Xデザイン学校 アドバンスコース Day1
2023年5月14日 文:ポップなアルケミスト
今日からXデザイン学校で学び始めました。メンバー18名みな社会人で多様な経歴を持ったメンバーです。書籍もそうですが、こういう学びの場も他人の経験や考えを手に入れられるツールの1つですので、自分の考えを軸としながらも、多様な考えを広く聴き、把握し、また自分にフィードバックして、脳内整理に活用していきたいと考えています。
初日ですので、講義内容の話というより、講義を聞きながら「自分脳」が反応していたことを思い出しながらアウトプットしてみます。
印象に残った3つのメモ
とは言っても、講義で印象に残った手元のメモが3つあります。
1つ目は「ジャパネットたかた」の話
ジャパネットたかたはコールセンターに商品が置いてあり、従業員が商品を見て「体験的に」アドバイスをするようです。
いわゆる一般的なコールセンターとは全く意味が違うところがあり、顧客にとっては知りたい情報に素早く辿り着くことができるという体験、従業員にとっては顧客の声を直接聴くことができ、ビジョンとの整合性を自ら確認することができるという体験があります。まさにこれは、CSであり、ESであると感じた話でした。
2つ目は「デザイン思考課題あり」の話
これは、5年前に感じたことと同じ話でしたので印象に残りました。いま巷で広まっているデザイン思考は「体験的」ではなく、単なる問題解決をしているだけということです。デザイン思考だけで複雑な問題は解決しないし、ましてや新しい事業に繋げるのはまず困難だろうという話です。
当時、デザイン思考を知り、カンファレンスなどをはじめとする様々な場所でデザイン思考に関する話を聴くたびに「自分脳」が「デザイン思考で解決したわけではないよね」と反応していたことが多くあったのを覚えています。いかにもデザイン思考が成功を導いたと言うような風潮の話には、正直嫌気がさしていたのもまた事実です。
3つ目は「感性は磨ける」と言う話
発端はアート思考の話でしたが、「人は美しさで判断している」「この車、美しいから買うとは言いにくいのでアレコレ理由をつける」などの話がありました。もちろん、いくら美しくても命の危険があるとわかっている車は買わないでしょうから、いわゆる当たり品質は大前提という話なのは言うまでもありませんが。
この「美しい」という感性が必要で、この感性は磨くことができるということです。いかにもアートな世界の「絵画」もそうでしょうし、身近なビールの味ひとつとってもそうでしょう。続けることで感性は磨かれますし、意識的に磨き続けることが大事ということですね。
自分脳が反応していた2つのこと
さて、折角なので講義とは直接関係はないですが、メンバーの様々な話を聴きながら「自分脳」が反応していたことも言葉に落としておきます。
大きくは2つあります。
1つ目は「自分の頭で考える、は普遍である」と言うこと
当たり前の話ですが、実はこれをできない人が多いと日常的に感じています。どこかの誰かの考えが強く反映していたり、知識や経験の少ないまま浅い考えで程よくまとめたり、課題のポイントがそもそもずれていたり、本当に色々なことが日々起こっています。
自分の頭で「問題を構造化し、論理的に答えを導き出し、行動を起こす」と言うことは、仮に無能な人でもできます。
いま無能という言葉を使いました。私はわかりやすくするために、普段から有能、無能と言う言葉で表現するのですが、無能だからどうこうと言うことを言いたいわけではありません。
そういう私も無能な人間ですし、そもそも有能だろうが無能だろうが、人である限り、どこかの何かの歯車でしかあり得ません。「私は歯車ではない」と思っている人は、おそらく無能でしょう。
自分が担う歯車の場所でしっかり働くことが大事です。小さな歯車でも、ちゃんと知識をメンテナンスし続けていれば、今いる場所が仮に壊れたとしても、また別の場所で生き続けることができます。
毎日莫大なお金を動かすビジネスパーソンも、狩猟をして生活している民族の人も同じです。知識のメンテナンスをし続けていれば、その環境で生き残ることはできますし輝くこともできます。それが歯車のプライドです。
話が逸れましたので元に戻しましょう。
もちろん有能な人であれば、複雑な問題の答えにも早く辿り着く可能性があるわけですが、無能な人はやはり時間がかかります。だからと言って、自分の頭で考えることを自分から諦めてはならないと言う話ですが、いずれにしてもこれが出来ていない人が多い。
論理的に答えを導き出すためには書籍だったり見聞きした情報など、あらゆる情報を収集することが大前提ですので、すべてゼロから一人で考えろと言っているわけではありません。情報収集はしっかり行い、編集を自分の頭を使ってやるべきだと言いたいのです。
ふと、情報編集で思い出しました。みなさんは日々ChatGPTを活用していますでしょうか? 私はリリース当初から便利に使わせていただいてますが、最終的な情報編集は自分の頭で考えるということが前提にさえあれば、生産性という点で圧倒的に有用なツールとなっています。
この文章もChatGPTに「文章として間違ってるところあったら教えて」と聞いたら、丁寧に文章の感想までつけて「5秒」でレスしてくれました。
また話が逸れましたね。元に戻します。
もちろん仲間も必要です。一人でできることは極めて小さいことしかできませんので、大きな問題に対峙するのであれば仲間も解決に必要な要素の1つです。大事なのは、どんな仲間が必要かと言うことも自分の頭で考えろと言うことです。
無能だけがいくら集まっても難しい問題の答えには、おそらく一生辿り着かないでしょう。それは事実だと思います。ただし、私のように、自分自身が無能だとしても、優秀な仲間を選別する感性を磨き、その仲間と協働するためのスキルを磨いていけば難しい課題も解決できるのです。
このデザインと言う領域においても知識や手段の話をしているのではなく、自分の頭で考える、と言う本質的で重要なポイントとなることが今日の講義全体通して「自分脳」が感じていたことの1つです。ツールや手法、表層的なデザイン成果物などに目が行きがちですが、これから学ぶことはそう言うことではないと感じました。
2つ目は「課題は多種多様にある」と言うこと
事前に昨年の成果発表を見させていただいてたので、ある程度想像していた通りでしたが、メンバーは非デザイナーも多く、多様な研究テーマの話がありました。ビジネスデザイン、組織デザイン、システムデザインなど、デザインという言葉に絞っても多種多様なテーマがあり、メンバーのテーマが非常に興味深いと感じました。
私も非デザイナーであり、追いかけたいテーマもいわゆるデザイナーの領域ではありませんが、デザインを軸としながらも多様なメンバーの多様な視点で学ぶことができる環境がここにあるんだと「自分脳」が反応していました。
多様性は大事だと長く言われ続けていますが、実はその多様性を阻害しかねないルールや文化などが身近でも多く見られると感じています。デザインというと、広義でも狭義でもクリエイティブな発想が重要となる領域だと思います。
人は飛べるようになったわけでもありません。脳が飛躍的に進化したわけでもありません。ただし、情報やものはこの100年で凄まじい変化をしています。それに適応する能力が人間にはあります。そこをクリエイティブな発想で捉える必要があります。多様性が生まれにくいルールや文化はそれを阻害しかねないと言う懸念は今現在も常に持っています。
日本人は、元来変化を捉え適応するのは得意な民族だと考えています。決して広いとは言えない国土で、資源も少なく、そんな中で四季を愉しみ、そして経済的な世界トップになることもできた時代があるのですから。このまま国力が低下するのを黙って見過ごすわけにはいきませんよね。
と言うのも、ビジネスにおいては正解があると私は考えています。もう少し砕くと、勝つためには守るべき教科書的な正解がある領域と、変動性があるものとして扱うべき領域が存在するということです。
この教科書的な普遍である部分までを変動性がある領域として間違って扱ってしまったり、それよりもっと大事なことが忘れさられたりするようなことで、失敗しているのではないかと感じることがあります。
しかもそういうところに限って、反省のない表面的なリフレクションをしたり、リフレクションをしていないことがありそうです。
教科書を間違っては優秀な人材がいても勝つことはできません。デザインの領域は、表層的な変動性の部分に目がいきがちで、クリエイティビティが求められるからこそ、教科書を間違ってしまえば、特にその影響が強く出てくる可能性があるのではないかと想像しています。
これから考えていきたいテーマのこと
まだ私自身のテーマは、ぼんやりとしている状況ではありますが、このあたりの話を少し拡大して「経営システムとデザインおよびデザイン人材の関係」についてテーマにしていくのはどうかと、今は考えています。
ダラダラと書きましたが、 気負うことなく、マイペースでやるのが今の私の学びのスタイルですので、この分野でも、昨日の自分よりまた1歩進めるようにやっていくという決心ができたところです。
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