ふたりの翼。#003

#003 「恋人候補。」

さっきあまり気にしなかったが、対面式になっているキッチンのカウンターの上には、様々な種類のお酒が並んでいて、その一角にはカクテルを作る道具やお洒落なグラスも置かれていた。

私はカウンターの前に置いてある椅子に座ると、キッチンで何かを作り始めていた彼の方を見ながら、

「何作ってるの?」

と、まずは無難な質問をしてみた。

「簡単なおつまみ。少し小腹も空いてきたから、何かつまみながら飲んだ方がより酒も進むでしょ?」

そう彼は話すと、手際よくトマトとチーズを切ると、それをきれいに皿に盛付けていった。

「それ、カプレーゼでしょ?」

「あたり。チーズはモッツァレラがなかったから、カマンベールだけどね。あっ、カウンターの右端に置いてある鉢からバジルの葉を2・3枚採ってくれる?」

そう言われてみると、カウンターの右端の方に、植物が植えてある鉢が何種類か置いてあった。

私は鉢の近くに行き、彼に言われたバジルの葉を2・3枚採って、カウンターの上に置いた。

「どれがバジルか知ってるんだ…」

私が置いたバジルの葉を手にした彼が、そう言ったので

「私もハーブとか少し育ててるから。まっ、その前に香りでわかるでしょ、普通」

「いや。普通はわからないコの方が多いよ。“私もバジルとか好きで育ててるの~”とか話しといて、実際にバジルが使われた料理が出てきたら、“この葉っぱの匂い嫌い…”とか言うんだよ。もうその時点でアウトだね」

「あっ、今軽く女性を馬鹿にしてる?」

「馬鹿にしてないよ。俺はただ、“そういうコ”は苦手だって言ってるだけ。男の気を引こうと、中身なしに適当に話し合わせてるようなコとは仲良くなれないってコト」

彼はそう言うとバジルの葉をちぎってトマトとチーズの上にちらし、オリーブオイルをかけてカウンターの上に置いた。

「だって自分が知りもしないコトを点数稼ぎに話してもすぐにバレるでしょ。だったら、“私バジルとか興味ないので”とか“よくわからないので…”とか正直に言うコの方が、俺はまだ好感度持てるけどね…」

「今の話のコって、総務部の人でしょ?」

私がいきなり的を射るようなコトを言い出したので、彼は少し動揺したのか、冷蔵庫から取ろうとしていた生ハムのパックを床に落とすと、すぐさまそれを拾いながら

「よく知ってるね」

と言って、私の方を見た。

「少し前に、女子社員の間で噂になってたからね。とうとう山が動いたか…って、嘆いてた人もいたけど…」

「それって大袈裟。仕事の事で相談したいコトがあるからって懇願されて、仕方なく一緒に食事しに行ったら、流行の小洒落たイタリアンの店だったんだよ。もう店の名前聞いた瞬間に、“騙されたっ!”…て気が付いたけど、もう断ることもできないから、とりあえずそのまま食事しただけ。お店出たら、彼女が“次どうします?”とか言出す前に、すぐにタクシー拾って彼女を車に押し込んで、俺はさっさと家に帰ったよ」

「それってちょっと酷い。」

「何で?酷くないよ。全然その気もないのに、気を持たせるようなコトする方が、酷いよ。だったら最初から完全にシャットアウトした方が、相手もあきらめがつきやすいでしょ?まっ、稀に空気読めずにその後も何度も誘ってくるコもいるけどさ…」

「それも総務部のコでしょ?」

「何だよ…。どこまで噂は広まってるの?」

「やっぱり…。安心して。今はもうそのネタは終わってるから。でもあのコって、男性社員の間では、人気あるんじゃないの?」

「そうみたいだね。でも、社内でオトコアサリし過ぎ。さすがに男も尻が軽すぎる女は敬遠しはじめるから、最近は誰も誘いに乗らなくなってるみたいだよ。だから、上司と不倫してるとか噂になってるけどね」

「えっ!そうなの?それはまだこっちには流れてない情報かも」

「いや、もうこんな下世話な話は止めようよう。つまみも出来たし、もう飲み物作るから、これあっちに運んで」

彼はそう言って、さっきカウンターに置いたカプレーゼの皿と、生ハムとナッツを盛付けたプレートを私の前に差出した。

私はそれを受取ると、ソファーの置いてある窓際のスペースへと移動し、彼があっという間に用意したおつまみをテーブルの上に置くと、そのままソファーに腰を下ろした。

彼とこんなふうに会話をするのは初めてだった。

自分が思っていた以上に彼との会話が弾んでいるのはびっくりだったけど、さっきまであった気まずさや恥ずかしさはいつの間にか消えていて、もっと彼といろんな話をしたくなり始めていた。

「はい、コレ…」

彼がそう言って私の前に差出したのは、カクテルグラスに入ったオレンジと赤のグラデーションになったカクテルで、さっき彼が切っていたオレンジが、グラスのふちに添えられていた。

「コレって、オレンジフラワークーラー?」

「おっ!よく知ってるね。キミが今日、オレンジジュースを使ったドリンクをよく頼んでたから、好きなのかなって思ってね。まっ、これはアマレットとジンジャーエールが入ってるけど…」

「私、アマレット好き。ボッチ・ボールはよく飲むよ」

「すごいね!やっぱりキミって、俺とすごい気も話も合いそう」

彼はそう言って嬉しそうに私の方を見ると、そのまま顔を近づけてきて、軽く唇にキスをした。

それは本当に自然な流れで、私はその流れには今回は逆らえず、彼の顔が近づいてきた瞬間、思わず目を閉じてしまった。

彼はその後何も言わずに微笑むと、私の持っていたグラスに自分のビール瓶を軽くぶつけ、小さな乾杯をしてからビールを飲み始めた。

私はその様子を黙って見つめ、すっかり忘れていた恥ずかしさを思い出しながら、彼が作ってくれたカクテルを飲んでみた。

「あっ、これ美味しい!」

それは率直に出た私の言葉で、私の好みにど真ん中な味のカクテルだった。

「そうでしょ!」

彼は私のこの率直な言葉に、少し得意げな感じでそう言った。

「詳しんだね、お酒のコト」

「まっ、ね。高校の時から飲食店でバイトしてて、大学入ってから、バーテンの仕事してたんだ。本当は大学出たら、本格的に飲食の世界に進むつもりだったんだけど、親父に反対されてね…。いつか自分の店を持ちたいって思ってるから、とりあえず資金も貯めなくないから就職したんだよ」

この話をし終えた後、彼の表情が少しだけ曇ったように見えた。

なので、この話題はコレ以上続けてはいけないような気がしたので、私は咄嗟に話を変えようと思ったが、気の利いたような話も出そうになかったので、とりあえず自分の話をするコトにした。

「私は今の仕事が好き。ようやく自分が望んだ部署に配属になった時は、本当に嬉しかったよ。その前までは、何度か挫けそうになってたからね。自分はこんなコトがしたくてこの会社に入ったワケじゃないのに…て思っては、毎日黙々とただ仕事を片付ける日々でさ…。でも今は、“仕事を片付ける”というのじゃくて、“仕事をしてる”に変わって、仕事の疲れも心地のいい疲れになったから、こうして飲むお酒も、一段と美味しく感じられるようになったのかもね…」

それは、今の私が言える、彼に向けた“ガンバレ!”のメッセージだった。

彼にそれが伝わるかはわからなかったけど、もし、この私の気持ちを彼が感じ取ってくれたら、私の中の彼に対する気持ちは、きっと大きく変化すると思えた。

「ありがとう…」

私の話を聞いて、彼はそう一言だけ返すと、そのまま黙ってまたビールを飲むと、

「そういうふうに俺の心の中に入ってこれる人と、また出会えるなんてね…」

と言って、嬉しそうに私の方を見た。

「そういうふうに?」

私がそう聞き返しても、彼はただ黙って微笑むだけで、それ以上は何も語らなかった。

たぶん、彼の心の中に“そういうふうに”入って行けた人が、今でも彼が心の中でずっと大切にしている人なのだというコトだけは、さすがの私にも分かった。

「明日、天気が良かったら、一緒にドライブしようか」

彼がさっきまでの空気をひっくり返して、何の脈絡もなくまた会話を始めたので、私は少しほっとして、思わず

「いいよ…」

と即答してしまった。

すると彼が、

「あっ、今度はそれっぽい空気にキミが流された…」

と言って笑った。

「流されたんじゃなくて、あなたに興味が湧いてきたの。だから、ドライブに行ってもいいかなぁ…て思っただけ」

「それってつまり、俺のコトがスゥ…」

「好きになるかどうかは、まだ先の話…」

私はすかさずそう言うと、

「好きになるかどうかお試しするんでしょ?だったら、ふたりでいろんなコトを経験していかないとね…」

私はそう言うと、たぶんはじめて彼に微笑みかけた。

それは、極々自然に出た、自分の笑顔だった。

「まっ、そういうコトにしておこうか…」

彼はそう言ってまた笑うと、テーブルの上にあったタバコとライターを手に取り火をつけた。

私はその様子を横で見ながら、彼が吸おうとしていたタバコを黙って取り上げると、すぐ目の前に置いてあった灰皿でそれをもみ消した。

「えっ?何で?それ、さっきもされたけど、何か言ってから取上げてよ」

「私の恋人候補になったんでしょ?だったら、“恋人候補”から“恋人”になれるよう、まずはタバコはやめた方が有利だよ」

私がそう言うと、

「なるほどね~。俺にも結構チャンスはあるんだ…」

と言って大笑いし、まだ沢山入っていたタバコの箱を、そのままゴミ箱に投げ捨てた。

「コレで、かなり有利になる?」

「さっきよりは、少しだけ“恋人”に近づいたかもね」

そう言って私はまた彼を見て微笑むと、そのまま彼の肩にもたれかかった。


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