「ホーム。」

この店で飲み始めてから、もうどのくらい時間が流れたのだろう。

カウンター席の一番奥に陣取って、俺は1人酒をくらっては、ずっと自問自答していた。

自分ひとりであれこれ悩んでいても、簡単に答なんて見つかるわけがないとわかってる。

だけど俺はいつも、嫌なことや苦しいことがあると、こうやってまずは自分自身と、とことん語り合うことにしているのだ。

そして、自分と語り合いを終わらせる時には、いつも最後はこんな質問を自分に問いかけていた。

そういえば、何で俺はココで飲んでるんだ?

この問いかけが出ると、俺はいくら自分だけの世界に浸っていたとしても、すんなり“ふと、我に帰る”ことができるのだ。

ようは、酔いがさめて、正気に戻る・・・ということになる。

そして今日も散々自分との語らいをした俺に、自分自身で、最後の問いかけをしてみた。

「そういえば、何で俺はココで飲んでるんだ?」

「上手くいってた仕事が、アホな上司のせいで全部ダメになったからだろ・・・・・・あっ、おにーさん、ホッケと肉じゃがね!」

えっ?

なんで誰かのコトバが答えになって、俺に返ってくるんだ?

そう思い、俺は別の意味で自分の世界から、我に帰った。

そして、声の方のする方を見ると、俺から席を1つ置いたところで楽しそうに店のオヤジさんと話している、あいつがいたのだ・・・。

時計の針がちょうど11時を過ぎた頃、俺とあいつは一緒に店を出た。

どういう経緯で、俺とあいつは互いのグチをこぼしながら飲みだしたのかはよく思い出せないのだが、とにかく今夜はとことん二人で飲み明かすことを決めたのだった。

次の店に行った頃には、もうすっかり俺の酔いはさめていて、やっと気持ちも落ち尽きだしていた。

「いやー、今日はホント、あんたと出会えてよかったよ。やっぱり、ひとりで飲んでるより、ふたりで飲んでる方が楽しいよな・・・」

「おいおい、何だよ急に、せっかく酔いがさめたっていうのに、また酔っぱらってんのか~」

そういってあいつは俺の片を軽く叩いた。

話を聞けば、俺がカウンターですっかりできあがっていたころ、あいつがちょうど店に来たらしく、それでたまたま俺の隣の席に座ることになったそうだ。

「あっ、でも最初にからんだのは、キミじゃなくて、オレのほうだよ・・・」

あいつは俺のことを、なぜかキミと呼んだ。

「でも、俺はあんたの話し、何にも覚えてないや・・・」

そして俺は、あいつのことをあんたと呼んだ。

「何かオレが店に入ったとき、一番奥の席で“ダメぇ~・・・”オーラを出してたキミを見て、きっとオレはこの人の隣で飲むことになるんだ・・・て悟ったよ」

「えっ?何だよそれ」

「いや・・・。オレと同じ空気背負ってた気がしたからさ、一緒に飲めたらちっとは楽しいかな・・・て思ったんだよ。まっ、結局、混んでたから強制的に隣の席になっちまったんだけどね・・・」

そう言ってあいつは苦笑い、グラスの酒を一気に飲み干した。

たぶんこれが男と女の出会いだったのなら、きっと今頃運命なんて言葉をちらつかせて、口説き文句のひとつやふたつ語っているところだろう。

だけど、今回の出会いには、あまり運命という言葉は似合わないような気がしていた。

ましてや、飲み屋で出逢った、ただの酔っぱらい同士の野郎の出会いだし・・・。

じゃー、いったい俺たちの出会いって、何なんだろう?

ただの偶然だったのか。

それとも出会うべくして出会ったふたりだったのか・・・。

なんて考えることすら、本当はバカげてるのかもしれないのかな?

だけど、今夜はそんなどうでもいいようなコトすら、とことん考えてみたくなるほど、いつのまにか心に余裕が出始めていた。

俺たちは、互いのコトを少しずつ語りだしては、あれこれ共感を抱き、そしていつしかふたりが同じ「いろ」を持っていることを感じ始めていた。


気がつけば、いつしか世の中は目覚めの時間となり、薄暗い空の彼方から聞こえてくる電車の音が、何だか急に俺たちを現実世界に引き戻す・・・。

酔いもすっかりさめ、気怠い空気がまだ漂っている繁華街を抜けたした俺たちは、澄んだ空気が広がる朝の公園をふらついていた。

そして、ふと、目の前に見えた自動販売機のぼんやりとした明かりに、俺たちは何だか呼び止められた気がした。

「なぁー・・・コーヒー飲みたくない?」

俺がそう言うと、

「同感・・・」

と言って、あいつはポケットの中の小銭をあさり始めた。

ポケットから小銭を出したあいつは、コインの数を数えながら

「あっ、残念・・・。20円足らないよ・・・」

と言って、またポケットの中をあさりだした。

「なんだよ・・・20円くらい俺が出してやるって・・・」

俺はそう言うとズボンのポケットから小銭を出して、10円玉を探してみた。

「えーと・・・。あっ、10円玉はないや・・・。もう、100円玉やるから、釣りはとっとけ・・・」

俺はあいつに100円玉をやると、何となく自販機にもたれかかりながら、その場に腰を下ろした。

「何だよ、まだ酒が抜けきってないのか・・・。」

あいつはそんな俺の様子を笑いながら、自販機に小銭を入れ始めた。

始発まで1時間・・・。

俺たちは、そのまま二人で自販機にもたれかかりながら、その場に座り込み、コーヒーを飲みながら、また他愛もない会話を続けていた。

「学生の頃は金なかったからさ、よく駅前にある大きな噴水の近くで、友達と始発が動くまで、どうでもいいようなバカ話しながら、時間つぶしてたな」

「あっ、それ、俺もよくやった。何かあの噴水の前って、妙にくつろげる空間なんだよな・・・。ちょうど座るのにもいい感じの作りでさ」

「そうそう・・・。あの噴水っていいよな・・・て、もしかして、キミって俺と同じ学校だったりする?」

そう言うとあいつは俺の方を見た。

「えっ?あんたってどこなの大学?」

「院大の工学部だけど」

「なんだ、学部も俺と同じかよ・・・」

「つか、歳いくつだっけ?」

「もうすぐ27だよ」

「えっ!・・・同い歳なの?ちょっと老け・・・」

と俺が言うと、あいつは俺の頭を軽く叩き、

「キミより大人なんだよ、俺は・・・」

「まっ、そういうコトにしとくよ~」

と言って俺は笑うと、飲み終えたコーヒーの缶を、近くにあったゴミ箱に投げ入れた。

まだ静寂が漂っていた公園に、普段は地味にしか聞こえないであろう、“カラン・・・”という音が盛大に響く。

俺たちはそのまま公園の片隅で他愛のない話を交わしながら、“今日が動き出す”のを待つことにした。

それから数十分後、どこからともかく電車の音が聞こえてきて、街が徐々に目覚め始める。

「さてと、そろそろ現実に戻りますか・・・」

そう言ってあいつは立ち上がり、俺の前に手を差し出した。

俺はその手を何も言わずに握り、そのまま起き上がると、

「あんたのコト、俺のホームにしていい?」

と、何の脈絡もなくそう言った。

「ホーム?」

「俺の心の拠り所にしたい…てコト。あんたとだったら、長く付き合えるいい友人になれそうな気がするんだ」

「あはははぁ・・・。それって、やんわり告白されてるみたいだなぁ~。でも、こんなふうに、いきなり居心地のいい人と出会えるっていうのはも、この歳になると男女関係なく貴重だと思えるよ。だから俺もこれからキミを、自分のホームにできたらいいかなぁ・・・」

俺たちはこんな小恥ずかしい会話を交わしてた後お互い照れ笑い、その後、

「じゃ、また」と言って、公園を出たところで別れ、それぞれ帰るべき場所へと歩き出した。

土曜日の早朝だから人通りは少ないものの、駅に近づくにつれて、街がいつものように動き出しているコトを実感していたら、ふと俺はあるコトを思い出して、その場に足を止めた。

何気ない出会いから始まり、その後一気にお互いの距離を縮め、ついさっきまでこれからの長い付き合いをしたい…なんて言い合っていたのに、俺は結局あいつの名前すら聞いていなかった。電話番号も住んでいる所も勤め先も何も聞くことなくあいつと別れてしまったのだ。その上、俺自身の連絡先も何も話していない。

というか、思い出してみると、あそこまで打ち解けあったにも関わらず、最後の最後まで、お互いそういうやりとりをしようとは一度も思わなかった。

お互いの人生観や恋愛、仕事や趣味について、あれこれずっと話をしていただけで、基本的で肝心な個人の情報は一切交わされていない。

俺は何だか急に、あいつが本当は現実していないモノだったのではないか…と思えてきて、少しだけ不思議なカンナクにおそわれた。でも、別に嫌な思いをしたワケでもなく、それどころか、久々に“誰か”と今までにないくらい楽しい時間を過ごせたのだから、それはそれでよかったのではないかと思え、今度はちょっと笑えてきた。

だけど、もし、またあいつと出会うことがあるのなら、その時は、真っ先にまずあいつの名前と連絡先を聞こう…。

そう思いながら、俺は駅までの道のりをまた歩き出した…。

始発に乗って自分のアパートの近くの駅に降りると、そこにはもういつもの風景が広がっていた。

でも、俺の心は何だか清々しくて、今日という日のはじまりが、何だか少しだけ特別なはじまりのような気がしてならない。

あいつと出会えたコトにより、たった一晩で俺の心の中の何かが変わったのだろうか?

それともただ単に、朝の澄んだ空気を久しぶりに味わったから、見慣れた風景さえも、新鮮に見えるのだろうか?

なんてコトを考えながら歩いていたら、あっという間にアパートの前に着いていた。

何となくほっ…とした気持ちになって階段を昇ろうとしたら、ふと目の前に何となく見たことのある後姿があった。

「あっ!」

俺は思わず声を上げてしまったのだが、その声で振り向いたのは、階段を昇り終えたあいつだった。

「あっ!」

あいつも俺と同じように声を上げる。

俺は急いで階段を駆け上がると、

「何でここに?」

と当たり前のようにたずねたら、

「先週の日曜に、ここに引っ越してきたんだけど、週明け急遽仕事で遠出するコトになって、昨日やっと戻ってきたんだよ…」

と、あいつは答えた。

「じゃ、俺の部屋の隣に越してきたのってあんただったのか~。水曜まで出張でいなかったから、全然気がつかなかったよ」

「何か、すっ…ごい偶然だね」

そうあいつが言った後、俺たちは何だか急に照れくさくなって、顔を見合わせて笑った。

「あっ、そうそう…。忘れないうちに渡しとくよ、俺の名刺…。つか、紹介がかなり遅くなりましたが、隣に引っ越してきた、真藤です」

そう言うとあいつは名刺を俺の前に差し出すと、軽く会釈をした。

俺は名刺を手に取ると、

「こちらこそ紹介が遅れました。隣に住んでる、幸田です」

と言って、同じように軽く会釈をした。

そして、顔を上げてから俺たちは、また笑い合った。

俺が心の拠り所にしたいと思ったあいつは、探すまでもなく、俺のすぐ隣にいたのだ。

そして。

あいつと俺は、事実上、

本当にお互い

同じホームになった…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?