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10年後には伝えることが上手くなっているといいな。

正直な話、私は普段こういうジャンルのものは滅多に読まない。
本の世界に、現実世界で起こりそうで起こらない、起きてそうで私の周りでは起きていない物語を求めているからだ。
しかし、なぜかこの本には惹かれた。その印として、この「読書の秋2021」で課題図書と知る前にこの本を買い、拝読した。(前から知ってたもんねアピールを許してください(・・;))
今日(11/30)この本が課題図書入りしていることをたまたま知り、文章を綴ってみようと思った。

この本を手に取ったのは、たくさんの人と会話する中で、余計なお世話だが、この人の言うことはいいけれど、刺々しかったり、伝え方が違う方法だったら、もっと相手に届くだろうなと思うことや、自分が伝える時に、かなり時間をかけて言葉を選び、それでもうまく言えないことが続いていたからだと思う。
藤井さんの文章は、読み手を意識されていて、すーっと心に入ってくると共に、読まれることを想定して、可能な限り読者の気持ちに配慮がされていることが、文の端々から伝わってきて、その優しさに涙をしたのを覚えている。この本にも、伝える準備が入念になされていた。
フィクションを書いた物語ではないはずなのに、読んでいる最中から涙が止まらなかった。
相手に何かを伝える事に関して思うところがあってタイトルに惹かれ、読み始めたから、温かい言葉や、ストーリー、ユーモアを受け取る準備ができていなかったのだ。

夏にこの本を読んでから、手帳の1日のメモ欄に一行日記を付けることを始めた。本に影響されて何かを始めたのはこれが初めてだった。
そして、誰かに何かを伝えたい時、時間をかけてしまう私を受け入れられることができた。これまでは、話す時に必要以上に言葉を選んでしまって、会話がうまくできない『コミュ障』な自分が嫌いで、考えを誰かに伝えることは『怖いこと』だった。けれど藤井さんの文章を通し、そんな自分を少し認めることができた。『言葉の生みの親』としての責任を、持ててたということだなと思うことができた。

また、書くことで努力の仕方を見つけ出すという方法や、やりたくないことと向き合う2つの方法などの文章を読み、共感した。私はまだ19年しか生きてないが、2度の転校を経験し、いじめを受けていた過去もある。そしていま、浪人をしている。辛いことや、うまくいかないことが続くと、全てが嫌になって、怖くなって、自分の存在を否定したくなることに加え、今までやってきたことも、これから先も全て無駄に思えてくる。漠然とした不安に襲われ、何が正しいか、これから何をすればいいか分からず、近い将来にすら希望を持てなくなる。しかしそんな時、必ず書き出すのだ。何が嫌なのか、どういうことがあったのか、ちょっと先にある未来で私は何をしていたいのか。
そうすると自分の気持ちも整理されるし、やるべきことも、やりたいことも見えてくる。後ろは振り返りたくなく、前は見えない中やっていたことが、こんな温かい文章を綴れる藤井さんと同じだった事に感動した。なんとなくそれまでの自分が救われた気がした。

更に、辛かった仕事のお話、恥ずかしかったインタビューの経験、失敗した実況の話、どれもわたしは経験したことがないし、これから先同じ経験をすることはないけれど、藤井さんの書いてくださった文章を通して学べたことで、私の考えの幅が広がった。

この本からもっともっとたくさんの感動も、驚きも、嬉しさも感じたはずなのに、わたしには『伝える準備』ができていないから、以上のことしか書けない。書いたことも、十分に自身の心を反映できてるかわからない。だからこれから先、たくさんの言葉に触れ、いろんな人の立場になり、数々の経験を積むことで、もっと表現の幅を広げたいし、恐ることなく挑戦することで自分の幅を広げていきたい。
そして、藤井さんのように不特定多数に向けているけれど、その中の誰か一人に届くような言葉をかけられる大人になりたい。

日々のひと言を大切にして、10年後、ふとした時に、この本のことを思い出して、あの時出会えてよかったなと思える人生を歩んでいこうと思う。

#読書の秋2021
#伝える準備  

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