国語という教科

国語という学問は大事だが、一律にテストを実施するべきではないのではないだろうか?
最低でも「自由に思考させる国語」と「情報を読み解く国語」の2つに分け、前者は中高共通、後者は選択式で必須は中学までとかにするべきだと考えている。

以前のエントリーでも記述したが、
国語的思考力=与えられた情報を正確に読み解く能力
だと考えている。
そういう意味でいうと、いわゆる小学生までの
「下線部を表す言葉は何か、文章中から15文字以内で抜き出して答えなさい」
のような問いでその能力は必要最低限までは身につけられるように思える。

社会人というのは自らの意見を持つことを求められる。
オンリーワンオンリーワンと言いながら、「何者か」になることを「大人」に求めるのであれば、自らの意見や芯を持つことは必須要素だろう。

そのためには評論や物語を読んで、自分なりに何かを考えさせることの方が重要なのではないか?
「筆者の考え」を問う問題で、主観を交えた意見表明のような答えを排してしまっていては自由な発想を抑制してしまう結果にならないだろうか?
もちろん、国語という教科の目指す「国語的思考」の本質を考えれば、当然自由な意見思考を排することは目的ではない。しかし高校までのうちに数学的思考と国語的思考の区別を生徒に根付かせて、自分たちで内省させながら国語を学ばせることというのはいささか難題すぎるように思えるのだ。

そのためには、国語という教科の授業は設けながらも、読み物を読ませ、考えたことを議論させる内容を追加するのが良いように思える。
国語的思考に関しては、国語的学問を究めたい者以外には実学の側面もある英語という教科がその思考を育てるには十分だろう。あるいは古典、漢文は教養を学ぶ視点で残しても良いかもしれない。

理系学部では国語ではなく小論文を採用している学部が多いのも上のような理由なのであろう。
国数英社理というのがもはや常識になっているが、「何かを読んで考える」ことの重要性という視点を数学的思考以外に入れ込むべきではないだろうか。
やはり人間を育てる「教育」を本質的に捉えるのであれば、忘れてはならない視点のように感じられる。

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