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他人の恐怖症をバカにするな

子供の頃から、雷が怖かった。落雷の時の轟音も、ビカビカ光る空も、怖くて仕方がなかった。雷が鳴り出すと、いつも耳を塞いで縮こまっていた。

大人になってからも、その傾向は治ることはなく、むしろ悪化した。

今では、雷が鳴り出すと冷や汗が止まらなくなったり、お腹が痛くなったり、酷い時は過呼吸気味になることもある。重度の”雷恐怖症”と言っていいだろう。

雷が鳴り出してしまうと、本当に何もできなくなってしまう。だから、前職では、雷が鳴り出した時だけ耳栓を使わせてほしいとお願いしたこともある。

返事はもちろん、NOだった。

恐怖症というのは、そうでない人からすると、ただの根性無しと映ってしまうらしい。実際、僕が会社に雷恐怖症の話をした時も、普通に笑われた。

「弱っちぃな〜、男だろ!笑」


恐怖症に性別とか年齢なんて関係ない

雷恐怖症であることを話すと、大抵こんなことを言われる。

「だっせぇ〜www」
「ビビってんじゃねぇよ」
「男のくせに」
「甘ったれるな」
「子供じゃないんだから」
「大の大人が恥ずかしくないの?」
「そんなもんは根性でどうにかなる」

いや、怖いものに性別とか年齢なんて関係ねぇから。バカなのか?

日本人って、男とか大人ってものに対して、妙に強さを求めてくるよね。

泣くなんてみっともない。弱音を吐くなんて恥ずかしい。男なら、大人なら、歯を食いしばって耐え忍ぶべし。

アホくさっ。いつの時代だよ。大正?大正なの君ら?

ゴリラみたいな元上司の話

思えば、前職の上司にも一人、脳みそ筋肉な人がいた。

「金と女と仕事が、男の人生だ!」
「男なら、いっぱしに家庭を持て!」
「男ってのは、筋肉がなきゃならん!」

ゴリラかお前は。森に帰れ。

こういう人、アナタの周りにもいませんか?

まあ、どんな価値観を持って、どう生きるかは人それぞれだ。だから、ゴリラ脳な人であれ、その価値観を否定するつもりはない。関わりたくはないけれど。

とはいえ、みんな同じでなきゃいけない時代は、もう終わっている。自分の価値観を他人に押し付けるのは違うと思う。

こっちだって、恐怖症になりたくてなったわけじゃない

雷恐怖症をバカにされると、いつも思うことがある。

「こっちだって、なりたくてなったわけじゃないんだよ!」

恐怖症を抱えている誰もが、そうだと思う。症状が重くなってくると、治すのだって簡単じゃない。

恐怖症は基本的に、行動療法によって治していく。怖いものに実際に触れて、徐々に慣らしながら強度を上げていくのである。まあ、筋トレみたいなものだ。ダンベルの重さが、怖いものの怖さになったと思えばいい。

ただ、重度の恐怖症になると、その治療法自体に怖気づいてしまうところがある。僕自身が、まさにそうだ。

恐怖症を抱えていない人は、僕みたいな人間のことを、平気でバカにしたり笑ったりする。「それは、お前が弱いだけだ」と。

とはいえ、こっちだって治したいとは思っている。それでも治療そのものが怖くて、なかなか一歩を踏み出すことができない。そういった悩みを抱えながら生きている。

気を遣ってほしいとは全く思わないけれど、理解はしてほしい。

男だろうが、大人だろうが、怖いものは怖いのである。

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