親の覚悟
親というものは、誰しも初めてなるものです。
子どもが生まれて、子育てというものがどういうものかも分からずに
一生懸命子どもと向き合っていく。
そこには「親の覚悟」というものが必要な気がしています。
子どもをどのように育てるか
の前に
親としてどう在るか
やり方より在り方だと思います。
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現在、いじめによる子どもの自殺が大きな社会問題になっています
いまの子どもたちは、困難に対してちょっとぶつかると駄目になり、
逃げだしたり、簡単に自殺してしまいます
困難にどう対処するか、
これを本当に子どもたちに伝えるのも、父親の役目でしょう
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和歌山県におられる雑賀正晃先生は小児マヒでした
小学校のとき、ビッコを引いて学校から帰りかけたとき、
上級生が帽子をとってかけだしたといいます
帽子を取り返そうとしてビッコをひきながら追っかけました
すると村中の子どもが
「チンバ、チンバ」
とはやしたてながら真似をしたといいます
人の悲しみを笑いものにするような残酷さは許せませんが、
世間には、案外こういう人間が多いのではないでしょうか
雑賀先生は、くやしくてくやしくて、泣きながら帰られたそうです
途中で、お父さんに出会われたので、
「お父さん、みんなが『チンバ、チンバ』いうて、ぼくをいじめるんです」と訴えられました
「そうか、そうか、学校の先生に注意してもらうように頼んでやるからな」とでもいってくださることを期待されたのでしょうが、
「チンバといわれてくやしければ、チンバをひかないようにしろ」
というのがお父さんの答でした
「チンバひきとうてチンバひいているのとちがうわい」
と、言い返そうとしたとき、
有無をいわせず、
「ついてこい!」
と松林につれていかれました
「そこへすわれ!」
雑賀先生がすわられると、お父さんもおすわりになって、
「お前がチンバをひくのはな、左脚が痛むので、左脚をかばおうとして、
どうしても右脚に重みをかける
それでチンバをひくことになるんだ
左脚をかばうから、左脚はいつになっても強くなれないんだ
痛いだろう、つらいだろう、けど、もっと左脚を使え
きょうから、その痛い左脚でケンケン跳びをやれ
おまえはお父さんの子どもではないか
もっと左脚を使え」
とおっしゃるお父さんの目には、涙がいっぱいあふれていた
といいます
代わってやれるものなら、小児マヒをお父さんが代わって背負ってやりたい
それができないから泣かずにおれない
だからこそ、子どもには小児マヒを「自分の荷物」として
背負って生きる覚悟を育ててやるしかないのです
お父さんの、どうしようもないつらい心がわかってみると、
痛くてもつらくてもがんばる以外ありません
雑賀先生は、それから痛い左脚を鍛えられて、
ビッコをひかずに歩けるようになられたのだそうです
・ ・ ・ ・
子どもたちが道を誤ったり、壁にぶつかったとき、どう生きていけばいいかお父さんには、ある程度、先を見ることができます
それは世間の風の難儀苦労を耐えたお父さんの知恵というべきものでしょう
最近の親は、子どもがケガをすると、すぐ保障だとか、訴訟といった態度に出る方が多いようですが、
これでは、子ども自身の解決にはなっていません
逆に、子どものためによくないと思うほどです
子どもたちに生きるための知恵を与えずして、なにをかいわんやです
おやじ自身が甘っちょろいことが、そういう風潮をよぶのです
「親の覚悟」
我が子どもに自分の足で人生を歩んでほしいと願う気持ちを本気で子どもに
伝える
大人の生き様を背中で見せられる親になりたいと思います。
今日もnoteを読んでいただき、ありがとうございます。
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