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世界の「現実」ではなく「真実」――ノンフィクションが突きつけるものは、何かを変えられるか。


もしもあなたが、祖父母を殺して金を持ってこいと言われたら。
もしもそれを言ったのが、実の母親だったとしたら――。

2014年3月、17歳の少年が祖父母を殺害し、キャッシュカードなどを奪う事件が起きた。少年は強盗殺人容疑で逮捕され、裁判で懲役15年の判決が出て服役している。
事実だけ見ると、とても凶悪な少年犯罪だ。でも、その背後には深い闇が潜む。
加害者の少年は実母や義父に虐待を受けており、特に母親から心理的なコントロールを受けていた。小学5年生から学校に行かせてもらえぬまま居所不明児童となった少年は、場当たり的な毎日を送る母親の代わりに親戚にお金を借りて生活費を稼ぎ、一人で幼い妹の面倒をみていたという。
やがてお金を借りるあてもなくなったある日、少年は母親から「祖父母を殺してでもお金を借りてこい」と示唆される。
母親の異常性を理解しつつも、どうしても母親から離れられなかった少年。彼は母の言葉を聞いて、何を思ったのだろうか――。

事件を起こした後、少年は強盗殺人罪で逮捕されたが、事件を主導したと考えられる母親は少年に殺害を指示したことを否認。証拠もなく強盗罪のみで裁かれた。
4月に刊行になった山寺香さんの『誰もボクを見ていない』は、この事件を追ったノンフィクションだ。2017年に刊行された単行本の文庫化になる。

正直に言うと、本を読んでいる間ずっと苦しかった。
僕は主に小説の編集をしているが、小説の中ではどんなに主人公が辛い目にあっても最後に救いを作ることができる。むしろそうした救いを作ろうと思っている。
しかし、この本の中には幻想のない現実社会が横たわっていて、フィクションの世界はあくまでフィクションなのだと突きつけられた気がした。
現実から目をそむけたがる僕にはそれが苦しかったけれど、この本が提示する問題は、僕たち一人一人が考えなければいけない問題なのだろうとも思った。

この本を担当したのは、文芸編集部部長の吉川健二郎さん。
僕と同じく小説を編集する部署に所属し、ちなみに僕の上司でもある。
直木賞候補になった『きのうの神さま』(西川美和・著)などを担当した敏腕編集者で、医療刑務所を舞台にした小説『シークレット・ペイン』(前川ほまれ・著)や、とある死亡事故をきっかけに変化していく人間模様を描いた『一瞬の雲の切れ間に』(砂田麻美・著)など、骨太なテーマの小説を手掛けることも多い。
文芸の作り手が、なぜノンフィクションという形で現実を突きつけようと思ったのか。その中でどのように企画に向き合っていったのか。じっくりと訊いてみた。
(聞き手・構成:文芸編集部 森潤也)

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『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』内容
2014年、埼玉県川口市で当時17歳の少年が祖父母を殺害し金品を奪った凄惨な事件。少年はなぜ犯行に及んだのか?  誰にも止めることはできなかったのか?  事件を丹念に取材した記者がたどり着いた“真実”。少年犯罪の本質に深く切り込んだ渾身のノンフィクション。2020年夏公開予定の映画『MOTHER』(主演:長澤まさみ)原案。

起きてしまったことを、ふたたび起こさないために


 この本、ゲラを読むの苦しくなかったですか。

吉川 すごく苦しかったよ。


 加害者の少年が置かれた環境の過酷さを思うと本当に苦しくて、でもそういう現実が実際にある。まさにフィクションではない「現実」を突きつけられた一冊だったんですが、この本を出そうと思ったきっかけは何だったんですか?


吉川 会社の人が事件についての新聞記事を見せてくれたのがきっかけ。著者の山寺さんが書いた記事で、なんて酷く痛ましい事件があるんだろうと興味が沸いて企画を立てられないかと思った。


 本にしようと思ったときに、著者として山寺さん以外のアプローチも考えられましたか?


吉川 いくつか考えたけど、毎日新聞の記者の方であれば事件に関してフラットな目線を持っているのではないかと一方的に考えて(笑)、かなり早い段階で山寺さんにお願いしようと決めたね。


 たとえばですけど、加害者である少年の手記を出すという方法も取れなくはないですよね。それは考えませんでしたか。


吉川 その考えは俺の中ではなかった。たしかにそういう本も結構ある。でも、事件の背景も含めて加害者にも言い分があるということを踏まえても、加害者の手記を書籍化することのリスクは非常に大きいと思う。そもそも、第三者がこの事件を客観的に書くというのが、俺の中で作りたい方向性だったから。

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 そうしたノンフィクションを作るときに、どういう流れで作るんですか。新書とも違いますよね。


吉川 本をどういう構成にするか、みたいなところは著者と打ち合わせしながら決めていくことが多いと思う。でも新書みたいに目次を立ててから原稿を作るわけではなくて、まずはこの本で何を伝えたいかを一番に考える。この本では事件の真相と、なぜこういう事件が起きてしまったのか、少年がなぜこういう犯行に及んだのかを掘り下げるということ。あと、少年にもある程度汲むべき事情があったということも書いてほしいけど、この少年が人を殺めたという事実は法律的に許されるものでは絶対にないという大前提でこの本を出す、ということを意識して企画を詰めていったと思う。


 ルールというか線引きというか、企画の根っこを共有するわけですね。


吉川 よく山寺さんと話をしたのは、この事件を美化してはいけないし、少年はある意味では被害者であるという風に持っていってはいけない。どのような理由があっても少年の犯した罪は消えないからこそ、今後このような事件が二度と起きないようにするために何かできるのか、ということ。起きたことはどうしようもないので、それがまた起こらないようにするための一歩にしたいと思って作っていったね。

自分の中に「この本を出す必然性」があるか

 こうしたノンフィクションは実際の加害者と被害者が存在するので、どちらかに視点が偏り過ぎてもいけないと思います。適切な距離をとることが必要で、そこが一番難しいと思うんですが、ディレクションの中で著者と相談することはありましたか?


吉川 山寺さんが最初から客観的に原稿を書いてくださっていたので、それはあまりなかったね。たしかにノンフィクションそれぞれに距離の取り方は難しくて、どこまで踏み込んでいいのかというところがあるし、場合によってはどこまでも踏み込まなければいけないということもある。その的確な踏み込みができたのは、山寺さんがこの事件とこれからもずっと付き合う覚悟を決めたからだと思う。


 こういう本は編集者にも覚悟が必要だと思いますが、吉川さんもそうした覚悟を決められたのでは?


吉川 そうだね。生半可な気持ちではぜったい出せない。様々な批判が起きたときに自分の中でこの本を出す必然性がちゃんとあるか、というのは常に考えていた気がする。


 吉川さんの思う「出す必然性」は、この本を出すことで同じような事件が二度と起きないようにしたい、ということですか?


吉川 子供たちに二度とこんな事件を犯させないための教訓がこの本から得られるのであれば、それは児童書版元であるポプラ社だからこそ出す意味があると思った。あとは好奇心だけで本を手に取らせる以上のものがこの事件にはあると感じたので、出そうと心を決めた。

ノンフィクションとフィクションの境目

 吉川さんは担当された小説でも社会派なテーマを扱うことが多い気がしますけど、もともとこういうテーマがお好きだったんですか。


吉川 好きだね。小説でも事実を元にしているとか、史実の隙間を縫ってフィクションを挟み込んでいるタイプの作品が好き。ノンフィクションは言うに及ばずだけど、完全なフィクョンよりも現実に起きたことが元になって書かれているものに、より惹かれる。なので社会派というよりも硬派な骨太な小説に興味があるんだと思う。


 この事件をベースに小説にしようとは思われませんでした? 柚木麻子さんの『BUTTER』(首都圏連続不審死事件をモチーフにした小説)などもそうですよね。


吉川 それは思わなかったね。この事件が完結していることと、実際の事件を元にフィクションを作り上げる難しさを知っているから。小説だとやはりエンタテインメントにする必要や役割があると思うけど、現実をそのまま書いても面白くならないから本当に難しい。


 現実に起きたものをベースにすると、当然しっかり調べないといけません。でも調べれば調べるほどノンフィクションになってしまう難しさがありますよね。


吉川 そうなんだよ。あえてフィクションにする意味を見出せないと難しいね。最近は、事実は小説より奇なりと痛感する事件が多いしね……。


 小説の場合、それぞれの人物の心情まで描ける魅力がありますけど、こうした特殊な加害者の心情を描き切ることも相当難しいでしょうね。


吉川 この事件の加害者の少年は、学校教育を受けていない中できわめて頭脳明晰で、山寺さんとの手紙のやりとりを見せて貰っても、自分の頭で考える力を持っている。そんな少年がなぜ殺人事件を起こすまで追い込まれたのか――という部分が今回の事件の最大の闇だけど、そういう人の心情を、取材を重ねたとしてもエンタメ性を加えつつフィクションとして書ききることは至難の業だと思う。


 吉川さんが担当された前川ほまれさんの『シークレット・ペイン』は医療刑務所を舞台にした小説ですが、逆に医療刑務所のノンフィクションを出そうとは思いませんでしたか。

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吉川 俺の中では『シークレット・ペイン』は小説でしかできなかったと思う。あれは事実を追ってしまうとあまり面白くない描き方になってしまって、淡々と進んでいってしまう。現実には医療刑務所で事件なんて起こらないけど、フィクションにすることで色んな動きやドラマが生まれ、それによって医療刑務所を舞台にする意味や深みが出てくる。あれは小説だからこそ場面が活かされたような気がしているね。

 なるほど。ノンフィクションにしか伝えられない凄みと、フィクションにすることで際立つ現実、というのはとても興味深いですね……。

ノンフィクションという「本」を出す意義

 単行本が出た時に反響はありましたか?


吉川 すごくあった。最初に反響があったのはヤフーニュースでこの本の記事が転載されたときで、ネット書店でとてもよく売れた。そのあともニュースで取り上げられるごとに、リアル書店よりもネット書店で動きがよくて、その印象が強かった。


 それだけ今回の事件が持つ闇に、潜在的な危機感や怖さを持っている人が多かったんじゃないかなという気もします。


(本書について触れた記事の一つ)

吉川 関心を持った人が事件の全貌をすぐに本で読みたいと思ってくれたのかな。


 そう思うと、こうしたノンフィクションを本の形で出すのは意義がありますね。事件のニュース自体は新聞や雑誌やウェブで読むことができます。断片的な情報はたくさんあると思うんですけど、その中でも本という形でまとめられた役割というか


吉川 それが本のひとつのメリットなんじゃないかと思うね。新聞は短い原稿の中で内容を伝えられるけど、そのあと事件がどうなったかや加害者がどうなったかの後追いはなかなかできない。センセーショナルに取り上げられた事件もいずれ風化して忘れられてしまう。でも事件自体はその後も動いていて、それを丁寧に追っていけるのは書籍ならではだと思うので、もっとノンフィクションのジャンルが活況を呈して欲しいと個人的に思うけど(笑)。なかなか難しいよね。時間もかかるし。


 お金もかかりますしね。


吉川 そうなんだよ。でも意義はあると思うなあ。


 そういう本を一人でも多くの人が読んで、何かが変わると良いですね。


吉川 それで何かが少しでも変わると、出版に携わる身としてはありがたいなと思うね。少年が出所するころには30歳前後になっていて、その後、彼自身がどうやって社会の中で生きていくのかを考えるだけで胸が塞ぐ。そして失われた命は返ってこない。だからこそ、なぜこの事件が起きてしまったのかということを考えていかないと、また再び同じような事件が起きる可能性がある。


 児童書版元に勤めているからというわけではないですが、子供にまつわる事件は特に身につまされますし、このような事件は二度と起きて欲しくないですね。


吉川 簡単に解決できない問題で、じゃあどうすればいいかなんて、すぐに答えは見つからないけど、山寺さんも本の中で書いているんだけど、他人に一歩踏み込む勇気があれば、状況が変わる可能性がある。だれかが少しでも踏み込んで少年たちに関わっていれば、今回の事件も防げたかもしれない。この本を読んで一歩踏み込んでくれる人が一人でも増えれば、この本を出した意義はあるのかなと思うね。


 僕自身も、一歩踏み込む勇気を持とうと思います。今日はありがとうございました。


今回の担当編集:吉川健二郎(よしかわ・けんじろう)
ポプラ社一般書事業局 文芸編集部部長
主な担当作に、『ゆれる』(西川美和)、『青い約束』(田村優之)『一瞬の雲の切れ間に』(砂田麻美)、『赤い靴』(大山淳子)、『シークレット・ペイン』(前川ほまれ)など。

▼山寺香『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』の詳細はこちら
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/8101401.html

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