【放浪まとめ編】②旅を終えて

前回に続き放浪まとめ編。今回は放浪が終わったいま、感じていることを書く。

予定のない生活

まず放浪の前提となった予定のない生活について。いうまでもなく、完全に予定のない生活は送れていない。というのも電車に乗るのも、各地の友人に会うのも、予定がなくてはなしえないからだ。そこまで突き詰めたらあまりに偏執的というか、一歩も歩けなくなってしまう。

「今日の寝床はどうする」「今日明日はなにをする」というスパンでは期待していた経験が得られたと思う。都内の公園で昼から夕方までぼーっとし、寝床を探すために歩き回った。なんでもない神社の案内や工事現場の説明板をじっくり眺めたり、深夜に寝付けないまま朝日を拝みに行ったり、「飽きた」と思ったら実家に戻ったり、その日その時の気分で行動をすることができた。この程度のことは長期休みでもできるだろうが、もともとが出不精で基本的に自宅に帰りたいと思っている自分にとってはそこそこ新鮮だった。先に書いた通り想像の範疇を越えなかったけれど。
予定がないということは、やることがないと言い換えることもできる。まぁ端的にいうと一日一日が暇だった。神社の案内や工事現場の説明板をじっくり読むのはやることがなかったからで、公園でぼーっとしているのは、ただ夜が来るのを待っているだけなのだ。一応、高校・大学時代の友人に会うという目的を設けていたのだけれど、それも10日目までに終えてしまった。そこからはやることがなく、特に行きたくもない浅草に行って人混みにもまれて嫌な思いをしたし、いま思い返せばドラクエ6を始めたのもここからだ。結局、「ここにいてもしょうがない」という気持ちが日に日に強まり、実家に戻って車中泊旅行に出ることにしたのだ。

では数か月後、数年後というスパンではどうか。これが放浪を終えた理由と密接に関わってくる。
当たり前のことだが放浪初日時点では終わりを決めていなかった。それこそ僕の嫌いな「予定」になってしまうからである。出発前は夏までブラブラできればいいなぁと考えており、前職の上司に「放浪的なことがしたいんですよー」といって退職した自分としては、長期間の放浪のほうが格好がつくと思っていた。
そんな僕が1カ月で実家に帰ったのは、退屈を感じ初めていたこと以上に、結局は「予定」、つまり未来について考えることをやめられなかったことにある。
予定嫌いとは矛盾するように聞こえるかもしれないが、自分はかなりの面倒くさがりのため、無駄も嫌いでなるべく効率的な行動を好んでいる。放浪を続けて具体的なメリットはあるのか。はやく就活や資格勉強を始めなくていいのか。なにが得られるかも分からずに預金を減らし続けるのか。挙げ始めれば本当にきりがない。
狩猟採集時代なら1年後の未来を考える必要がないのかもしれないが、現代社会は国家を中心にさまざまな法律が決められている。ここでは法律が行動を規定して、個々人に「予定」を強制する。そのルールの枠内に従うことが、面倒事を少なく効率的に生きるためには欠かせない。逆説的に聞こえるが、ものぐさな僕は数か月後、数年後、ずっと先の人生のことを考えずにはいられなかったのだ。
一般的な社会のレールから外れるという選択肢もあるかもしれないが、市橋達也のように無人島でサバイバルに挑戦するバイタリティはないし、ここまで育ててくれた両親との関係を捨てて生活保護を受ける気概もない。少し話が脱線するけど、ここで生活保護を責めるつもりはない。自分の場合は十全に働く能力があるという自負あるが、軽い障碍持ちでもあるため生活保護を受給する自信があり、こう書いた。

まあとにかく、この旅で得た結論は「すべてを捨てる覚悟がなければ、自分の憧れた放浪はできない」ということだ。数十年後とかに親が亡くなり、にっちもさっちもいかない暮らしをしていたら再チャレンジするのはありかもしれない。

ホームレス的野宿について

ホームレス的な野宿について感じたことも書いておこう。

辛かった。

1カ月の放浪で野宿をしたのは、たった3回だけだ。初回は青春18切符で深夜に到着した宇都宮駅のコンコース、2回目は新宿駅の西口地下広場、3 回目は代々木公園。それぞれの日記でも書いたけれど、とてつもなく寒くて全く眠れなかった。凍える風は疲れてまどろむ意識を否応もなく呼び戻し、冷たい地面はこちらのエネルギーを吸収するかのように容赦なく体温を奪う。4月上旬というのもあるだろうが、段ボールはもちろん寝袋も必須だ。実際、新宿駅では自分以外の全員が寝袋にくるまっていた。野宿で疲れを取りたいのなら、しっかりとした防寒具と往来の場で寝袋を広げる度胸が求められるということだ。
都内を歩いていると、昼間に寝ているホームレスらしき人を見かけることがあった。いまならこの人たちの気持ちもわかる。夜は寒くて寝られないから、昼、太陽の下で眠って体力を回復するのだ。どの人も昼寝というよりは熟睡という感じなのであながち間違ってはいないと思う。

新宿駅で野宿をしたあとに山谷のドヤで4泊したが、そのときは帰る家のありがたさを身に染みて感じた。予定なくプラプラしているときに「そろそろ家に戻るか」と思えないのはつらい。同じ公園にずっといても不審者とおもわれてしまいそうで、なんとなく移動してしまうし。
歩き疲れる。寒い。家がない。まともに思考できない。本を読む元気すらない。といったような具合。とにかく疲れたので、もうホームレス的な暮らしはしたくない。

以上。次回は移動距離と費用について書く。一番実用的かも。

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