に嫌な予感を抱いているようである。しかしおそらく今回の企画者であろう安藤はその責任もあり、言われる前にとっくに棒を倒していたようだ。そして、その棒は見事に――。
 廃団地の入り口の方角を差していた。
「……さっきも言ったよな。棒の倒れた方は、絶対、だ」
 沈黙を破って、安藤が宣言する。
「いやいやいやいや!」とすかさず否定したのはやはり堀田だ。「絶対、嫌やて! 東京関係ないし、こんなんただの肝試しやん!」
 確かに、その廃団地は入るのに一定の勇気を必要とする見てくれだ。多少は躊躇するのもわかる。にしたって、堀田は怖がりすぎにも思えた。微動だにせず、動かない意思をこれでもかと言うくらいに表現する彼は、どうやら恐怖に耐性がないのかもしれない。
 構わず安藤は先を行く。堀田はなおも頑として行かない。こうなるとどうするか気になるのは真壁だが彼もまた、動く気配はない。
「行こうぜ! 東京ぐるぐるしてるだけじゃ何も面白くないだろ?」ついてこない二人に気づき、安藤が振り返り言い、また進む。
「それを発案者のお前が言うかね……?」と堀田は漏らし、すかさず真壁に問いかける。「置いてって帰ろうぜ。な? 本筋とはズレとるし、俺、明日早番なんよ、バイト」
 しかし、真壁もまた、その廃団地に釘付けの視線を配ると。
「……悪い。実は俺も行きたいと思ってたんだ、ここに」と言った。
 は? と問いかける堀田の声に、ゴクリ、と唾を飲む音が間近で聞こえた。これはきっと、真壁の喉の鳴る音だろう。
「この団地には一個、ワケがあるらしい。それを確かめたい、とうっすら思ってた。ちょうどいい機会だ」
 そう言った彼の言葉に、すかさず反応したのは先行く安藤だった。「ワケって何だよ、真壁」なんだかんだで会話には耳を立てていたのだろう。その目は爛々と輝いている。
 そうして意気消沈している堀田と、意気揚々としている安藤。その二人に順々に目を配った真壁は、先ほどよりも声を潜めて、静かにポツリ漏らす。
「どうにも、ここには亡霊が出る、ってネットで噂なんだ。黒髪で、ピンクのロングコートを着た、女の亡霊が」
「……はぁ?」
 安藤と堀田が口をあんぐりと開けて、ほとんど同時に真壁の顔を見つめる。穿った目でこの配信を眺めていると自覚している俺も、この時ばかりは二人の感情に共感し、同じような表情を浮かべてしまっていたものだ。
 いやいや。ネットの世界に亡霊なんかいる訳がないだろう、と。

 曰く。
 亡霊は元々この団地(サイト)の住人で、OLのただの日常をブログに書き連ねていたわけだが、それがじわじわと人気を博していたらしい。ところがある時から私生活で何かあったのか、徐々にその文面は病み始め、ブログも同様に荒れてきていたそうだ。
 そんなある日のことである。唐突に、彼女の方から更新終了を謳うブログがアップされたらしい。それがしかも、どうにも遺書っぽい内容だ。気になったファンたちがざわつき、面白がったネット民が特定班を立ち上げ、彼女の住処が特定された。すると、その女性の住んでた場所というのが――。
「いかにもこんな感じの公営住宅、つまり、団地だったんだ。しかも、彼女のブログの更新が止まった日と同時期に、一人の女性が飛び降り自殺したことも特定された。……それが、例のOLだったんじゃないかって」
 真壁のいかにも怖い話を語るような口調に、堀田が身震いで応える。
「あかんて! こん中で怖い話は禁止!」
 彼の悲痛な叫び声は、廊下に響いた。
 彼らはその廃団地へと足を踏み入れ、その通路を歩いていた。窓からの光が少し差し込む程度の頼りない明るさの中でも、至るところが朽ちていることが分かる。地面にはガラス片が散らばっていて、彼らが歩くたびじゃりじゃりと嫌な音が聞こえた。それ以外に音はなく、彼らの咳払いや息遣いの一つ一つがやけに冷たく廊下に響く。
 反響した堀田の声が収まるまでの間、彼らは身動きを止めた。
「……静かにした方がいいぞ。亡霊に感づかれるかもしれない」
 やがて真壁がそう注意すると、ひっ、と堀田は小さな悲鳴を上げながら自らの口を押さえた。怯えてまるで使い物にならない堀田に呆れつつ、安藤が振り返り、尋ねる。
「ってかさ、お化けとして出るならフツー現世、現実世界じゃね? 何でわざわざ、ネット世界に出るんだよ?」
「さあ。それは知らない、俺に聞かれても困る」我々の視点を請け負っている真壁は、姿を見せずに淡々とその問いかけに答える。「ただ、このさくらウェブのVR化がなされてからそのロングコートの女性の姿は度々目撃されている。そこで彼女の見た目、この場所の雰囲気、また例の都市伝説から彼女がそのOLの亡霊なんじゃないか、と結論づけられたらしい。彼女の魂は成仏できず、インターネットの世界に未練を抱き、その中で彷徨っているんじゃないか、とな」
「……まあ、バズりそうだけどな、確かに」懐疑的な質問とは打って変わって、目の輝きを増して安藤は答える。恐らく彼には、バズるかどうか、という確かな評価基準が存在するのだろう。「十中八九、誰かのイタズラだろうけど。あるいはISE社の仕込みか」
「だろうな。ちなみに彼女は承認欲求が満たされず、ネットの世界を彷徨っている。だから彼女に何か聞かれたら、どんな内容でも【いいね】と言うこと。これを忘れると、祟られる。そういう設定らしい」
「ええ? なんか一気に胡散臭くなったな……。まんま口裂け女じゃん、それ」
 安藤が一気に顔を顰めると、真壁もふっと笑って答える。「まあ、あくまで噂だ。一応、知っておいた方がいいと思ってな」
 ふーん、とその詳細については興味なさそうな安藤に比べ、堀田は改めて、ゾゾっと身震いを繰り返しているのが背後から伝わってきた。「ほんま、やめてや……」とすすり泣くように漏らす声も、だ。
「ってか、もし、もしよ? 万が一にも、この配信の最中に例の亡霊に出くわしたりしちゃったら、逃げるでええんよね? そん時は強制ログアウトして、また最初のとこで再集合ってことで、ええんよね?」
 その堀田が確かめるというよりも念を押すようにそう真壁に尋ねるも、画面は静かに横に揺れる。真壁が首を横に振ったのだ。
「生憎だが、この廃団地内ではログインとログアウトは禁じられてる」
「……え?」
「そんなことができる仕様だったら肝試しとしての緊張感が削がれるだろう? あくまで現実世界と同じで、さっき入った出入り口からしか出られないことになってるんだ、ここでは。まあ、ゴーグルを外せばいいが、亡霊に何されるかは不明だ。もういいだろと思ってゴーグルをはめ直した奴が、その目前になおも亡霊がいた、なんて話もある」
「おいおい、マジか……」
「じゃ、走って逃げるしかない、のか?」
 安藤が確かめるように言うと、これに真壁はふっと微笑みをこぼす。
「何言ってんだ、逆だよ。亡霊を捕まえるんだ、ここから逃がさずに」
「……ええ!?」堀田が大げさな声を出し、また廊下内を駆け巡り、遅れて口をふさぐ。声を潜め、なおも言う。「いやや、そんなん無理やって……! 失禁映像、流れてもええんやな……!?」
「失禁したところで、さすがにこの世界には反映されない。安心しろ」
 真壁が冷静にそう論破すると、堀田は「せやけど、せやけども……!」と連呼するのが精一杯の様子で、それ以上にはぐうの音も出ない。
「もし、亡霊の正体が人間でイタズラなんだったら向こうも条件は一緒だ。俺たちがここから出られないのと同じように、亡霊もここから脱出するにはあの出入り口しか使えない。となれば、それを活かさない手段はない。だろ? ここは奴を捕まえるのにうってつけの場所でもあるんだよ」
「……なるほどな。確かに言う通りだ」
 安藤は頷き、作戦を理解した風を見せた。一方の堀田は、なおも納得のいかない様子で尋ねる。「もし、仮に、本物やったら?」
「その時は……どうにか、成仏させてやってもいいかもな。俺たちで」
 真壁のそう言った表情は読み取れない。視点を担当していたから。ただ、決しておふざけで言ったものではなく、彼はまだこれが心霊現象なのか悪戯なのか、その判別をつけないでいるのだろうと思われる。
 そのまましばらく歩いていた彼らだったが、ここでふと。
「ちょ、タンマ。トイレ行ってきてもええ?」と堀田が言う。
「近いな、相変わらず。水飲みすぎだ」
「別に、漏らしててもいいってば。どうせここには反映されないんだし」
「そういう問題やないやろ!」
 など一悶着ありながら、結局は堀田が強制的に離席したのか、堀田のアバターは突如としてぬぼーっと、まるで魂が抜けたように立ち尽くしてしまっていた。
「おいおい、本当に行っちゃったよ」
 そう安藤が尋ねると、真壁は「そうだな……」と少し考えた間を踏まえ、不意に動き、唐突に近くのドアを開け放った。
「え、何? ってか、そこ開くのか?」さすがに驚いたように安藤が尋ねる。
「そりゃ、ウェブサイトは今も公開中だからな。堀田のトイレ待ちなんて見てる人も暇だろ、折角だから一部屋お宅訪問、と思って」
「……そういうの、動き出す前に言えって」
 安藤はそんなマイペースな真壁にも呆れつつ、彼の前に割り込んできて、開かれた扉の中へと足を踏み入れる。その後ろに真壁がついて行く形になって、団地の中の一室を画面はゆっくりと映し出していく。
 その部屋は少し古びてはいたが、どこにでもある普通の部屋、そんな印象を与える。
 玄関があり、廊下がある。左右にはおそらくトイレや風呂へと続く扉があって、奥にはキッチンとリビングの繋がった広めの一室がある。その奥に続く扉、これは何の部屋だろうか? ともかく2Kの間取りのようだが、暮らすには十分な広さだ。
「……恐らく、他の部屋もこんな感じだろうな。ブログサイトだから日記がメインで、部屋はおまけみたいなもんだろう」
 真壁がそう分析するように言うと、安藤も頷き。
「どうする? そっち、行ってみるか?」
 そう尋ね、真壁と連携を取り、リビングの奥に続く扉を開け放つ。
 そこは、あまり驚きはなかったが寝室だった。ベッドが置いてあることが何よりの証拠だ。とは言えそのベッドすらも骨組みがむき出しになり、毛布の綿が溢れ出ている。相変わらず、廃れた作り込みに感心してしまいそうになるが、それより何より。
 そのベッドに掛けられた毛布が、不自然に盛り上がっていたのだった。
「……めくるぞ」そう言って、毛布に手を掛けた安藤は、一度深呼吸する。
 ガバッ、と毛布を外す。
 そうすることで、そこに横たわった顔のない人間が、むき出しになって現れる。
「びっ、くりした……。うわ気色悪っ……」
 さすがの安藤も、また真壁も、その気味の悪い光景に狼狽えた模様だ。幸いだったのはここに堀田がいなかったことだろう。彼がいたら、どれほど狼狽えることだろうか。
「何これ? 寝てんの?」
「……か、死んでるか、だな。この部屋の主、つまりアカウントの死体だろう」
「アカウント? ……ああ、確かにあの、初期設定のやつみたいだな、アカウントの」
 そう言われてみると、そうも見えなくもない。よく見る、あのアカウント作成時の最初に使われるような、あの肩までの人間のアイコン。死体はあれに酷似していた。そう思うと最初に抱いた気色悪さも少し和らぐ。
「恐らく演出だろう。使われなくなったサイトの、使われなくなったアカウントの死体。と言っても実際に動き出すことはない。オブジェみたいなもの、とでも言えばいいかな」
「オブジェ……。にしても手ぇ込んでるな」
 そのアカウントの、のっぺらぼうな死体の姿が画面いっぱいに映し出される。
 ――と、その時だった。
 廊下から、叫び声が上がり、一瞬の空白が生まれたのは。
 二人は慌てて声のあった廊下に目をやり、息を潜める。しかしそのすぐ後、のちに聞き馴染みのある声で、
「おぃぃぃ! みんなぁぁぁ! 置いてくなってえええ!!!」
 と聞こえ、この叫び声の主は堀田だと発覚し、取り越し苦労だったことを察していた。安藤はケタケタ笑い、真壁はしっかりとため息をつく。少ない視聴者も、どちらかと同じような反応をコメ欄に見せていた。
 何が面白いんだ、と思いながら。俺はそれを見ていた。

 配信はその後も、滞りなく続いた。滞りなく、とはもちろん皮肉だ。彼らのダラダラとしたやりとりと、薄暗いだけの団地の映像。それらが延々と続いているだけの動画に、俺は早くも飽き飽きとし始めていたのだ。
 しかしそれはまだ幸せな時間だったと思わせる、一本の電話が鳴った。
 その震動は机を伝って俺の身体を震わせた。例のVRアースの仕事を降ろしてくれている、前に勤めていた職場の面倒見の良い(風を装った)気のいい(と思われたがりのクソな)元先輩からの電話だったのだ。
 出ようか出まいか悩んだが、響き続ける震動の鬱陶しさに、心が折れる。
「おう。振った仕事、どうなってる?」
 挨拶もおざなりなまま、先輩は単刀直入に切り込んできた。
「……すみません、まだですね。もうすぐ終わります」俺は咄嗟に、少しだけ嘘をついていた。まだ終わってないのは本当だが、もうすぐ終わるというのは嘘だ。
「あそう。ま、終わるならいいんだけど」先輩は苦笑しながら続けた。「いや、俺ずっとVRアースの中でお前のこと待ってたんだけどさ、プログラムが正常に動いてるかテストしようと思って。けどお前、さっきからログインすらしてないよな? サボってんの?」
 ギクリ、と心が軋む音がした。
「……サボってたわけじゃないです、はい」
「あそう? じゃ何? 例のウイルスにでも罹っちまったか?」
 これには、アハハハ、と乾いた笑いが双方から漏れた。
「そんなわけないじゃないですか。幾つだと思ってんすか、俺もうすぐ二十六っすよ?」
 これも少しだけ嘘である。二十六歳は本当だが、ウイルスの件はそんなわけあった。
 と、俺は即座に対策を練り始める。たしか近隣に住む大学の旧友が最近VRアースを購入したらしく、フォローもしあっていたはずだ。彼の家はここから二十分もかからない距離にある。アースの中に入れさえすれば、動作確認は滞りなく行える。
 つまり、何とかなる、ということだ。
「……実はPCの調子が良くなくて、ですね。これから電気屋行こうと思うんですけど、明日の朝方まででも大丈夫ですかね?」
「まあ、結果何とかなりゃいいけどな。ほんと言えば、今日中にチェックしたかったんだけど」電話先の先輩は、全く良くなさそうにそう言うと、さらに少しためらったような間を設けたのち続ける。「本当はこんなこと言わないんだけどさ、仮にも見知った関係なわけだから言うけど。今回でラストにするつもりだから、うち。お前に仕事振るの」
「……へ?」
 呆気に取られ、変な声が出た。妙な汗も、そのあと、ドバッと。
「いや、そもそもうちも最近厳しくて、予算なかなか降りねえ状況なんだよ。でもって、お前に振ってる仕事ってとっくにAIでもできるやつだし。機械にできることは機械に任せようって、上層部が判断したんだよ」
「ちょっ、ちょっと待ってください。いきなり言われても、俺、これくらいしか仕事のツテなくって……」
 あまりに唐突な宣告に、耳が遠のく感覚がする。その電話口で、はあ、とため息をつく声がかろうじて聞こえた。
「これだって本当は納期一昨日のはずだろ? それをお前が仕事くれくれ言うから振ったのに納期は遅れる、そのくせ振込連絡に関してだけはいつもマメ。正直、仕事してて気持ち良くなれれば継続も考えたけど、ちょっとこれじゃあ続けらんない、って言うかさ」
 知るか、と思いつつ、言葉は出ない。
「つーかそもそも取引先切るとき、わざわざ宣告するビジネスマンいないぞ。ましてやもう部下でも何でもないお前に説教とかしたくない訳、こっちだって。分かる?」
 知るか。知るか知るか知るか。
「……すんません」
 力なくそう声が出たところで、向こうもその勢いは収まり始める。少し言いすぎた、と思ったのかもしれない。
「……まあ悪い、ちょっと熱くなっちゃったけど、でも、お前の為を思って言っておこうと思って。うん、じゃ、今回の修正だけはよろしくな。じゃあな。今度飲み行こうぜ、奢るよ」と、そう一方的に電話が切られ。
 プッ、と短い音が鳴った。唾をはきかけるような、そんな音が。
 年収の半分を担っていた取引先を、俺は、この短時間に失っていた。
 画面上には、相も変わらずダラダラとしたやりとりを廃団地の中からお届けする、ワンダーフールズの姿があった。考えるよりも先に、俺の手はキーボードをタップし始める。

『これは黒歴史確定』
『つまんなすぎて草も生えない』
『こんなん何の意味があるのか』
『しねカスぼけナス』

 そう打ち込んでは、次々にreturn。
 かくして、紛れもない荒らしコメが大挙にアップされることになった。本来であれば荒らしは配信が盛り上がるまで様子見しよう、とそう考えていたわけだが、事情は変わる。俺はとっくに我慢の限界を迎えていた。
 すると、不思議なことに。
 先のコメントがまるで自分自身に返ってくるような、妙な感覚を覚えるのだった。やりきれないような、けれどどこか清々しいような、例えるならばダウナーな麻薬をやっているような気分だ。
 薄々は、感づいていた。
 俺は、誰かの動画を荒らしたいわけじゃない。
 自分の心を荒らしたいんだ。
 つまらないくせに不毛な足掻きを続ける彼らの、その心を折れさせるよう言葉を投げかけることで、自分の心を荒らしたいのだ。不甲斐ない自分を、他人を介して罵倒することで、精神のバランスを保っているのだ。
 何とタチが悪く、何とお手軽で、それでいて何とはた迷惑な趣味嗜好だろう。だからって、辞められるわけじゃない。辞めたいとも思わない。辞める必要すら感じない。
 俺が気持ちよければ、それでいい――。
「……つまんなくて悪かったな、モクジン」
 俺のコメントに気づいた安藤が声を上げて、俺をハッとさせる。モクジン、とは言わずもがな俺のアカウント名だ。名指しされたことで配信に、そして俺の背筋に、少しばかりの緊張感が走る。
 正直、反応してくるとは思わなかった。
 が、これはこれで好都合だったりする。彼らが配信で反応すればするほどその模様は醜くなり、結果、視聴数は減る。残念だが、向こうは俺の術中にハマったのだ。ここは用意できるだけの薪を焚べ、このボヤをさらに盛り上げた方がいい。そう判断した俺は、すかさずコメントを打ち込んでいく。
 が、次の動きは彼らの方が一歩早かった。続けて安藤が口を開く。
「だけどな、俺らの配信はこれから面白くなるんだわ。面白くなるまで俺らは死なねーんだわ」
 安藤は指を指し、そのモデルの目をかっ開いて、続けざまに言う。
「お前もどうせこんな誰も見てないような配信見てるくらいなんだ、暇なんだろ? だったら、付き合え。俺らがビッグになって、世界を変える日は近い。それは間違いないから、付き合え」
 そう言って、真壁。
 つまり画面を超えて俺のことを指差し、不敵に微笑むのであった。
 その画面いっぱいに映し出された自信満々な表情に、俺はすかさず手を止め、また彼のことを凝視してしまっていた。

 ――どうして、そんな自信が、湧く?

 叩かれることが、不安ではないのだろうか。怖くはないのか。人に見捨てられることが、バカにされることが。これから先の人生を憂いたり、絶望したり、破れかぶれになりたくなったり、しないのだろうか。
 あるいは、まさか。こいつらは本当に、まだ、有名になれるその勝算があって。その未来を夢見て。その希望を胸に抱いて。
 この配信を、行っている、とでもいうのか。
 だとしたら、こいつら――。
「……相当のバカ、だろ」
 そうひとりごちながらも、俺の口元が不思議と歪んでいることに気づく。
 どうやら、笑ってしまっていたらしい。

 さて、荒らしのモクジンVSユーチューバーのワンダーフールズ。誰からも注目されていない、この一戦の行方。
 今回の配信が終了した時点では圧倒的に、どう見たって俺の勝利だった。
 何故ならば彼らはこの配信において、例の亡霊と遭遇することはおろか、その手がかりすらも掴めないまま。何の爪痕も残せなかったのだから。
 7階建ての団地のためさしてその中は広くなく、彼らはその廊下をとっくに二周ほど回っていた。あまりに画変わりしないことを恐れたのだろう、彼らは方針を切り替え、団地に作られた一室一室を隈なく物色していく、という極めて地味な作業を繰り返していた。
 が、それも悪足掻きに他ならない。そもそも部屋の中はどれも均一で、最初に覗いた部屋やアカウントの死体にはまだ新鮮味があったものの、複数の部屋を覗いた後となれば流石に慣れる。あれほどビビってた堀田ですら、今や率先して毛布をめくっているくらいだ。
 配信には嫌な空気が漂っていた。倦怠感からギスギスとし始めているのかもしれない。時刻は二十二時。配信開始から三時間が経過し、リアルタイムでの視聴数は8人と、ついに一桁まで到達してしまう始末である。
「……次でラストにしようか、時間的にも」
 安藤が投げやりにそう提案するも、他の二人に否定する材料はなく、その部屋を出て隣の部屋へと足を運ぶ。その部屋の番号は、404号室、となっていた。
「一番、不吉っぽい部屋ではあるけど。ま、どうせここも……」
 そう諦めのような一言とともに、流れ作業のように安藤が、そのノブを握る。すると。
 ガチャ、ガチャ。
 ガチャガチャガチャ。
 徐々にエスカレートしていくそのような音が廊下に響くだけで、画面上に変化は一向に見られない。
「どうした?」
 真壁が待ちきれず尋ねると、安藤がゆっくりと顔を向ける。
「ダメだ、開かないわ。鍵掛かってる」
「嘘だろ? 入れない部屋もあるのか?」
 真壁の必死な推測に、安藤がすかさず隣の部屋の扉に手を掛ける。しかし、それは呆気なく開く。また隣は、そのまた隣は、と調査の対象を変えて扉を開け放っていくが、どの部屋も同じことだ。
 堀田も堀田で、鍵の掛かった404号室の扉に体当たりでぶつかってみる。も、ビクともしない。当然だ。VRアースはデータの世界なのだから、物理衝撃など無力に等しい。
 力のないため息が三つ、廊下に反響して――。

 そうして、配信はエンディングを迎えることになった。大団円とは程遠い、しこりの残るエンディングだった。
 彼らは団地を出て、今思えば一番心踊った最初の、あの廃団地入り口のところに着くなり、すかさずタラタラと喋り始めた。その内容は、
「まあ最初は棒倒しだったわけで」といった言い訳のような、あるいは。
「次の配信にご期待ください」といった敗北宣言のような、ないしは。
「チャンネル登録お願いします」と命乞いするかのような言葉ばかり。
 実に無様な三人だ。視聴者数はさらに減って、今や4人。残りの3人すらもただ再生しているだけで、ちゃんと見ているとは限らない。
 未だかつて、これほど誰からも注目を浴びてない配信を、俺は見たことがなかった。当然、そんな配信を荒らしたこともなかった。
 俺の心にはやり切れなさが募っていた。勝ったことによる爽快感は微塵も存在せず、妙な落胆だけが心を埋める。
 ――あの、息巻いたような宣言は。一体、何だったと言うのだ。
 呆れ返るような気持ちと同時に、少しばかりの虚しさを抱いている自分自身に気づく。あほくさい。彼らが俺のこの不毛な時代に終止符を打ってくれるのではないか。そんなくだらない期待を、どうやら少なからず抱いていたようだ。
 嫌悪感から、また、心が荒む。
 心が荒めば、何かを荒らしたくなる。
『クソ配信乙』
 そうして、returnから指を離す――。
 その直前。
 ふと、配信に目が奪われて、手が止まる。
 無論、彼らの言動にではない。一瞬、背景の何かが動いたような、妙な違和感を抱いたからだ。俺は、その違和感の正体を確かめるべく、画面の隅々まで目を凝らしていく。
 すると、団地の壁から見える一室の窓から。またしても一瞬。
 今度ははっきりと人影とわかる、それが見えた。
 しかも、その部屋の位置は1、2、3。
 端から数えてもまた1、2、3。
「404、号室……」
 から見えていたことを理解する。
「ご視聴ありがとうございました! チャンネル登録よろしくです!」という発声と同時に、配信はそのまま終了となった。
 真っ暗な画面には、部屋に佇む俺が映っている。
 その画面に映る俺の、頭の中は激しく、回転していた。
 この怪奇現象の謎を解明したいとか、怖いとか、そんなんじゃない。どちらかと言えば、この現象が何かに活かせないか、そんなことを考え始めていた。
 ――仮に。
 もし仮に、この怪奇現象がどこかで取り上げられて、彼らが有名になる手がかりを掴めば。その上で、こいつらを完膚なきまでに叩いて、荒らしまくれば。
 このやり切れなさについて、少しは解消するのだろうか。
 この不毛な時代に、終わりはきてくれるだろうか――。
 そんなことを思う自分を俯瞰で見て、どうかしてるな、といよいよ思う。こいつらも大概だが、俺もとっくに大概だった。
 まあいい。もう、どうだっていい。
 ひとまず今回のところは引き分けとしてやろう。ついでに置き土産も用意しておいてやる。その上で、このしょうもない仮説が正しいかどうか見極めてやろうじゃないか。
 そんな、誰に向けた訳でもない言い訳を脳内に並べ立てながら、俺は先ほどまで見ていた配信を少しばかり巻き戻す。そうして一時停止し、スクショを撮って、それっぽい見出しの2ちゃんのスレを立ち上げる。画像と、そしてこの動画のURLを貼っ付けて。

【怪奇現象】ユーチューバーの肝試し配信中に、誰もいないはずの窓から人の顔が覗き込む事案が発生【VRアース】

 と、書き込み、returnを押していた。
 ――まあ、こんなんで上手く行くほど、バズるってのは楽じゃないんだけども、などと思いつつ。クソ配信乙。
(つづく)

※お読みくださりありがとうございました。第二回は4/14日の20時に公開いたします。


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