みんな自分のために生きていい


「死にたい」という気持ちでいる人に対して、私は「生きてほしい」と心の底から願っているけど、一方で、「死を選択してもいいよ」とも思っている。

人は誰も、他人の人生を生きることはできない。あなたの人生を生きることができる人間は、あなたしかいない。その唯一無二のあなたが死を願い、死を選択するなら、それを止める権利は誰にもない。私にも、親にも、先生にも、友達にも。

あなたが「生」を選択しても、「死」を選択しても。あなた以外の誰も、その選択に責任を負うことはできない。

だけど同じように、あなたには生きることのできない私の人生が、私にはある。私だけが責任を負うことのできる、私の人生が。

だから私は、私のために、あなたに伝えたい。「生きて」と。これは完全な、私のエゴだ。私は私に出会ってくれた人に、生きることをあきらめてほしくない。理由なんてない。ただ、生きてほしい。そう思わずにはいられない。

生きるって、ものすごくしんどい。未来のことはできるだけ考えたくないし、うっかり考えようものなら簡単に絶望できてしまうくらいには、しんどい。でも残念ながら、生きてさえいれば、楽しいことにも出会えてしまう。だから私は、誠に遺憾ではあるものの、なんやかんやで今を楽しみながら、これからも生きていくのだと思う。

私は私のために生きていくし、私のために人に優しくする。そして私のために、あなたに明日がくることを願う。

だからどうか、あなたもあなたのために、生きてください。親や友達やパートナー、自分の子どものためじゃない。もちろん私のためでもない。あなた自身があなたに問いかけて、「生きたい」と思える限り、生きてほしい。もしもあなたが、あなたのために「死」を選択するのなら、それを私は責めたりしない。あなたの「生」も「死」も、あなただけのためにある。

「死にたい」人に対する自分なりの想いを文章にしたいなとずっと思っていた。でも、上手くまとめることが全然できなくて、今日に至ってしまった。
まとめることができないのは、たぶん自分の中でも、整理ができていないからなんだろうなと感じている。「生と死」の問題は、とても複雑で、繊細なものなのだろう。いつもはもう少しするりと出てくるタイトルすら、今回は全く浮かばなかった。

でも、苦戦した理由はテーマだけじゃない。
このところ、私の脳は酸欠気味だ。日々の呼吸で精いっぱいで、「考える」力が衰えているのを、自覚している。仕事で疲れた身体に手っ取り早く娯楽を享受して、疲れを癒した気になって、また仕事をする。でも本質的に癒されていない、ちゃんと呼吸をしたわけじゃないから、疲労が蓄積されて余計に脳が呼吸できなくなってるんだというのもわかっている。わかっているのに何もできずにいる自分が、悔しい。

考えたり、表現したりするのは、少なくとも私にとってはとても大切なことだ。なんとかして、考え事をする時間を、余裕を、自分に与えてあげなくちゃいけない。だから、 #夏休み延長戦 を、もう少し続けてみようと思います。更新ペースは落ちるけど、コンスタントに。他の誰でもなく、私自身のために。

今日はすでに脳のバッテリーが切れそうなので、詳しい話はまた後日。10月に、また会いましょう。


2019.9.29 西垣ポプラ

#エッセイ #8月31日の夜に



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