名もなきヘッダー

『名もなき王国』倉数茂

ロマンティック。つまり小説的。
――いとうせいこう

美しく作りこんだ物語を倒壊させ
見事に読者の足をすくう
――金原瑞人

眩惑的な構成で読者を踏み迷わせる大作
――千街晶之

物語の豊饒な海に生まれた
一顆(いっか)のバロック真珠
――皆川博子

三人の小説家は、語り、騙る――。
俊英が放つ圧倒的傑作!

倉数茂(くらかず・しげる)1969年生まれ。大学院修了後、中国大陸の大学で日本語を学ぶ学生を対象に5年間日本文学を教える。2011年『黒揚羽の夏』でデビュー。それを含め、これまでに三作の小説を発表している。

7月25日より10日間限定、この480ページの大長編を全文無料公開させていただきました。ご覧いただきましたみなさん、応援してくださったみなさん、ありがとうございました。本日8月4日より書店にて発売しております(電子書籍も同時発売)ので、お手にとっていただければ幸いです。
『名もなき王国』の全文は、有料ではございますがnoteで全文お読みいただけます。



また、第一章は無料のまま以下よりお読みいただけますので、ぜひご覧いただければ幸いです。

それでは、以下より「序」と「一章 王国」をどうぞ!

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名もなき王国


 これは物語という病に憑かれた人間たちの物語である。
 三人の主要な登場人物がいる。まず著者である私。私の友人で、三十代の若き作家である澤田瞬。そして彼の伯母であり、伝説の遠い霧にかすんだまま十数年前に世を去った老小説家、沢渡晶。
 特に沢渡晶に関しては、彼女の忘れられた著作(のごく一部)を世に出した、という一点だけでも本書は評価されるべきだろう。幻想文学という冥い鉱脈には誰にも注目されないまま仄かな光を放っている輝石があまた存在するが、そのなかでも彼女は、独特の密やかな魅力を持っている。たぶんこの本がなければ、晶の存在は忘却されたままであり、数少ない著作は、散逸して永遠に失われてしまったにちがいない。私の調査では、生前でも彼女について触れた書評、論評のたぐいはただひとつしかなく─雑誌『牧神』十二号(一九七八年・牧神社)の匿名子による記事「歪んだ真珠に映る顔は誰?」─死後にいたってはゼロである。もっとも中井英夫がどこかの談話記事で、彼女について好意的に言及しているという話があるが、真偽を詳らかにすることはできなかった。もし情報をお持ちの方がいたらお知らせ願いたい。このように彼女は無視され、素通りされた作家であって、再評価は急務である。私としては、倉橋由美子や高橋たか子、吉行理恵といった同世代の女性作家のかたわらに置いて比較してみたい誘惑に駆られる(さらに有為の評論家諸子には書誌情報などの面で協力する準備があると申し添えておくし、もし彼女の作品集を発行したいという奇特な出版社があったら早急に連絡をいただきたい)。四つの掌編小説とまだ二十代の頃に書いた中編小説(「燃える森」)がここに収められているが、掌編で目立つのは形式的な遊戯性である。さらにすべての作品において、閉ざされた部屋・屋敷に封じられた秘密を解読するという主題が反復されている。この孤立し、外界から切り離された空間というイメージこそが彼女の創作の源泉であったのだろう。それは最期まで他者と親密な関係を築かなかった彼女の人生のメタファーであったのかもしれない。
 晶の未発表原稿の束の発見は、澤田瞬の功績である。彼は親族の特権を最大限に活用して、晶の遺品の中から、縁が擦れ綴じ糸の切れかけた古ノートの山を掘り当てたのだった。それだけでも立派な文学的貢献だが、彼自身が新進作家でもある。
 彼の文学的資質や才能については、読者おのおのが本書収録の「かつてアルカディアに」に基づいて判断を下していただくのが良いだろう。短編ではあるものの、彼の想像力の質がよく表れている作品である。彼はSFだと主張しているが、ジャンル特有のギミックやテクノロジーへの関心を欠くので、SFファンには物足りないかもしれない。むしろ伯母の作風とも共通する厭人癖を感じるのだがいかがだろうか。もっとも私自身は、ある複雑にもつれた事情によって、彼とニュートラルな距離を保てなくなっているので、公正な評価を下せる立場にない。
 本書の末尾で示されるように、ある意味では彼はすでにこの世界から飛び立った。彼が向こう側に立ち去るにあたっては、私はその立会人をつとめた。
 最後に私自身について簡単な説明をさせてもらいたい。
 私は一九六九年に生まれ、現時点で四十九歳の中年の小説家である。デビューは二〇一一年。それまでは中国大陸の大学で、日本語を学ぶ学生を対象に、日本文学を教えていた。主に児童向け読み物で知られる某書肆より出版された、訪れた田舎町で殺人事件に出会う少年たちを描いたジュブナイルを皮切りに、これまでに三冊の作品を発表している。これらの作品は、いわば満場の無関心によって迎えられた。もっとも、無名作家であることは、人がこの世界で甘受しなければならない不幸のなかでは比較的無害なものだろう。それよりも辛いことなど幾らでもあるからだ。
 本書の成立は、私と瞬との出会いまで遡る(「王国」参照のこと)。私は即座に彼が「もう一人の自分」であることを感じ取った。私たちを結びつけたのは、物語への愛、あるいは物語という檻から逃れられずにいる焦燥であった。物語を語ると言う。しかし正確には、物語が人を通して語っているのだと思う。私たちが生きている現実、ひいては私たち自身も、その物語の産物だと考えたほうが実情に合うのではないか。
「ひかりの舟」は彼から聞いた話を基に私が作品化したもので、共作と呼ぶべきかもしれない。とはいえ語りはつねに騙りであろう。瞬が、私の作品のなかに虚構を見出さないとは限らない。
「王国」と「幻の庭」の二作は、それぞれ最初と最後に読んでいただきたい。私たち三人を理解してもらうためにはそれが必要だからだ。
 なお本書を読み終えた人々の一部が私を病んでいるとみなすかもしれないことは承知している。その人たちは私が幻想に溺れ、正しく現実を認識できずにいると考えるかもしれない。だが私はそうした非難を甘んじて受け入れるつもりである。その上で問い返したいのだ。誰が、幻想と現実のあいだに明瞭な境界線を引けるだろうか、と。
 現実とは何か。私とは何か。私自身もまたひとつの虚構であり、死者や不在の別の顔ではないとどうして言えるのだろうか。
 もっとも、そうした解きがたい問いをここで投げかけたいわけではない。私は読者にひとときの愉しみを得てもらうことだけを望んでこの作品を書いた。
 愉しんでいただければ幸いである。

著者記す


一 王国

 伯母は、自分の支配地のことを「王国」と呼んでいました。より長い呼び方は「小さな秘密のものたちの王国」です。「失われた小さなものたちの王国」だったこともあるし、「いつのまにかなくしたものたちの庭」だったこともあります。またときには、「失われた粒子の庭」と呼ぶこともありました。死んだり、消えていったりしたものは、焼かれて灰となり原子にまで分解されても、必ずこの庭に帰ってくる。そして木や草や風となって甦る。だからここは、死者たちの庭だというのです。いずれにせよ、伯母はその古びた屋敷と周囲の庭からなる領土に専制君主として君臨していたわけです。けれども、実のところ彼女は例外的なまでに寛容な支配者だったと言っていいでしょう。面倒だったんでしょうね。要は放任主義だったんです。彼女は細かな物事を把握するとか、ひとつひとつの物事の違いを覚えておくといったことが異常なほど苦手でしたから。だから、彼女は自分が臣下とみなしていたものたち、つまり僕たちこどもだって、きちんと区別がついていたのかは疑わしい。彼女にとっては、みなまとめて「こどもたち」であって、一人一人なんてのはどうでもよかったんじゃないでしょうか。れっきとした甥っ子である僕ですら、きちんと名前を覚えてくれなかったんですからね。よく、少し迷ってから、シュウと呼んだり、ジュンと呼んだりしていました。兄貴とまちがえてコウと呼ぶのもしょっちゅうでした。さすがにうんざりして、「僕は瞬だよ、伯母さん」と口答えしたところ、やにで黄ばんだ歯を剝き出しにして、「そんなこと、私にはどうでもいいの」と言ってのけましたから。
 でも、その徹底した無関心こそが僕らには都合がよかったんです。なにしろ、一切干渉されないわけです。遊ぼうが、喧嘩しようが、ソファで昼寝を決め込もうがまったくの自由。お腹が空いたら、冷蔵庫から何かを持ち出して食べたっていいんです。冷凍のピザを焼いて食べている子なんかがいました。もちろん伯母のものです。もっともまめに買い物なんてする人じゃなかったから、食料が尽きると、適当にそのへんの子を呼んで、お金を渡して、食料を調達してくるように命じるだけなんですけどね。
 食べるものが豊富というわけじゃなかったけど、なにかしらはありました。賞味期限のきれたプリン、齧りかけのチーズ、レーズンだけをほじくった後のパン、という具合。むろん清潔とは言い難いにしても、こどもたちはそんなことは気にしません。僕らが求めていたのは森のなかの「お菓子の家」ではなかった。庭先にテントを張って、探検家ごっこをしていたときに、お湯をかけずにインスタントラーメンを齧ったのは憶えています。我々は標高八千メートルのヒマラヤの山中にいて、吹き荒れるブリザードのためどうしても火が起こせないという「設定」だったんです。粉末スープをふりかけながらだと、結構いけるんですよね。
 そういうわけで、伯母の家は、近所のこどもたち、それから中学生くらいまでが、勝手に出入りする治外法権になっていました。高校生はさすがにめったに来なかった。一度、庭の片隅で、十代のカップルが夕闇にまぎれてペッティングを始めたことがあったんですが、何が癪にさわったのか、伯母がいきなりホースで水をかけましてね、野良猫じゃあるまいし、ほうほうの体で逃げていきましたよ。みんなで大笑いしました。
 よく近所の親たちが許していたものです。今じゃとてもあんなことは無理でしょう。田舎町ですから、伯母は幾つになっても『澤田家のお嬢さん』ということで大目に見られていたのかもしれません。一応旧家、代々つづいた医者の家ですから。あのお嬢さんは変わり者だから、芸術家肌だから、昔お世話になったから、というところでしょうか。その澤田病院も今ではなくなってしまいました。
 屋敷の方も、以前は診療所として使われていたそうです。戦後の一時期には、結核の療養所だったこともあるそうで、ベッド数が十五の小規模な施設ですが、それでも通常の民家よりははるかに大きかった。部屋数は二十前後でしょうか。もっとも僕たちが出入りしていた頃にはすっかり老朽化していて、いささか廃墟めいた雰囲気を漂わせていました。一人暮らしの老嬢には大きすぎるその屋敷を、こどもたちに開放していたというわけです。
 伯母が、ふだんどういう生活をしていたのかはよくわかりません。おそらく明け方までずっと起きていたのではないでしょうか。姿を見せるのは、たいてい日が傾きだすころ、その時刻になると、玄関のホールにつづく大階段にのっそりと巨体をゆすって現れ、なんとも憂鬱なまなざしで、呆然と邸内を見下ろしていたものでした。それは、衰退し、混乱の極みにある領土を嘆く王侯のまなざし、失って二度とかえらない栄華を追憶する女主人の視線であったのだろうと思います。あるいは彼女の脳髄では、寝る前に読み書きしたことばに由来するイメージが、夢で出会ったあやかしとひとつになって、まだ渦巻いていたのかもしれません。もともと彼女は、夢とうつつのあわいに暮らしているような人でした。
 そうです。執筆もつづけていたのです。夜な夜な、彼女はノートにいろいろと書き綴っていました。想念のなかで見え隠れしている小魚をペン先でつかまえる苦しさについて書いた文章もあります。残念なことに、それらが活字になることはほとんどなかったのですが。
 寂しい老女が野良猫に餌付けする。その猫がこどもになっただけだなんて悪口をいう大人もいました。けれどそれは案外あたっていたかもしれない。野良猫の立場からいわせてもらえば、僕たちは伯母の屋敷を我が物顔でうろついていたけれど、決して飼われているわけではなかった。僕たちと伯母のあいだには、暗黙の契約のようなものが存在しました。僕たちは伯母の領域を侵さない。伯母は僕たちには干渉しない。野良猫が餌をくれた人間になつくわけではないように、僕たちも伯母に感謝こそすれ、甘えたりすることはありませんでした。われわれは互いに無関心という紳士的な距離を保ちつづけました。
 ここで伯母の生涯がどのようなものだったのかを、簡単に明らかにしておきましょう。澤田晶、筆名沢渡晶が亡くなったのは、誤ってひとつの世紀が終わるとされていた年、一九九九年でした。享年六十一。生年は一九三八年、満州の首都であった新京で誕生しています。
 当時彼女の父親は、その地の病院で勤務医をしていたのですが、引き揚げの途中で亡くなり、実家でもあった病院の経営は長兄に引き継がれます。戦後の混乱期、医者であっても生活は苦しかったと言いますが、それでも食べるもの、着るものに事欠くなどということはなく、それなりの暮らしではあったようです。四人兄弟の三番目でした。長兄は十五歳も年が離れていて、戦時中にはもう軍医として働いていました。次兄は少しかわった人だったようです。この人のことは僕もよく知りません。末弟は、戦争中はずっと内地にいたそうで、この一番下の弟が僕の父になります。
 伯母は幼い頃から、本好きのこどもだったようです。家にあった戦前のこども向けの本、小川未明や巌谷小波だと思いますが、それらを読み漁り、読みつくすと兄の文学書に手を出し、それまで読んでしまうと医学の本や思想書まで意味もわからず読んでいたそうです。僕が聞いたエピソードでは、小学生のとき、「ある人が王であるのは、周りの人が家来として仕えるからに過ぎないの」と言い、なんでそんなことを知っているのかと聞かれると、「だって『資本論』に書いてあったもの」と答えたそうです。
 そういう本がよく読まれていた時代の挿話ではあるのでしょう。もっとも、彼女が頭脳明晰な神童タイプであったとは思いません。十代の頃は画家になりたいと願ったこともあるようですが、家族の反対で諦め、女子大の文学部に進学しました。ところが、二十一のときに休学届を出し、復学しないまま除籍になっています。
 その時期から、独特の偏屈さ、人間嫌いの性質が現れはじめます。若いときはそれでも幾人かの文学仲間がいたようですが、やがて彼らとも絶縁してしまうと、人づきあいは一切絶えてしまったと言っていいでしょう。二十七歳のときに第一短編集、三十二歳のときに二冊目の作品集を出しています。ご存じのようにいずれも絶版。部数にしてもおそらく数百か、千にも満たぬところでしょう。彼女がいわゆる「文学的野心」のようなものをどれほど持ち合わせていたかは、判断に苦しむところですね。好意的な評も一部にあったようだけれど、総じて無視というか、端的に人の目にとまらなかったんでしょう。彼女の方も、それ以降は、マイナーな雑誌に短いものを数編発表したきりで、出版に向けて努力した痕跡はありません。もっとも彼女のノートには、次の著作の腹案が書き込まれています。
 僕が知っているのは、人生の最後の十年間の伯母、五十代以降の姿です。彼女はもはや屋敷の敷地の外へ出ることはありませんでした。世捨て人、奇人、隠遁者、なんとでも呼ぶことができます。運命のいたずらは、兄弟たちがすべて他の土地に家や仕事があったために、両親の死後、古い家が彼女一人の持ち物になったことです。もしその偶然がなければ、彼女は彼女でありつづけるわけにはいかなかったでしょう。不思議なのはどうやって日々の暮らしを立てていたかですが、おそらく遺産があり、さらに長兄から援助があったものと思われます。父の話によれば、傷んだ屋敷に修繕が必要な箇所がでてきたときは、兄弟が話しあって費用を負担したそうです。いずれにしても、彼女はとても裕福とはいえませんでした。冬になるとありったけの古着を重ね着していましたが、よく見るとかならずどこかに穴が開いてました。けれどもまったく気にしなかった。たぶん何年も衣服を買ったことなどなかったにちがいありません。どうせ人と会ったりしないのだから、どうでもいいという考えだったのでしょう。
 そのようにして、その場所は、忘れられた小説家である伯母が立てこもる夢と幻影の城、時の流れから隔絶した、こどもたちだけが入国を許された「王国」となったのでした。
 そして、このような言い方をするといかにも気取っているとみなされるのは承知の上で告白するのですが、ある意味ではあの時以来、僕も心の本質的な部分においては、伯母の「王国」の住人でありつづけているのです。
 そのように瞬は語った。

 人と人が親しくなる瞬間、そこにはどのような磁力が働くのだろうか。目と目が合った瞬間ふっと心が和む。気がつけば、十年の知己のように話し込んでいる。つながりというのはそのようにして生まれるものだ。普段私たちは、人との間に半透明のシャッターを降ろし、おそるおそる隙間から握手をしたり、挨拶を交わしたりしている。開けっぴろげな人でもそれは変わらない。というより、彼らはフランクさという壁の向こうに姿を隠しているのだとも言えるだろう。だが、そうしたシャッターが降りる前に親しみが生まれてしまうことがある。なぜ特定の人とだけそのような溶融が起きるのかわからないが、たぶん、ちょっとした目配せや、しぐさ、ほんの一瞬の声の響きなどが重要なのだろう。
 私が瞬と初めて出会ったのは、ある気乗りのしない宴会でのことだった。それがどこであったのかすらもう覚えていない。渋谷か新宿か、そのあたりだと思うのだが、居酒屋ばかりのビルの地下の会場に到着してみると、座敷はすでに二十名ほどの参加者で埋まっていて、誰かの音頭で乾杯をすませたところだった。一応、若手作家たちの集まる会ということになっていたので、私は落水した人間が救命ブイを探す心地で、数少ないこの世界での知り合いを探したが誰もいなかった。せめて私をこの会に呼んだ人間の近くに座りたいと思ったが、数ヶ月前に編集者に一度引き合わされただけのその男の顔をすっかり忘れていた。そもそも、なぜ、私にお呼びがかかったのかわからない。たぶん向こうの方でも、手当たり次第に招待メールを送ったのだろう。そのメールには、「日本の文芸カルチャーのニュー・フロンティアを切り開く」ために、「ネットの内外で活躍するユース・クリエイターの交流オフ会」を定期的に開くつもりだと書かれていた。私はすでに「ユース」とは言い難かったし、自分が「ニュー・フロンティア」に縁があるとも思えなかった。それなのに、のこのこと出かけてしまったのは、当時の私が陥っていた職業上の不振に由来する気の弱りのせいだというほかはないだろう。私は浅はかにも、見知らぬ同業者と話しあい励ましあうことで、再び原稿と向きあう気力を取り戻せるかもしれないと期待し、さらにそこから伝手が広がって仕事の依頼につながることだってあるかもしれないと夢想していたのだ。
 だが、上がり框で靴を脱ぎ、座敷で飲み食いしている男たち(女性は一人もいなかったと思う)の一部となって、すぐに考えの甘さを後悔することになった。周囲で交わされている会話(マイナーなアニメとネットゲーム)に一言も加わることができなかったし、飛び交う固有名詞もまったく耳にしたことがないものばかりだった。隣に座っていた長髪を後ろでまとめた男の名刺には、「ことのはクリエイター」とあり、何をしているのかと尋ねると、なろう系小説の有望な書き手をピックアップして、人気ボカロ動画のノベライズを書かせることを企画しているという。私がよく意味がわからずおたおたしていると、反対側から、それよりもキャラクター愛を軸にしたメタ創作ワールドの展開の方にビジネスチャンスがある、という異論が出た。n次創作を動的に掛け合わせることで集合的無意識が自走するのだという。つづいて、作品構成における萌え要素の適切な配分について議論は移り、私はまったく場違いの場所にきてしまったことを自覚した。そして、自分が完全に時流に取り残されており、周囲からはネアンデルタール人のごとく見えていることも。
 だがしばらくのあいだ、私を迂回して交わされることばの応酬を追ううちに、彼らが作家や小説家と名乗りながらも、あまり作品を書いている様子がないことに気がついた。私の左右前後にいた六人のうち、著書の出版経験があるのは二人だけであり、それも一冊に過ぎなかった(私はすでに三冊出していた)。
 作家が、水を向けられると最初は口ごもり、それから韜晦めいたことばを口にして追及を逃れようとし、最後に堰を切ったように話し出してとまらなくなる話題がある。現在、執筆中の作品についてである。それはあらゆる作家にとって、公にできない恋とおなじく最高の秘め事なのだ。だからうかつに外気にさらして色褪せさせてしまうのを怖れると同時に、自分の恋を打ち明けたくてうずうずしている、それが作家なのである。
 けれど、私が一緒にいたあいだ、書きかけの作品の魅力について、その設定や人物や情景について、熱に浮かされたように語りはじめるものは一人もいなかった。いつかこういうものを書きたい、こういうジャンルに挑戦してみたいと展望を語るものもいなかった。
 私は疎外感とともに強い退屈を覚え始めていた。これ以上ここにいても得るものは何もないだろうと思った。私はきょろきょろと辺りを見回した。この場の苦境から抜け出す手がかりになるもの、できたら、それをきっかけに「今日はこれで失礼します」と言い出せるものを探していたのだ。まず幹事を特定する必要があった。それがわかれば、彼に金を差し出して、辞去の挨拶をすることができる。だが周囲に尋ねても、誰が主催者なのか誰も知らなかった。彼らは打ち解けているようで、お互いのことをよく知らなかった。
 そんなとき、一人の男の姿が目にとまった。彼は座敷の一番隅の卓でうつむいていた。私が一応周囲のことばに耳をかたむけるふりをし、ときにはそれらしい相槌をうっていたのに対して、彼は完全に超然と周囲を無視してかかっていた。その顔には、微笑みととれなくもない柔らかな表情がただよい、孤立していながら、苦痛を感じていないことが見てとれた。
 私は「失礼」と言って立ち上がり、グラスを持って彼に近づいた。
 上から覗き込むと、彼が店の紙ナプキンにボールペンでなにか描いていることがわかった。店にいる他の男たちのスケッチだった。リアリズム風の達者な筆致で、風刺の意図は感じられなかったものの、当人たちが見たらやはり厭な気持ちになっただろう。彼は私の視線に気がついて、すばやくナプキンを片付けた。
「隣に座ってかまいませんか」
「ええ、もちろん」
「どうも馴染めなくて。みんなの話題についていけないんです」
「それは僕も同じです。僕は同世代とずれているらしいんですね」
「そうですか。すっかり自分が老人になった気分でしたけど、そのことばを聞いて安心しました。年齢だけの問題ではないんですね」
 男は澤田瞬と名乗った。年齢は三十になったかならないか。私とは一回り以上離れている。しかし色の薄い瞳をまっすぐに相手に向けて、ゆっくりと話す口調が私の緊張を解除した。彼自身、充分にくつろいでいるようだった。もしも私が彼の立場─つまらない飲み会に一時間耐えたあとで見知らぬ男から話しかけられる─だったら、もっとぎこちなくふるまったにちがいない。妙につっけんどんだったり、不必要に迎合的だったり。
 けれど瞬の態度は申し分なかった。彼は私の著作について尋ね、その本をまだ読んでいないことを詫び、できるだけすぐに入手すると約束した。
 それから、自分も一応作家のつもりなのだが、まだマイナーな雑誌に数編の短編を発表しただけなのだと認めた。
「なかなか難しいものですね。着想だけは次々に浮かんでくるのですが、実際にとりかかろうとすると、一語も出てきてくれない。そうして気がつくと、机に突っ伏して眠っている。朝が早い仕事なのでどうしても睡気が勝ってしまって。もう少し休みを取れるとよいのですが」
 私は心から同意した。私たち駆け出しの作家にとって、もっとも貴重なのは時間であり、次はこちらのことを忘れないでいてくれる編集者である。どちらも最初は充分持ち合わせがあるように思えるが、たちまち炎天下の水たまりのように干上がってしまう。
 ここでひとつ注釈を加えておこう。その時点で私はすでにデビューして四年が経っていたので、「駆け出し」というのはいささかおかしいかもしれない。しかし、著作の数はまだ五冊以下で、業界関係者からは認知されておらず、全国の書店員は私の名前からまったくどんな刺激も受けなかった。ゆえに、著作も目立たぬ隅の棚にそっと遠慮がちに置かれるだけだった。
 もちろんそれで満足しているわけではない。小説を書いているものなら誰もが、いつか自分の名前と書名が電車の吊り広告の上で躍り、店先の平台に新作がうずたかく積み上げられ、話題となり、賞賛され、新聞の書評欄が一斉に自著をとりあげて、「世紀の問題作」だとか「文学史に新たな一頁を刻む」といったことばの花束で飾り立ててくれる日を夢見ている。そして何より肝心なのは、ついに勤め先に辞表を提出する日がやってくる(贅沢は言わない、年収三百万の見込みがあれば私はそうするだろう)ということだ。その瞬間の自分の口調や表情、上司の啞然とした顔をあれこれ想像するだけで、十五分は愉しむことができる。私たちはいつまでたっても諦めない。いつか華やかに開花する日が来ると思っているから、五年経とうが十年経とうが自分は「駆け出し」だと信じているのである。
 だがほとんどの作家たちは、一生「芽が出ないまま」で終わる。私もまたそうかもしれない。実際に印税収入だけで食っていける作家などというのは悲しいほどに一握りなのだ。十九世紀小説風の比喩(だと思うのだが)を使えば、私たちは、婚約者が現れるのを待っている痩せこけた老嬢のようなものである。
 そもそも、ろくに本を出せない作家は「作家」なのだろうか。医師免許を持っていても、医療と縁のない人間を医師とは呼ばないし、法曹の世界にいない人間を弁護士とは言わない。しかし、一冊本を出してしまえば、「作家」である。少なくとも彼らはそう名乗りたがる。たとえそれが二十年前でも。これはある種の詐称ではないだろうか。そうした人々を蔑むつもりはない。なぜなら自分もそうなりつつあるかもしれないからだ。元「作家」、自称「作家」の老人になっている自分の姿が見える。だがそうした情けない末路を想像してもなお、きっぱりものを書くことをあきらめる気持ちにはどうしてもなれない。
 よろしい。私の本が書店の天井近くまで積み上げられることはないだろう。ドラマ化も映画化も、お追従めいた書評が雨あられと降り注ぐこともないだろう。出版市場はこれからも縮小し、ソーシャルゲームに敗退した小説は、叙事詩や騎士物語と同様に滅びたジャンルとして歴史書に記載されるだろう。それにどうせそのうちシンギュラリティが訪れて、人類は機械生命の出来の悪い下僕の地位に落とされるのだ。だが、そんなことはまったくどうでもいい。自分が死ぬまで書きつづけられるのなら。なぜか。それは、私が物語を語ることと抜き差しならない恋に落ちているからだ。それは二十四時間三六五日、胸の裡で熾火のように執拗な炎をあげている。これは実生活においてプラスに働く恋ではない。むしろ職場での出世を妨げ、夫婦関係に不和の種を蒔き、こどもたちを離反させる類のものだ。なぜなら、仕事に熱意を注いだり、身近な人間との時間を愉しむかわりに、一刻も早くPCの前に戻りたいと思わせるからだ。キーボードを叩いている瞬間の方にこそ、真の人生があると感じているからだ。
 話を元に戻そう。瞬に出会って数分で、彼もまた同族であることを感じ取った。静かで控えめな物腰の奥から、書くことへの暗い情熱の炎がちらちらと仄見えていた。同じ宗教の信者が街路でお互いを認め合い、性的嗜好を共有するものが、映画館の暗闇でうなずきあうだけで同意できるように、私たちはたちまち打ち解け、偏愛する作家や作品について語り合った。周囲の男たちの声は、遠い潮騒にしか聞こえなくなった。
 だが、本当に我々を近づけたのは、二軒目の店で知らされた驚くべき事実だった。もちろん、私たちは二人きりになっていた。古びてはいるが感じの悪くないバーのスツールに腰掛けて、私たちはちょっとしたゲームを愉しんでいた。ルールは簡単で、自分の好みの作家の名前を挙げて、相手が読んでいなかったら一点、名前すら聞いたことがなかったら二点獲得、というものだった。実力は伯仲していたし、バーの勘定を賭けていたせいもあって勝負は白熱した。私はヴァーノン・リーで一点稼ぎ、大坪砂男では瞬に一点を提供した。ロバート・エイクマンはどちらも大好きな作家だった。唯一こちらが二点獲得できたのは、『千代曩媛七変化物語』という読本を書いた振鷺亭の名を挙げたときで、私はこの忘却された近世作家を大学で気まぐれにもぐった授業で読んだのだった。岩波の『新日本古典文学大系』にすら収録されていないのだから、専門家でなければまずは知らない名前にちがいない。逆に一番悔しかったのは、マルセル・シュオッブの名を挙げられたときだった。十年来気になっていたが、まだ読んでいなかったのだ。彼が九点、私が八点になったとき、私に問題を出す番がまわってきた。どちらかが十点に達したらゲームオーバーと決めていたので、ここが勝負どころだった。私はせわしく記憶を探ったのち、ひとつの完璧な固有名詞を見つけ出した。さぞや得意顔だったにちがいない。
「これはあなたも知らないと思う。一九六〇年代から七〇年代にかけて短編集を二冊出しただけなんだ。現在、存命かどうかすらわからない。ちょっとひねくれているが、独自の味わいがあると思う。もっと記憶されていい幻想作家だよ。短編集の名前はそれぞれ『琥珀』と『瑠璃』。作者の名は、沢渡晶」
 その瞬間、瞬の顔に浮かんだ歓喜の表情を今でも覚えている。
「沢渡晶。その名前を人の口から聞くのは初めてだ」
「じゃあ、知ってるんだ」私は失望した。
「知ってるどころじゃありません。じゃあ、今度は僕から質問します。もし答えられたら、勘定は僕が払います。沢渡晶には、第三短編集の腹案があった。彼女が考えていたタイトルはなんでしょう」
 私は困惑した。
「まさか、これほどこの作家に詳しいとは。うかつだったよ。人からこの名を聞いたことがないものだから、よっぽどマイナーなんだと思っていた」
「マイナーですとも。僕が詳しい理由はすぐに説明します。まずは問いに答えてください」
「うーん、『琥珀』、『瑠璃』だから、そうだな、『紫水晶』でどうだ」
「惜しい。『瑪瑙』です。彼女の手書きのノートにそうある」
「沢渡晶のノート!」私はあらためて感嘆した。「そんなもの、どこにいったら見られるの。どうしてそんなことを知っているわけ」
「ノートは今でも僕の部屋にあります」瞬はうなずいた。「彼女の本名は澤田晶です。そして彼女は父の姉、つまり僕から見れば伯母なんです。小学生のころはしょっちゅう伯母の家にいりびたっていました」
 なんとまあ。私はぐうの音も出なかった。沢渡晶は、伝説の作家、と呼ぶにはだいぶ知名度に不足があったにせよ、深い霧につつまれた森の奥に眠る幻の作家たちの一人にはちがいなかった。二十代の半ばに、偶然手にした古本で彼女を知って以来、私は変わらぬ熱情を彼女に捧げてきた。もしも私が学者だったなら、書誌学的、伝記的、テクスト論的な論文をたてつづけに発表して、少しでも読書界に彼女の名を知らしめようとしゃかりきになっただろう。そのためなら「第二の尾崎翠」といったいかがわしいキャッチフレーズの使用もためらわなかったにちがいない。実際には、作風においても、活動時期においても、尾崎翠と重なる部分はほとんどないのだが。
 だが、まだ聞いておきたいことがあった。
「沢渡晶に関して、どうしても知りたいことがあるんだ。以前、古書店で古雑誌を漁っていたときに、たまたま彼女の短編を見つけてね、その場で買えばよかったんだけど、その日は持ち合わせがなかったんだ。それで翌日訪れてみると、もう無くなっていた。ざっと目を通しただけだから、はっきりとは覚えていないが、語り手は十五くらいの少女か少年だったと思う。その子が大きな屋敷に泊まるんだけど、そこには鍵のかけられた蔵があってね、そこで何かを目撃するんだったか、目撃されるんだったか。短編集には入っていないんだ。もっとあとに書かれたものだと思う」
「それは『少年果』だと思います」間髪を容れず瞬は答えた。「よろしかったらコピーを送りますよ」
「もう何年ももう一度読みたいと思いつづけてたんだ」私は飛び上がらんばかりに礼を言った。
「僕も彼女の作品をすべて把握しているわけじゃないんです」瞬は少し申し訳なさそうな表情になった。「膨大なノートもまだほとんどが未整理で。でも少しずつ作業を進めていくつもりです。あなたは数少ない伯母のファンだ。情報は共有したい」
 それから私たちは、『琥珀』、『瑠璃』の新装版を出す計画や、沢渡晶著作集の企画で大いに盛り上がった。別段具体的なあてがあるわけではなかったが、話せば話すほど、これほど文学的な意義のある出版物などないような気分になった。まちがいなくこれはセンセーションを引き起こすだろう。批評家や編集者たちは、草むした古屋敷の内側に、とてつもない才能が埋もれていたことに気がついて、愕然とし、つづいて熱狂するだろう。私たちもまた、貴重な文学的遺産の保護者として評価される。成功の予感と数杯のウイスキーは、私たちを酩酊の高みへと押し上げた。その晩、どうやってうちにたどりついたのか記憶がない。
 そのようなわけで、次の日は終日痛む頭を抱えながらベッドに横たわって過ごすことになった。頭蓋骨のなかで巨大な銅鑼が鳴りつづけている状態で考え直すと、昨日のアイデアはずいぶん色褪せて見えた。まず、沢渡晶は決して一般受けするようなタイプではない。少数の愛好者はいても、一部の目利きや好事家だけだろう。第二にあの瞬という男のことを何も知らない。彼のことばをそのまま信じ込んでいいのだろうか。昼過ぎには、沢渡晶が彼の伯母だとか、彼女の家で遊んでいたなどというのはすべてホラなのだろうという考えに傾いていた。確かに、沢渡晶の読者ではあるにしても、そこから先は話ができすぎている。帰り道でなくしていなければ、彼の連絡先を書いた紙切れが、どこかのポケットに入っているはずだったが、探しだす気にもなれなかった。
 こうして月曜日になると私は勤勉な労働者のマスクをかぶりなおし、顧客に猫撫で声を使い、上司の矛盾する指示を解釈し、電話をかけたり会議に出たりする合間の細切れの時間を使って、アイデアを手帳に十秒で書きつける日々に戻った。あいかわらず筆は進まず、魅惑的なプロットやキャラクターが降ってくることもなかったが、平穏だった。
 一週間後、家でパソコンを開くと、見知らぬアドレスからメールが届いていた。それが瞬からだと気がついたとき、かすかな苦々しさを感じた。彼はすでに半ば以上フィクショナルな存在だったので、虚構が現実に干渉するなんて図々しいと思いながら、メールを読んで驚いた。もはや期待もしていなかった『少年果』の雑誌コピーばかりか、存在すら知らなかった『海硝子』という作品も一緒に送ってきたのだ。それらはPDFの形で添付されていた。一読して、やはり魅力的な作家だと思った(その二作は本書に収録してあるので、自分で確かめてほしい)。メールには、まだ他にも雑誌に掲載されただけの作品が手元にあること、ノートにもほぼ完成稿と思われる作品があるので、いつかお見せしたいとあった。
 ここから私たちのやりとりが始まった。
 どちらも、話しているとき以上に書いているときにリラックスできるタイプだったので、勢いメールは長文になった。また、返答をせかすようなものではなかったために、返信がひと月以上後になることもざらだった。瞬は伯母の思い出ばかりでなく、自分の文学観や野心について、静かな、しかし熱のこもった口調で書いてきた。ときには私生活に話が及ぶこともあった。
 二ヶ月に一度くらいのペースで、直接会って酒を飲んだ。
 酒場での彼は、いつも謙虚で控えめな青年だった。と同時に、鋭い皮肉やユーモアの天分を閃かせることもあった。世界史と考古学、特に新石器時代の芸術活動に強い興味を持っていた。いつか経済的余裕ができたら、南フランスやドイツに点在する洞窟壁画を見て回りたいという希望を持っていた。
 私たちがもっとも熱心に語り合ったのは、今後どのような作品を書きたいかだった。たとえば彼は、年老いた男が、疫病で閉鎖された街をさまよう話について説明した。海辺の静謐な街並みに降りしきる雨と沖合の座礁船。岬に立って水平線をのぞむ少女。「もう骨格はほとんど固まっているんですが、まだ二、三見えてこない部分があって」と瞬は説明した。
「これは一応SFなんです。だけど、今のSFファンに言わせたらひどくオールドスタイルということになるかもしれませんね。百頁にわたるややこしい世界観の説明はなし、数学も、生化学も、量子力学も、情報理論も出てきません」
「それならば読んでみたいな」
「じゃあ、できあがったら送りますよ。主題は、そうですね、わたしがわたしであることの不思議、ですかね」
「わたしであることの不思議?」
「僕は毎朝目覚めるたび、ベッドのなかで、どうして自分は自分なんだろうって首をかしげるんです。だって何時間かの意識の空白が挟まっているわけじゃないですか。スイッチをぱちんと入れた途端に、ラジオ番組みたいに昨日と同じ自分が流れてくるなんて、どこか変じゃないですか」
「目覚めたら寝返りも打てない大きな虫になっていなかったってこと? そんなこと考えていたら遅刻しそうだな。僕はあと十五分寝ていたい以外のことは思わないね」
 もちろん私が自分のアイデアを語ることもあった。アイデアというのは、芽を出したかと思うとたちまち大きくなり、二、三日のうちに見事な花と果実をつけるものと、成長に何年もかかるものがある。そして、ようやく収穫だと思って実を捥いでみるとすっかり腐っていることもある。私はもう何年間も温めつづけているアイデアのひとつを話した。ときどきこうして風干ししておけば、腐敗の可能性を少しだけ減らせるかもしれない。
「ある若い夫婦の話なんだ。経済的にはまあ問題ない。夫婦関係だってとりたてて悪くない。共働きで、教養だってある。ただ、二人のあいだにはどことなくニューロティックなもの、いわれのない罪悪感みたいなものが漂っている。夫は早くこどもが欲しい。少なくとも妻にはそう言っている。少なくとも、というのは、夫自身、本当にこどもが欲しいんだろうか、育てられるんだろうか、父親になる覚悟があるんだろうか、と自問してしまうときがあるからだ。将来、ひきこもりになったり、殺人事件を引き起こしたり、いじめ被害者や加害者になったらどうしたらいいんだろうか」
「わかる気がしますよ。その夫の気持ち」
「もちろんそれは弱気になったときの話。妻には決してそんなことは言わない。ところが妻がどうしてもその気にならない。そのときは必ずスキン着用。排卵日を周到に避けている気配もある。夫はだんだん苛立ち始める。自分は夫として信頼されていないのではないか。このまま一生二人きりの家庭なのか。妻は今は仕事に集中したいからとか、まだ時間はあるからとかいって抵抗する。確かに妻の言い分ももっともなので、夫は引き下がるしかない」
「たぶん同じような夫婦間の会話が、この瞬間も千件は交わされていると思いますね」とどこか皮肉めいた口調で瞬は言った。
「だんだん夫婦間の緊張が高まってくる。何度かささいな行き違いがあって、ついに夫の癇癪玉が破裂する。自分はどうしてもこどもが欲しいんだ。きみだって昔はそう言っていたじゃないか。仕事やお金のことならきっとなんとかなるし、ずるずる後回しにしていたって、いいことはひとつもない。そもそも今始めたって、いつこどもを授かるのかはわからない。じゃあ、なぜ作ろうとしたらいけない。さっさととりかかって何が悪い。というわけだ」
「なるほど。筋が通ってますね」と彼は言った。だんだん早口になってきているのをそのときの私は気がつかなかった。
「妻の方はしばらくじっと黙っている。場所は深夜の食卓だ。やがて、うつむいていた妻が顔をあげて言う。『どうしても一緒にやってもらいたいことがあるの。それがきちんと終わったら、あなたの言うことをちゃんと考える』『なに?』『お弔いをしたいの。私たちの子の』」
「ちょっと待ってください」瞬が介入した。「つまり二人のあいだには、以前に亡くなったこどもがいたということですか。あるいは、堕胎とか、そういうことですか」
「いやいや、そうじゃないんだ。この物語のポイントは正にそこなんだよ。二人のあいだに死んだこどもなんていないんだ。だけど、彼女はあらかじめこどもの死を悼んでおかないと前に進めないと感じているんだよ」
「どうしてです」
「どうしてと言われても、説明が難しい」私はことばを探した。「つまり、彼女はひどくまじめな質で、こどもを産むということをものすごく重大にとらえているんだよ。それに死の可能性という考えをいつも心の中に置いている。不在とか喪失というものをいつもあらかじめ抱きしめていることで、初めて安心できる、そういうタイプっているだろう」
 瞬は足を組み替え、ふんぞりかえって言った。
「まあいい。続けてください」
 私はこの話を始めてしまったことを後悔していた。唇をねじまげて、指先でこめかみを叩いている瞬は明らかに苛立っていたし、それがどうしてなのかさっぱりわからなかった。自分から手をあげたのに、教師の質問にまったく答えられない学生になった気がした。
「すぐ終わる。もうほとんどクライマックスなんだ。二人は深夜営業しているホームセンターを求めて車を走らせる。放浪の果て、奇跡的にそれを見つけ、妻の指示に従って白木の板や大工道具、線香や花を買い込む。それから棺作りが始まる。部屋の中で、近所迷惑にならないようそっと音を殺しながら。そうしてようやく乳児が納まるだけの小さな白木の棺ができる。二人はどこかの河に、そうだなあ、大きな河がいいだろう、まだ人気のない川べりに持っていく。明け方だよ。雲ひとつない空だ。川面に明るさを増していく空の色が映っている。空気は身を切るように冷たいけど、二人はなぜかここにきたのはまちがっていなかったという気持ちになる。白い大きな鷺が悠然と羽撃きながら舞い降りて、二人を見て低い声で啼く。葦の生えた岸辺に立って、抱えてきた棺を水に浮かべる。もちろん中はベビー用タオルが敷き詰められているだけで空っぽだ。それなのに、妻は棺に手を合わせて啜り泣いている。夫の眼頭も突然熱くなる。まだ生まれてきてもいない我が子への愛情が奔流となって溢れ出す。声を殺して泣きながら、蓋をして、水の中に踏み込み、棺をそっと流れへと押し出す。棺はかすかに揺らぎながら河の中央へ流れてゆき、それから少し速度を増して下流へ下っていく。それがきらきらと輝く朝日の反射にのみこまれて見えなくなるまで見送ってから、夫は、不意に自分がいつになくすがすがしい気持ちになっていることに気づく」
 ごく簡略に切り上げるつもりだったのに、描写の迷路にはまりこんでしまったことはわかっていた。情景の力だ。頭の中にスクリーンがあるように、風景が映って動き出すと舌を止めることができないのだ。私は川面をわたる風を感じ、膚にあたる陽光を感じ、岸辺に打ち寄せる水音を聞いた。けれども、瞬は目をつぶってじっと頭を垂れたままだった。
 やがて、ふうっと長い溜息をつく音がした。
「それで終わりですか」
「終わり。たぶんこのあと二人は子作りに励むんだろうが、それは書かなくってもいいだろう。四百字詰めで五十枚。多くても七十枚以上にはならない」
 しばらく沈黙があった。私はもう一杯、ジンフィズを頼むかどうかためらった。この居心地の悪い時間をどのように埋めたものかわからなかった。瞬がようやく口を開いた。
「僕が口を挟む義理はないのはわかっていますが、あなたはこの作品を書かないほうがいいと思いますね」
「どうして」
 私はただ何かをせずにはいられなかったために、空のグラスをとりあげて、唇にあてた。ガラスの中で氷がからんと鳴り、水で薄まったアルコールが数滴、舌の上に落ちた。
 瞬はしかめ面で中空を睨んでいた。私はカウンターの向かいの壁に何か書いてあるのかと思ってじっと見つめてみたが、酒のボトルが並んでいるだけだった。やがて、もう一度わざとらしく溜息をついたあと、瞬は口を開いた。まるで、出来の悪い生徒に百回目のアドバイスを与える教師の口調だった。
「まず、この話は根本的に浅薄だと思います。夫婦像がどうしようもなくありふれていて退屈なのに、同時に作り物めいているときている。夫のほうは妻のなすがままで主体性がない。愚かで、ぜんぜん共感できないタイプです。妻のほうは、おとなしめにいって、まあ病的ですよね。支離滅裂だし、ヒステリックだ。ストーリーにも難がある。つまり、ここでは真に重要な転回、主人公の心情の変化が起きていない。夜更けの馬鹿げた思いつきがあるだけです」
 私は耐え切れなくなって口を挟んだ。
「ちょっと待って。確かに地味でささやかな話なのは認める。だけど何も起きてないということはない。夫は棺を前にして初めて自分が父親になることを受け入れる。妻のほうも、命を宿す自信を持つ。それに……」
 瞬は片手を振ってことばを遮った。
「もういいです。これ以上話をしても口論になるだけでしょう。もともと文学観の違いであって答えが出るような問題じゃない。僕はもう引き上げたほうがいいと思います」
 瞬が充分な金額を置いて足早に立ち去ったあと、私はスツールに座ったまま身じろぎもしないでいた。文学観の違い! そのことばが、エコーの効きすぎたカラオケの歌声のように頭のなかでまだ響いていた。胸元に目を落とせば、ぱっくりと開いた傷口からだらだらと血が流れているのが見えるはずだった。私は彼の文学観と鑑識眼を高く評価していたし、だからこそ親しくなったのだった。それなのにこうもバッサリとやられるとは。友人だと思ってあらゆる防具を外したその瞬間に。
 ウエイターに注文したもう一杯を口に含むと、冷たい液体が喉を焼きながら下っていった。いっそこのままへべれけになるまで飲み続けるべきだろうか。あるいはさっさと家に帰って、書きかけの原稿のデータをすべて消去し、布団にくるまって寝てしまうべきだろうか。もしこのまま一切書くのをやめてしまったとして、鬱病にもアルコール依存症にもならず、残りの人生を大過なく過ごせる確率はどれくらいかと考えてみたが、よくわからなかった。趣味でも見つけたらいいのかもしれない。グリークラブに入るとか、蕎麦の打ち方を習うとか。瞬は私のことが前から嫌いだったのかもしれない、という考えが頭に浮かんだ。きっと私の先輩面が気に入らなかったのだろう。あるいは、お互い売れない作家だという事実が屈辱的だったのだ。負け犬同士の傷の舐め合いというわけだ。だが、私は彼を本当の友人だと思っていた。
 店のドアが開き、足音を殺すようにして瞬が入ってきた。彼は隣に腰掛けた。
「すみません。先ほど僕が言ったことをすべて撤回させてください。僕の態度はまったくフェアじゃなかった。今のアイデアが悪いとは思わない。それどころか、大いに見込みがあるかもしれない。ただ僕は、物語そのものではなくて、そこから連想したことに逆上してしまったんです。はっきり言えば、自分と妻との関係が揶揄されているように感じてしまったんです。それで、過去のことがいっぺんに蘇ってきて、こんな話は聞きたくないと思ってしまった。すべてこちらの事情です。許してください」
 私は啞然として言った。「独身だとばかり思っていた」
「二年前までは結婚していました。だから正確には僕と元妻ですね。もちろん、僕らは空っぽのお棺を河に流したりはしなかった。内容が似ているということではないんです。ただ、なんというか、夫婦の関係性のようなものが、僕たちに似ていた。僕たちも自分でもきちんと把握できない漠然とした不安を抱え、こどもを持ちたいと願い、自分たちの未来を確信できないでいた。違うのは」彼は肩をすくめた。「僕たちは和解できなかったことです。離婚届に判を押すことになった」
「しかし」私は言わずにはいられなかった。「きみの厭な記憶を呼び覚ましてしまったのなら済まないと思うけど、ひどすぎるよ。本当にがっくりきた」
 彼はうなずいた。
「わかります。あんな言い方をすべきではなかった。お詫びに、僕と妻のあいだに何があったのかを聞いてください。ある意味では、あなたの話以上に非現実的だと思う」
 このようにして、その夜の残りの時間を瞬の長い物語を聞くのに費やした。それは確かに奇妙に非現実的で、同時に、この世界の片隅ではそういうことが起きていても不思議ではないと思わせるものだった。それは夫婦の物語だった。憎みあっているわけでも、無関心なわけでもない、しかし決定的にすれ違ってしまっている夫婦が登場した。一連の挿話がよどみなく語られ、予想外のできごとが起き、意外な闖入者が現れ、過去のできごとが伏線であったことが判明した。かすかなバックグラウンドミュージックのように物語の背後で同時代のできごとが響いていた。私は何度もうなずいたり、溜息をついたりした。同じ妻帯者として、ベッドを分かち合うものの分かり合えなさについては、日々痛感していたからだ。ささやかな年代記が終わりにさしかかるとき、私たちは閉店時間の来たバーから終夜営業のハンバーガーショップに場所を移し、冷たくなったポテトをつまんでいた。
「これが僕と元妻との間に起きたことの顚末です。こうして口にしてみると、我ながら信じがたいという気がしますね」
 瞬は油まみれの指先を紙ナプキンで拭いながら言った。そろそろ始発が出る時刻だった。店の外に出ると、二月の未明の風がコートの襟元から入り込んできて、思わず身震いした。鴉が、路上で飛び跳ねながら餌を漁っていた。街路には、明け方の飲み屋街特有のよれきった空気が漂っていた。皺くちゃのコートを着た男たちと鶏ガラのような臑を剝き出しにした女たちがうつむいて駅の方へ歩いていく。私たちもその後を追った。
 改札の前で別れるとき、瞬がポケットから手を出し、握手のように宙に差し出しかけた。そして、不意に確信がなくなったみたいに、その手を自分の顎にやった。彼は、しばらく自分の顔をなでまわしていた。瞬が何かを言おうとしているのは確かだったから、私は立ったままそれを待った。
「今日は、いろいろあったけど……」それからこれではうまくいかないと気づいたらしく、唇を閉じて、一度きっぱりと首を振った。
「もし、その気があったら、書いてもかまいません」
「え、なにを」私は意味がわからず聞き返した。
「今日僕が話した、夫婦の顚末をです。もちろんディテールを変更してもらう必要はありますが、もしあなたが関心を持ったのなら、自由に脚色して使ってもらってもいいんです」
「いや、まさかそんなことはしない。だって、あれはきみのプライベートな出来事じゃないか」
「いえ、いいんです。自分ではとても書けそうにない。たぶん誰かに書いてもらった方がいいんです。書いてもらうことで」ここで彼は、手のひらを自分の左胸にあてた。「すべて過去の出来事になるかもしれない」
 私がどう返答したらいいか迷っているうちに、彼は「それじゃ」と手をあげると、地下鉄の階段口に吸い込まれていった。

 妻と別れたあと、瞬はそれまで勤めていた中堅の老舗出版社を辞め、建物の内装を解体する会社へと勤め先を変えていた。
「近所のラーメン屋が潰れて焼き鳥屋になるなんてことがあるでしょう。内部を一度撤去する必要がありますが、それを行うのが僕たちです。物件によって厨房設備は残すのか、壁や天井のボードまで撤去するのかといったちがいはありますが、うちは民家と商業施設とを問わず内装一式の解体と廃棄物の処理を請け負います。重機を使うことはありません。ただ、家屋を解体する際にも内装の廃棄は必要ですから、我々の仕事が終わったすぐ後に、待ち構えていたパワーショベルが壁を壊し始めるなんてことはありますね」
 どうしてその職に、と尋ねると、彼はしばし目を伏せて「やはり、これまでと違う人生が必要だと感じてたんでしょうね」と返答した。まったく未知の仕事、異なる人間関係、活字とメールと赤ボールペンの世界から、ハンマーと安全靴と電動ドリルの世界へ。
「それに、使用者の立ち去った後の室内、というものに心を惹かれたんです。立地をまちがえて客が来なかったか、それとも店をつづけていく気力を失ったのか、何にせよそこには商売に失敗して去っていった持ち主の気配が漂っています。もはや当人がいないからこそ、痕跡が際立ちます。ガスコンロにこびりついた油汚れ、虫の死骸のはりついたランプの笠、チェアのビニールシートの鉤裂き、封を切っていないトイレの消臭剤。それらは、営業中の店であればまずは目に留まらないものです。ところが店が死んだ途端、それらのささやかな傷が雄弁に語り出す。それらは何年か何ヶ月かかけて降り積もった時間の埃であり、敗北の記録です。
 初めて現場を訪れるとき、ふと、かすかな期待と不安とを抱えている自分に気がつきます。なぜなら、それは仕事でしばらく一緒に過ごすことになる相手に初めて会うのと同じだからです。いや、もっと親密な関係かもしれない。僕は相手の内側の虚空に入り込み、内部からあらゆる襞や秘められた部分を観察し、そしてこの手を使ってひとつひとつ解体していくからです。
 テーブルやカウンターを解体し、キッチンのシンクやオーヴンを運び出し、壁や天井の合板を引っぺがすと、内側から、錆びつき埃まみれになった配管が現れます。醜く蛇行する配線類や、鈍重で不格好な給排気のダクトもおずおずと姿を見せます。その状態を、僕たちはスケルトンと呼びます。文字通り、家屋の骸骨。コンクリートが剝き出しの醜く美しい空っぽな空間。仕事の合間、もし運良く一人きりになれるときがあると、僕はその部屋の中央に立ってあたりを見渡します。もはやそこには存在しない過去の情景を思い浮かべながら。ジョッキが打ち鳴らされ、肉と魚の焼ける匂いが漂い、歓声とおしゃべりの声が幾重にも重なって空気を震わせていた。僕はそのことに愛着を感じるんです」
 きっとこういう性向も、伯母の屋敷で育まれたものなのでしょうね、と瞬は言った。
「伯母の家は、ほとんど廃墟のようなものでした。建物の古さやボロさを言っているのではありません。漆喰ははがれてでこぼこになっていたし、雨樋は歪んで外れそうになっていたけれど、まだ住めないというほどではありませんでした。
 そうした物質的な問題ではなく、あの家では時計が止まり、時間が滞留していたのです。破けた布切れのように、過去が室内のあちこちにひっかかって揺れていました。伯母は太りすぎた亡霊といった役回りで、夢遊病者さながら、邸内のあちこちに前触れなく現れては、「なんてこと」「もうどうしようもない」といった呟きだけ残して姿を消しました。
 僕たちこどもたちにとって、そうした伯母は幻影も同然でした。ビオイ=カサーレスに、とっくに死に絶えてしまった人々の映像が、大掛かりな機械仕掛けによって永遠に映写されつづけている無人島の物語がありますね。後年、あの作品を読んだとき、伯母の姿を思い出しました。僕たちからすれば、彼女は眼に見え、触れようと思えば触れられるけど、鏡に映った風景程度の意味しかなかったのです。
 その姿がこれまでと違った風に、つまり癒しようのない孤独と悔恨のシルエットとして浮かびあがってきたのは、彼女が引き延ばされた死を迎えてしばらくたってからでした。僕は仄暗い思春期を抜け出しつつありました。その頃になってようやく、伯母が内心抱えていたものについて考えるようになりました。なぜ彼女は実社会を拒否したのか。人間関係から逃避したのか。妻にも母にもなろうとせず、女友達やおしゃべり相手を作ることもなく、作家としての名声も求めず、なぜひっそりと生きていたのか。
 伯母のことが急に気になりだしたのは、結局は僕自身の問題だったかもしれません。僕もまた将来への不安と自己嫌悪の荒波に翻弄されているありふれた十代の男の子でした。自分の口下手と面皰面に絶望し、世間への漠たる敵意を抱え、強すぎる自意識に苦しみ、不適切な時に勃起する股間に悩まされていました。彼女の厭人癖が我が事のように思えました。もしも財産があったら、伯母を真似て一生職に就かず、ちっぽけな胡桃の殻に閉じこもって、夢想の主として老いていくことができたのにと空想しました。彼女は謎の文字、人のかたちをした秘密でした。そして屋敷が薔薇の花弁のように彼女を優しく包んでいました。
 仕事柄、孤独に亡くなった独居老人の部屋に入ることがあります。数年分の生ゴミや拾い集めてきたガラクタで一杯になっているいわゆるゴミ屋敷だったこともありました。変色したシーツや破れた布団の上に、二重三重に黒いポリ袋が積まれ、凶々しい臭気を放っていました。
 おそらく何らかの精神疾患があったのでしょう、窓という窓がガムテープで目張りされ、壁一面に貼られた紙が、呪文のような黒い文字で埋め尽くされている部屋を見たこともあります。片隅に祭壇が設けられ、赤と青の寒暖計が十数本、花束のように供えられていました。
 引きこもりの男性が三十年暮らしていた部屋は、時代遅れのゲーム機が十数台放置されてありました。残りの空間には、三十年分の新聞紙がうずたかく積み上げられ、その一部を開いてみると、幾つもの箇所に蛍光ペンでマーキングがしてありました。部屋の主はこの場所で日々怠りなく、経済状況や社会情勢に目を配っていたわけです。その新聞をめくっていたとき、はらりと落ちた紙片を拾い上げて慄然としました。「死にたい」と百回くらい繰り返して書かれていたのです。その男のことを考えて胸が塞ぎました。
 これらの荒廃を思い出すとき、僕の胸には自然に伯母の屋敷の様子が浮かびます。伯母の統べる空間は、そうした死と硬直とは無縁でした。あの王国では、過去が生き生きと息づき、繁茂していました。時間は過ぎ去って変更のきかないものではなく、水平線の上の陽炎のように揺らめきつづけるものでした。
 あそこは、伯母が夢見ることによってつくりあげていた場所だったと思います。あの場所は夢の交配所でした。そして王国自身も夢に棲まわれることで維持され、生命を与えられていました。伯母の唯一の仕事は目覚めながら夢見ることであり、それが過剰な覚醒を望んでいた引きこもりたちとはちがうところです。現実は石造りの塀によって締め出され、意識的なまどろみにとってかわられていました。彼女の夢の培地は、悲しみであり、後悔だったかもしれません。けれども、それは決して生命を失って硬化してしまった感情ではありませんでした。彼女の孤独はにぎやかな孤独でした。僕たちもまたその夢の住人でした。
 伯母の書斎に残された膨大なノートは、そうした夢の分泌物だったのでしょう。疲れたり仕事で嫌なことがあったとき、グラスに少量のスコッチを注ぎ入れてからノートを開きます。事実とも虚構ともつかない文章や物語の断片に声をあげて笑い、生い立ちの記に心を惹かれ、荒唐無稽な断言にうなずきます。幾つもの記憶がよみがえってきます。O脚を気にしていた痩せっぽちの自分。死んでしまった双子の兄の劫。名前を忘れてしまったのに、声の調子だけははっきりと覚えている庭で出会った遊び友達。そして雪の日の少女。僕はあの屋敷で初めて死の存在を意識し、そこから逆算して生を学びました。初めて女性の唇に触れました。それから……」
 瞬はことばを切り、私の肩越しに店の入り口に目をやった。
「誰か来ましたよ。あなたを捜しているようだ」
 私はふりかえり、妻がコーヒーショップの入り口に立って、店内を見渡しているのに気がついた。キャメルのコートを羽織り、色の淡い髪を後ろでまとめている。私は話のつづきが気になって先をうながしたが、彼が口を開くより早く、テーブルとテーブルのあいだを縫って妻が近づいてきた。夕方から彼女と食事をする約束になっていたのだった。
 私はあきらめて立ち上がった。
「紹介するよ。こちら、澤田瞬くん。何度か話したことあると思うけど。瞬くん、こちら、妻の藍香です」
 妻はすばやく片手を差し出した。せっかちな彼女は、しばしばことばより先に体が動くのだった。二人は握手したまま一、二秒見つめあった。不意に瞬が手を離し、咳払いをすると腰をおろした。私たちは十五分ほど、妻が見てきた映画の話をした。今度の007は前作ほどおもしろくないと彼女が言い、瞬が、暇なとき、その二本を見比べてみると応じた。それから彼は立ち上がって去っていった。

 瞬の解体途上の室内へのこだわりは、なぜか私に妻の藍香の話を思い出させた。
 それは彼女が十代のころの記憶だった。
 藍香は関東の西の外れの基地の近くの町で育った。父親は電気技師、母親は高校の音楽教師で、一家は十棟ほどしかない小規模な公団住宅に住んでいた。お世辞にも美しい町とは言えなかった。地域の経済を支えているのは、街の外側に広がる畑地を潰して作られた工場や物流倉庫であり、小学校のすぐ横の通りを、長大なコンテナを積んだトラックが轟音をたてて走っていた。クラスメイトの半数の父親が、そうした工場のどこかで働いていた。残りは農家と小商店、建設業と飲み屋のこどもたちだった。
 中学校に入ると、遊び友達が変化しはじめた。彼女たちは髪を染め、タバコを吸い、学校の教師たちに反抗した。夜になると先輩のアパートに集まって酒を飲んでいるという噂だった。
 街全体で、大規模な解雇や工場の閉鎖といった暗い話題が続いていた。それまでよく見かけた外国人労働者の姿も目に見えて減っていた。教室の机は空席が目立ち、学校内のトラブルが増えた。激昂した教師が教室で生徒を殴りつけたこともあった。学校のトイレに使用済みの避妊具が落ちていたという噂も耳にした。
 二年生の夏、夏期休暇の初日に春奈と友梨という二人の友達が連れ立って家出をした。電話で尋ねられたとき、二人の行き先を知らないと藍香は返事をしたが、本当は数日前に打ち明けられていた。春奈たちは、ツーショットダイヤルで知り合ったという男性を頼りに家を出たのだった。二日後、ポケベルが鳴って、藍香は呼び出された。公園の樹木の暗がりに友梨が立っていた。疲れ切った様子の彼女を自分の家に連れて帰り、温かい風呂に入れた。汗と汚れを洗い流すと、ようやく気持ちが落ち着いたようで、友梨は話し始めた。
 結局約束していた男性は現れず、二人は別の男の車に乗ったのだった。翌日二人は男の部屋を逃げ出した。その途中で二人は離れ離れになり、諦めて友梨は戻って来た。春奈がどうなったのかわからない。
 友梨は藍香の手をとって声を殺して泣いた。怖かった。気持ちが悪かった。それでも家には帰りたくない。藍香も一緒になって泣いた。だが泣きながら藍香が考えていたのは、自分は彼女のようにはならないということだった。まだ十代の半ばで、男たちの慰みものになるのも、妊娠するのも、暴力に怯えながら生きるのも絶対に厭だ。自分はこの小さな世界から出て行く。濃すぎる人間関係と幼馴染のもつれあいからできたこの場所を捨てる。
 猛勉強をして彼女は第一志望の女子高に合格した。時を同じくして一家は違う街に転居した。実入りのいい会社に転職したのを機に、父親が念願だったマンションを購入したのだった。
 進学して彼女が驚かされたのは、クラスメイトが過去の友達よりはるかに大人びていながらこどもじみてもいることだった。彼女たちはみな落ち着いた上品な雰囲気を身にまとい、映画や音楽や近郊のおしゃれなお店などに詳しかった。と同時に、彼女たちは何も知らず、ふわふわした綿のようなものに包まれて生きていた。藍香は必死になって、同級生と同じ喋り方やものの見方を身につけようと努力した。
 だがそれにもまして違っていたのは、新しく住むことになった街だった。そこはたった十数年前に造成の始まった、まったく生まれたてのニュータウンだった。子連れの若い夫婦が駅前のペデストリアン・デッキを行き交い、まだ塗装の色も鮮やかなショッピングモールやシネマコンプレックスに入っていった。緑の樹木に包まれた新設の大学校舎があり、その周りには高層マンションが競うように並んでいた。そうした駅周辺のさらに外側には、造成途上の赤土が見てはならない秘密のように広がっていた。
 そこは現実感を欠いた街だった。藍香にとっては生活の場であったにもかかわらず、彼女はいつまでも虚構の内部にいるような気持ちを拭えなかった。何もかも清潔で、幾何学的だった。チェーン・ストアの目立つ街並みも、通りゆく人々も、みなよそゆきの姿をしていて、友梨や春奈のようなものが紛れ込む余地はなさそうだった。
 あるとき、藍香は思い立って、故郷の街を訪れた。電車に乗ればわずか三十分の距離なのに、二年ぶりのその場所は、藍香が今住んでいる「白い街」とはまったく違っていた。日々拡大している新しい街と比べると、古い街では、駅舎もほかの建物も、みな古びて小さく縮かんだように感じられた。こどものとき遊んだ公園はずいぶん小さかった。団地の低層階の壁は落書きで埋まっていた。彼女は知人に出くわすことを怖れつつ、もはや錯誤のようにしか感じられない思い出の場所をあちこち見て回った。やがて雨が降り出した。
 どうしてこんなことをしているのだろう。開いた傘に姿を隠すようにして。
 もう帰ろうと夕暮れの商店街を歩いていたとき、一人の少女の姿を認めた。彼女は所在無げに傘を傾けて、通りの傍に悄然と立っていた。藍香は思わず足をとめた。何か声をかけてやりたかった。
 もちろん瞬時ののち、それが明かりの消えたショウウインドウに映じた自分の姿であることには気づいていた。夕闇と傘の影が生み出した誤謬だった。けれどもその瞬間、彼女はようやく自分が何をしていたのか了解した。藍香は、この街に置き忘れた自分の半身を探しに来たのだった。

 いよいよ王国の衰亡について語らなければなりません。植物を枯死させる季節の訪れについて。そして伯母を蝕み、屋敷に死の影を広げることになった内臓の病について。
 その日、なぜ父親が僕たち兄弟を連れていこうと思ったのかはわかりません。伯母を病院に送り出すにあたって、自分一人では物寂しいと考えたのでしょうか。一族のなかで医療とはまったく関係のない職に就いているものは少数でしたが、父はその一人でした。その父が付き添い役になったのは皮肉と言えなくもないけれど、兄弟のなかで伯母にもっとも近しいのは父でした。父はふた月に一度ほど屋敷を訪れて、必要なものがないか尋ねたり、修繕が必要な箇所がないかを聞いていました。おそらく一族の総意で、父は伯母との媒介を務めていたのでしょう。そして食卓での父母の会話から、伯母の体調が思わしくなく、すでに何度か医者が往診していることは知っていました。その経緯は消息の知れない次兄を除いた兄弟たちに報告されていたし、経済的な援助もなされていたはずですが、ついに総合病院で本格的な検査をしなければならなくなったとき、直接付き添おうと申し出たのは、やはり父親しかいませんでした。
 寒さの日に日に厳しくなる季節でした。日曜日の午前ということもあってこどもたちはおらず、僕と兄は庭の霜柱を競って踏み潰し、花壇の黒土をきらめく破片でいっぱいにしました。中央玄関の扉はいつものように施錠されておらず、父が「不用心だ」とかなんとか呟きながら階段を上っていくのを見て僕と兄の劫は顔を見合わせました。
 二階建ての屋敷のうち、こどもたちが自由に行き来できるのは一階に限られていました。明確な取り決めがあったわけではないけれど、勇敢にも階段を上ったものは、運がよくて伯母にどやしつけられ、悪ければ熱いコーヒーを浴びせかけられると言われていました。本当にそんなことがあったのかは知りませんが、伯母ならやりかねないし、こどもの方にもどこか遠慮する気持ちがあったのでしょう。実際に二階に踏み込むものはいませんでした。そのかわり、二階は禍々しい噂で彩られることになりました。曰く、廊下の奥には禁じられた部屋があり、その内側を見たものは永遠に呪われる。具体的にどんな部屋なのか噂はばらばらで、針の止まった大時計がただ壁に掛けられているだけだというもの、部屋中を埋め尽くす猛禽類の剝製が、戸口に立った人影をじろりとガラスの眼玉で見つめるのだというもの、家具がひとつもなく壁一面が鮮やかな紅で染めあげられているのだというものなどさまざまでした。その年頃では、噂が真実かどうかはさして重要ではありません。僕たちはそれらの部屋の実在を信じるわけでもなく、ただ喜んでそれらに耳を傾け、不吉な部屋の様子を想像しては楽しみました。
 だが今日はその禁じられた二階に行くことができるらしいのです。僕たちは、「下で待ってなさい」と言われることを懸念して、普段のように大声をたてたり、小突きあったりすることもなく、猫のようにおとなしく父親の後をついていきました。
 二階の廊下には、板張りの一階にはない暗い色の絨毯が敷き詰められてありました。ところどころ擦り切れ、黄土色の基布が剝き出しになっています。窓がない暗い廊下を、父親はためらうことなく歩いていき、やがて「姉さん」と一声かけてさほど大きくない部屋に入りました。
 伯母は物憂げな様子で、天鵞絨ばりのソファに腰掛けていました。閉ざされたカーテンの隙間から、灰色の外の光が漏れています。伯母は僕たちを一瞥すると、小さく溜息をつき、「コーヒーでも淹れましょう」と立ち上がろうとしました。
「いいよ、僕がするから姉さんは休んでいて」と父が戸棚からコーヒー豆を取り出しました。
 そのあいだ僕たちは、伯母が何も言わないからには二階にいてもいいのだと解釈することにして、隣の部屋に移動しました。つまり、父が豆を挽いたりお湯を沸かしたりして忙しくしているあいだ、伯母の前にずっと立っているのは気詰まりだったのです。幸い、すぐ隣の部屋への扉があいていました。伯母はぼんやりと宙に視線をさまよわせているだけで何も言いませんでした。
 そこはどうやら書斎らしく、壁の書棚から溢れ出た色褪せた本が床のあちこちに積み上げられてありました。本は大きな木の机にも、窓際のがたぴしする肘掛椅子の上にもありました。書棚の一番下には、古びたLPレコードが立てかけてあり、その前ではプレーヤーが埃をかぶっていました。僕たちはそうしたものに触れるのは初めてだったので、指でゆっくりとターンテーブルを回したり、指尖でつついて、針がどれだけ尖っているのか確かめたりしました。
「おい、見てみろよ」と劫が壁を指差しました。
 そこには、色々な雑誌から切り抜いたらしい塔の写真が大小様々の額に収められてかけてありました。僕らはしばらくその前に立って、海辺の灯台やら古城の尖塔やらを眺めました。
 そのあいだも、隣室の話し声が聞こえていました。最初は低い声で思い出話をしていた父が、かなり強い調子で「兄さんたちと和解すべきだよ」と言うのが聞こえました。伯母はそれに対して「無理よ」と投げやりに答えました。
 しばらくして父が、「姉さんはどうしてこの家を出ようとしないの」と尋ねました。なにか喉を鳴らすようなくぐもった音が聞こえてきて、なんだろうと僕は耳を澄ましました。数秒後、これが伯母の笑い声なのだと気がつきました。彼女が人前で声を立てて笑ったのを聞いたことがなかったので少し驚きました。
「私は墓守なの」
「墓守? 誰の」
 笑い声はもう本当の咳き込みにかわっていて、「若い日の私の」と答える彼女はかなり苦しそうでした。
 父親が、「おい、出発だ」と呼びに来たのはそれから少しあとだったと思います。彼は伯母が準備していた大きな革のトランクをすでに片手に持っていました。
「ちょっと待って。煙草を一本吸いたいの。どうせ、病院じゃ吸えないんでしょう」
 そう言って伯母は紫煙を燻らせはじめました。窓から差し込む光に照らされて、煙が精妙な渦巻き模様を描きました。伯母の手が小刻みに震えているのに気がついたのはそのときです。彼女はゆっくりと室内を見回しながら、「また、この場所に帰ってこられるかしら」と呟きました。
「あたりまえじゃないか。何を言ってるのさ」
「だといいけど」
 そうして短くなった煙草をにじり潰して立ち上がりました。父親を先頭にして廊下に出たとき、伯母が僕たちをふりかえって「あんたたち、勝手に私の部屋に入るんじゃないよ」と言いました。
「そんなことしないさ」
 仰天した僕が答えても、伯母はにやりと笑って首をふるだけでした。そして玄関までくると、ポケットから鍵束を取り出して、父親に渡しました。
「これはあんたに預けておく。私が留守じゃ、開けっ放しにしておくわけにもいかないからね」
「それがいい。なにか事故でもあったら取り返しがつかないから」
 実際、春先に庭で遊んでいた男の子が、コンクリートで封のされた井戸でつまずき、足を挫くという出来事があったのです。それ以上の騒ぎにはなりませんでしたが、いずれ伯母が責任を問われることがあるかもしれないと父はぼやいていました。
 屋敷の前に停めておいた車に乗り込むとき、ささやかなアクシデントがありました。劫が最初に後部座席に座ったあと、伯母もつづけて体を押し込んだのです。僕もつられて残ったわずかなスペースに無理やり尻をねじこみ、ドアをバタンと閉めました。三人の体重のために車体が沈むのがわかりました。伯母は少なくとも百キロはあったと思います。父親が呆れて「なんだ、誰か助手席に来たらどうなんだ」と言いましたが、誰も降りる様子がないので、あきらめてエンジンをかけました。
 僕たち兄弟は、伯母が着込んだ紺色の厚手のコートの裾にうずもれる形になりました。埃っぽい臭いが煙草の香りと入り混じって鼻をつきました。伯母もどこか居心地が悪そうにもぞもぞしていましたが、そのうち数年ぶりに袖を通したコートのポケットで何かを見つけたらしく、片手に握っていたそれをしげしげと眺めた挙句に、ぽいと僕に渡してよこしました。
「それ、あげるよ」
 見ると象牙のブローチでした。女の横顔が浮き彫りされてあります。僕が困惑して「いらないよ」と言いかけたとき、ようやく車が動き出し、伯母は大きく体をねじって、遠ざかる屋敷を目で追いかけました。今でも、あのときの伯母の真剣な表情、垂れ下がった目蓋や意外なほど長い睫毛を思い出すことができます。間近から見ると、伯母の瞳の虹彩はおどろくほど色素が薄く、そこには窓の向こうの冬枯れの梢がゆっくりと移動していく様子が映っていました。車が角を曲がって屋敷が見えなくなると、伯母はようやくぐったりとシートに身をもたせかけて目を閉じました。

 この頃から、私と妻は定期的に諍いをくりかえすようになった。私たちの関係は果実が傷んでいくように、徐々に、しかし確実に腐食していった。理由を明言するのは難しい。このような事柄では、さまざまな要因が根茎みたいにつながっていて、何かひとつ口にするつもりが、長々と埒もない愚痴に変わってしまうのだ。
 妻と知り合ったのは、彼女がまだ社会学を学んでいる大学院生だったころだ。彼女は一度就職したにもかかわらず、勉学の意志抑えがたく、大学院に進学した。だが数ヶ月後、彼女はきっぱりと研究職をあきらめ、マーケティングリサーチ系の会社に再就職した。経験から私がアドバイスをしたのも多少のきっかけになったのだろう。
 私にとってももっとも辛い時期だった。彼女との出会いがなければ、あの陰鬱な日々を乗り越えることはできなかったかもしれない。けれども五年と経たないうちに彼女は苛立ちをあらわにするようになった。それまではむしろ好意的にとらえていた私の性格や価値観が鼻についてきたようだった。
 彼女に言わせれば、私には夫としての自覚がなく、生計を得ている職業に対しても不真面目で、総じて人間として未成熟だということだった。そう言われても、まったくその通りだとしか思えなかったが、たぶん彼女には年の離れたつまらない男を摑んでしまったことへの苛立ちがあるのだろうと推測していた。彼女はある種のロマンチックな誤解に基づいて私と一緒になったのだが、幻想が覚めてみると、夫はつまらない三文作家に過ぎないのだった。いや、彼女が私を小説家として認めていたかさえ疑わしい。彼女から見れば、私がいつも奇妙な空想で頭を一杯にしてろくに返事もしないのも、しきりにPCのキーボードを叩いているのも、いかがわしい道楽に見えるのかもしれなかった。
 三十代を迎えて彼女は職場で重要な地位につき、ますます仕事がおもしろくなっているようだった。帰宅時に玄関で職場から持ち運んできた昂揚を家庭用の冷たいマスクに苦労して掛け替えているのが目撃できた。自分の社会生活がさまざまな刺激とチャレンジに満ちているのと比べると、我が家の雰囲気はあまりにも沈滞していた。その原因は私にあった。つまり、私の陰鬱さ、内向きの性格、自分本位の態度などが夫婦の関係を損なっているのだった。彼女はますます帰宅が遅くなり、私の方も彼女とは顔をあわせず、書斎に引きこもるようになった。アルコールに頰を紅潮させて午前様でご帰還のときなど、誰と一緒だったのか気になったが、直接聞きただすことはなかった。彼女が何をしようとも、自分は一切気にかけてないという風を装った。
 家庭生活が荒涼とするにつれ、ますます瞬との交友が貴重になっていった。
 彼となら、思う存分、本や映画やこれから書きたいと思っている作品の話ができるのだった。著名な批評家や文化人をこきおろし、有名な小説家が新聞に載せていたエッセーの無内容さを嘲笑い、平積みにされたベストセラーの浅薄さを嘆くことで、自分が冴えない無名の物書きであることを忘れた。
 私はよくいつか書く予定の作品の構想を打ち明けた。架空の都市を旅する小説家が、旅行記を書こうと苦闘している。小説家は奇怪な街の構造や物珍しい風習を詳細に日誌に記録していく。しかし記述をつづけるうちに、どこまでが事実でどこからが脚色かがわからなくなり、自分自身でつくりあげた都市の迷宮に迷い込んでいく。
 瞬はこのアイデアをおもしろがった。彼が入れ替わりに打ち明けたのは、別々に育てられた双子の片方が、もう片方を殺して相手に成り代わり、自宅や財産を手に入れるというサスペンスだった。
「江戸川乱歩の『双生児』と同じプロットだね」
「そうですね。でもこの作品では、成り代わった後で相手の過去に復讐されるんです。その片われは実は過去に犯罪に関わっていたんですね。それで、主人公は自分が犯してもいない犯罪の帳尻を合わせなければいけない羽目になる」
 うっかり終電車の時刻を逃し、朝まで深夜喫茶で過ごすことも度々だった。そんなある朝、自宅に戻ると、玄関をあがったところで出かけようとする妻と鉢合わせになった。
「休みなのに出かけるのか」
「今日は仕事だって前から言ってあったでしょう」
「さあ、聞いた覚えはないけれど」
「あなたはいつもそう。自分に興味のあること以外はすっぽり抜け落ちてしまうの。他人のことなんてどうでもいいと思ってるのよ」
「やめてくれよ。疲れてるんだから」
 心地のよい酩酊がすっかり不快感にかわったのを感じながらそう答えた。
「やめてくれ、また今度。あなたはいつもそうじゃない」
「なに言ってるんだ。いつも忙しそうにしているのは君の方だろう」
「忙しい、忙しくないじゃなくて、現実と向き合おうとしないと言ってるの」
 私はかっとなって言い返した。
「なんだよ、現実って。そんなこと、今の話と関係ないだろう」
「私と話し合うのを避けているということだよ」
「避けるもなにも、そっちこそ、休日でも仕事だって出かけている。どこまでが本当の仕事なのかわからないけどね」
「どういう意味」彼女は気色ばんだ。「あなたのそのひねくれたところが嫌なの。自分を惨めだと思って、哀れんでいて。苦しいのは自分だけだと思ってるの」
 私はせせら笑った。
「いいや、僕らは二人とも、自己憐憫の化け物さ。ただ僕の方が正直にそれを取り繕おうとはしないだけだよ」
「どうしていつもそうなの」と彼女は叫んだ。「未来を向けとは言わない。けれど、もっと普通に一日一日を生きていくことはできないの。そう考えるのは悪いことなの」
「君はまだ若いからね。そうすればいいよ。幾らでも自分の人生を楽しめばいいさ」
 ハンドバッグが飛んできた。壁に当たって中身が廊下に飛び散った。
「あなたはいつも自分だけが特別だと思って、そうやって自分の中に引きこもって、周囲の人間を見下してるのよ。それが本当に腹がたつ。目の前にいる生身の人間より、空想の世界の方がよっぽど大切なんでしょう」
「ああ、そうだよ。それでなにが悪い。僕はそういう生き方を選んだんだ。それが不満なら、別の男とやり直せばいいだろう。君ならまだいくらでも言い寄る男はいるだろうよ」
「あなた、自分がなに言ってるかわかってんの」
「早く行けよ。仕事に遅れんぞ」
「あなた、きっと今日のこと後悔すると思う」
 彼女が乱暴に靴を履き、玄関の扉を音をたてて閉めていくのを睨みつけながら、私は口にはしなかった怒りの言葉がいくらでも胸底から湧き出てくるのに驚いていた。憤怒というのは実に甘美だ。そうして薬物のように癖になる。私は一眠りするために寝室に入って、服を着替えながら、この感覚をよく覚えておこうと考えていた。彼女の動作や醜くひきつった表情も。いつか、何かの作品で使えるかもしれないから。
 夜になって、彼女が帰って来れば、私たちはまた何事もなかったように会話を始めるだろう。諍いは棚上げにされ、いつもの退屈な日常が再開されるだろう。

 瞬はときどき、奇矯な議論を始めることがあった。それは大抵深夜のバーの片隅で、数杯のスコッチ、ワイン、焼酎などを摂取したのちにはじまった。彼のすばらしいところは、アルコールに脳を浸されても、あるいは水浸しにされてからこそ、舌鋒いよいよ鋭くなり、論理もますます華麗になるところだった。どうやら彼にとって、抽象的な思考作用は、アルコールの働きと緊密に結びついていたらしい。深夜に披露された哲学的主張は多々あるが、そのひとつに「私」と無関係な外的な世界など存在せず、世界は「私」の別の呼び方だというのがある。
「いま、僕らの目の前にはグラスに注がれたビールが存在している。この認識に対して異論はないですね」
 私は、また始まった、と微笑ましく思いながら重々しく首肯する。
「いかにも。我らが眼前には金色の液体が鎮座している。無数の気泡が軽やかに立ち上り、純白の泡が優雅にその表面を覆っている。これがビールと呼ばれる麦芽飲料であることには寸毫の疑いもない」
「なぜそう言えるかというと、見て、確認しているからですよね。触れば冷たいだろうし、口をつければビールの味がする。だから、私の目の前にビールが存在していると言える。〈存在するとは知覚されることである〉、ご存じですか」
 私はこめかみを人差し指で叩いた。
「ちょっと待てよ。聞いたことあるぞ。ええと、バークリー、だっけ。フランスの哲学者だ」
「半分正解。フランスではなくてアイルランドです」
「まあ、君の言ってることはわかる。文学者の末席に身をおいているものとしては〈存在するとは語られることである〉と言いたいところだけどね。だけど、結局それが意味するのは単に、ビールの存在を知るには知覚が必要だっていうだけの話だろう。客観的な世界があって、それを我々が知覚している。それでいいじゃないか。なにも面倒くさい理屈を捏ねなくたって」
「でもその客観的世界なるものは誰も見たことがないでしょう? 誰だって知っているのは、自分の知覚、自分の意識、自分の脳内現象だけですよ」
「けれども、その脳というのは客観的な物質的実在だろ。たかだか数百ミリリットルのアルコールでへべれけになっちゃうような物体だろ」
「僕の提案は、客観的な実在と主観的な脳内現象とを区別するのをやめようということなんです。だって、自分が見ているビールは、物質的実在であると同時に、内部現象でもある。だったらそもそも外部と内部という区別は必要ない。そう考えると、〈私〉は世界大に広がる。世界といってもいわば〈私が知覚している世界〉ですけど、でも私というのは世界であり、世界そのものなんです」
「わかった。じゃあ、そもそも知覚されていない存在はどうなんだ。今僕らの目には見えていないけど、あの階段を上ると、外には新宿の街が広がっている。交差点の雑踏が、その向こうにはきっとネオンがきらめいている。それは認めるね」
「そうですね。さっき歩いてきましたしね」
「じゃあそれは自分の知覚の内部にないけど存在するんだね。新宿の街は」
「だってそれは記憶の一部でしょう? そしてもちろん記憶は知覚そのものではなくても、その変形です。つまるところ私の一部です。つまり歌舞伎町だってなんだって私の相関物です」
「じゃあ経験したことのない場所は? 僕はニューヨークに行ったことないけど、じゃあニューヨークは幻想かい? タイやヒラメの舞い踊るという竜宮城といっしょなのかい」
 瞬は苦笑して「でもニューヨークに行ってきた人から話を聞いたことはあるでしょう。テレビや新聞にも毎日ニューヨークのことが載っていますよね。それらが全部フェイクだと考える必要がない以上、ニューヨークはあることにしておこう、といったところじゃないでしょうか。伝聞が事実を成り立たせている。伝聞の連続性とでもいったものですね。竜宮城をこの目で見てきたという人を見つけるのは無理だけど、ニューヨークならそれほど難しくない。いわゆる客観的世界、あるいは公共的世界というのはそういう他者の伝聞が堆積してできた世界ですよね」
「君は日本人だってのは認めるよね。あるいは男性だとか、澤田瞬という名前だとか」
「何を言いたいのかわかりますよ。その手にはひっかかるもんですか。僕が、自分は日本人だとか、男性だとか、澤田瞬だとか思ってるのは、周りの人がそう言うからですよ。そう言われて育ったから、そんなもんかと思ってるだけです。だって、自分の経験の内部だけではニホンという言葉の意味だって決められないし、名前だって一緒です。そういう意味で信じられるのは、暑いとか寒いとか、嬉しいとか寂しいという感覚や感情だけですよ。そういう移ろいゆくものだけ」
「それは言葉一般が、社会から意味を与えられるものだからね。社会を拒否しちゃえば、日本人や日本語だって、あるいは澤田瞬という名前だって意味はなくなっちゃうだろう」
「拒否してるわけじゃないですよ。あとから与えられたものだよねってだけ。でもある日目が覚めたら、おまえの名前は澤田瞬ではなくて、別の名前だって言われるんじゃないかって感覚はいつもありますね」
 それから彼は私を覗き込むようにした。意外に真剣なまなざしだった。
「さっきあなたはふざけてだけど〈存在するとは語られることである〉と言いましたね。案外いいかもしれない。それを記述と言い換えてみましょうか。脳だか意識だかわからないけど、そこに記述され、書き込まれたものを我々は〈世界〉と呼ぶ、と。〈存在するとは記述されることである〉というわけです。ところでウィトゲンシュタインが、もし〈私が見出した世界〉という本を書くとすれば、と言ってますね。そうすると、その本には〈私の身体〉は含まれても、〈私〉そのものだけは登場しない。なぜかというと、〈私〉とは結局、記述という活動そのものだからです。本当の主体は記述という運動なんです。もうこうなると、記述というのは、何か対象があってそれを言葉に書き写すことだと考える必要はないですね。ありとあらゆるものがこの運動によって産出されたものなんだから。この運動は本当はかたちがないんだけど、言葉にすると私というかたちになってしまうんです。ここでちょっと方向性を変えてみましょう。私ってなんでしょうか。仏教だと、自己など存在せず、無数の知覚や関係が織りなすものだとされていますね。いわば、空っぽな場所。名前以前の私。性別も年齢もない純粋な空虚としての自分。でもこれはもう世界全体とひとつですよ。裏から見るか表から見るかの違いでしかない」
 
 十二月のある日、午前中に自宅近くのカフェで困難な場面と格闘したのち帰宅した私は、藍香が家にいないことに気がついて不思議に思った。日曜だったので仕事ではないはずだが、最近会話もめっきり少なくなっていたから、たぶん私には何も言わずに気晴らしの買い物にでも出かけたのだろうと考えて納得した。私は冷蔵庫の扉をあけた。まだ昼食を済ませていなかったために、何か食べるものが欲しかったのだ。だが薄黄色いライトに照らされた庫内は、隅にしなびた緑の葉っぱと得体の知れない茶色い染みがあるだけだった。ドアの裏のポケットには、使いかけのゴマだれやらソースやらが入っていたけれど、これだけでは胃の腑に収めるわけにはいかなかった。
 午後一時だった。あきらめて缶ビールを一本だけ取り出してソファに座った。真冬にはふさわしくないよく冷えたビールをちびちび飲みながら、私はぼんやりとした物思いの雲のなかに入っていった。
 私が考えていたのは、自分たちはどこで道を誤ってしまったのだろうということだった。好んで一緒になったのに、どうしていがみ合ってばかりいるのだろう。私は結婚した頃の藍香の生き生きした様子を思い出した。気持ちを映して瞬時に変化する表情、こどものように大げさな感情表現、思い立つと同時に体が動いている行動力、そうしたものに私は夢中になったのだ。彼女と二人だと小さな台風と一緒にいるようだった。人よりも小柄な体の中に、人一倍大きな喜びや悲しみや怒りといった感情が犇いていた。
 だけど今二人のあいだには、凍りついたやりとりしか存在しない。相手に気持ちを読まれまいとする無表情で身を守り、そっけない最低限のことばを交換する。こうして一人でいるときは、妻の良い部分も魅力的なところも数え上げることができるのに、顔をあわせると、相手の神経を逆なですることばを吐いてしまう。なぜ二人とも歩み寄ることができないのだろう。
 たぶん三十分もそうしていただろうか。缶を空にしてはじめて、家のなかがいつもとどこか違うことに気がついた。
 空き缶を手のなかで弄びながら、室内を見渡した。向かいのリビングの壁がどことなく寂しかった。立ち上がってよく見てみると、壁紙にピンを抜いた痕が見つかった。そこには、つい今朝まで、若い版画家の作品が掛けられていたはずだった。月明かりのなか、公園めいたところに、数人のこどもが佇んでいるモノクロのエッチングだったが、まだ一緒になったばかりのころに、近くのギャラリーで見かけて気にいって買ったのだった。それほど高いものではなかったにしても、貧乏な私たちには充分冒険だった。どうしても欲しいと言ったのは彼女だ。その版画が額ごとなくなっている。
 私は波立つ気持ちを鎮めながら家のなかを見てまわった。寝室のクローゼットからは、スペースの大半を占めていたはずの彼女のコート類が消えていた。肌着類も見当たらなかった。イヤリングや指輪といった装身具のたぐいも失われているように思われたが、これは私の勘違いかもしれなかった。食器棚からは彼女愛用のマグカップが消えていた。
 ダイニングのテーブルにブルーの封筒が置かれていることに気づいたのは、その後である。いつもならダイレクトメールや役所からの通知が投げ出される場所で、宛名もなかったので、見逃していたのだ。だが目についた瞬間、それが置き手紙であることを確信した。封もしてないのに、私はしばらくのあいだ、それを手に持ったまま躊躇っていた。中の便箋を広げて書かれた文章を読んでしまえば、二人の関係は引き返せないところまで行ってしまうのではないだろうか。このまま気がつかなかったふりをして放置しておけば、彼女はいつものように帰ってくるのではないだろうか。私はそうした思いに囚われたまま、いつまでもその場所に立ち尽くしていた。 

 伯母が入院してから数日後の、朝からどんよりと暗鬱な雲が垂れ下がっている日のことでした。劫が、伯母の屋敷を探検しに行こうと言い出したのです。鍵がかかっているじゃないかと言うと、だからいいのだと答えます。
「父さんに鍵を渡したの見たろ。あの鍵をちょっと借りればいい」
「どこにあるかわからないじゃんか」
「父さんの机の一番上の抽斗に決まってるさ」
 その通り。鍵は抽斗に車のキーと一緒に収まっていました。伯母の方はといえば、大学病院での検査結果がひどく悪く、そのまま即日入院、手術となって、当分帰ってくる目処がたたなかったのです。
 そういうわけで僕らは、自転車を連ねて木枯らしをついて出かけました。街路から改めて眺めると、その建物はほとんどお化け屋敷のように見えました。木の羽目板のペンキは剝がれかけ、鎧戸は破損して風にバタンバタンと揺れています。先に立って入り口の扉をいじっていた劫が首をかしげました。
「だめだ。開かないよ」
「もう一度やってみろよ」
 再び鍵を回すと扉は開きました。腑に落ちない様子の劫を追い越して中へ入ります。火の気のない屋敷のなかは寒く、ひっそりと静まり返っていました。今日はためらうことなく二階へ登っていき、先日伯母が座っていた部屋に落ち着きました。普段から実際に使われていて居心地がいいのは二階の少数の部屋だけだと見当がついたからです。劫はサイドテーブルの吸い殻でいっぱいの灰皿を手でどけるとそこに肘をつき、「なあ、この場所を俺たちだけの秘密基地にしようぜ」と話し出しました。鍵がこちらにある以上、伯母がいないあいだはこの屋敷を独占できるというのです。
「でもさ、二人だけじゃつまんないよ」
「そうだな。何人か仲間にいれてやってもいいな」
 隣の書斎から紙と万年筆を持ってきて、普段の遊び仲間やクラスメイトの名前を書き出しました。それから彼らを、僕らと一緒ならいつでも屋敷に入れる中枢メンバーと、ときどき招待される二次メンバー、それから決して足を踏み入れることを許されないその他に分類する作業に熱中しました。
「たまたま遊びに来た奴が中に入ろうとしたらどうする」
「内側から鍵をかけておくんだ。暗号をきちんと言えたときだけ鍵をあける」
「退屈しないよう漫画とかも持ってこよう」
 そうしたおしゃべりも一区切りつくと、すっかりお腹がすいていることに気がつきました。台所で少し酸っぱくなった牛乳と食パンを見つけてつまんでいたときに、劫が小さな声をあげました。
「見ろよ。料理した跡がある」
 シンクに投げ出されたフライパンに、炒めた卵のかけらがこびりついていました。
「伯母さんが使って放りっぱなしにしたんだろ」
「そんな何日も前のものじゃないよ。まだ新しい」
 水がかかってふやけた卵の切れ端がいつごろのものか推測するのは困難です。でも劫のその言い方には、なにかぞっとさせるものがありました。思わず黙り込んだ瞬間、二階の廊下をぱたぱたと駆けていく足音が聞こえました。まだ軽いこどもの足音です。僕たちは顔を見合わせ、相手が何かを言うのを待ちました。しばらくして、劫が口を開きました。
「ここって昔、療養所だったんだよな」
 そう、結核の療養所でした。「結核」がどのような病気かは知りませんでしたが、僕たちはベッドに横たわったままじわじわと体が腐っていくというような、ひどく悲惨でホラー的でもあるような病気を想像していました。
「それがどうした」
「つまり、ここで死んだ人間がたくさんいるってことだよ」
 僕はひどく怯えた顔をしたのかもしれません。劫が吹き出しました。
「バカ、冗談だよ」
 しかし本当は劫も平静ではなかったのでしょう。それに今にして思えば、あの屋敷の魅力は本当は恐怖ともひとつながりだったのではないでしょうか。漠然とではあれ、あそこにはなにか不気味で秘密めかしたものがあるという感覚に、特に男の子は惹かれていたような気がします。
 とにかく、僕たちは何かをしなければならないと考えて、二階の部屋を探検してまわろうと決めました。二人でそれぞれ得物(劫は納戸で見つけたガットの切れたテニスラケット、僕はゴルフクラブ)を抱えて、階段に近い順に扉を開けていきました。閉め切りだった部屋はどこも黴臭く、窓は木の鎧戸で閉ざされていました。火の気がないために空気は冷たく、木の破れ目から霧のように外の白い光が染み込んでいました。豪華な調度の応接室、楕円形の大きなテーブルを備えた部屋、大ぶりのベッドとサイドテーブル、ずらりと酒瓶のならんだ壁際。何年も人の手が触れた気配のないそれらは確かに自分たちの知らない時代を感じさせました。そのようにして、八つか九つの部屋を見てまわったあと、僕らは自分たち以外誰もいるはずはないのだという当たり前の結論に帰りつきました。そもそも、この二階で今も生きているのは、伯母の居室と書斎、その隣の寝室だけなのだ、と。
「でも、まだ廊下の突き当たりの部屋、見てないな」僕がそう言いだしたのは、再び一階へ階段を降りかけたときでした。劫はふりかえり、何を今更、といった風に頭をふりました。けれど本当は劫もわかっていて、僕が口にするのを待っていたのだと思います。そして口に出してしまった以上、もはや気がつかなかったことにするわけにはいきませんでした。
 二人してうなずきあい、〝せえの〟で押し開けた扉の向こうは弾けるように明るくて思わず息を呑みました。中央に真っ白な湯気をふきあげている薬缶とストーブがあり、その隣で自分と同じ年頃の髪の長い女の子が、立ったままマグカップに口をつけていました。カカオの甘い香りが室内に満ちわたり、少女は唇にチョコレートの茶色い髭をつけています。こちらの闖入を予期していたかのような自然さで彼女はふりかえり、やっと来たのという調子で肩をすくめました。だから「ユキ」と劫が叫んだとき、それが少女の名前なのかと思ったくらいです。けれど劫が駆けよったのは彼女ではなく窓ガラスの傍でした。この部屋だけカーテンが大きく開け放たれていて、窓の向こうの広大な空間を一面白く埋め尽くしてその冬初めての雪が舞っているのが見えたのです。
「知らなかったの。さっきからずっとだよ」女の子はこともなげに言いました。
 三人で横並びになって冷たいガラスに額をつけました。降りしきる雪のかけらは、まるで誰かが高いところで紙片を撒いているかのようにゆっくりと左右に振れながら降りてきます。僕たちはすっかり心を奪われ、長い時間その場所に立っていました。今でも鮮明に思い出すことがあります。あの朝、冷え切った屋敷のそこだけ奇跡的に暖かい部屋のなかで、吐く息でどうしても曇ってしまう窓ガラスを何度も指で拭き直しながら、降る雪をいつまでも飽かず眺めていた自分たちの後ろ姿を─。


第二章~六章へと続きます。8月4日より書籍発売中。こちらのnoteでも全文がお読みいただけます。



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