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置かれた場所で咲けない

「コロナ禍じゃなかったらもうちょっと大学生たのしかったよね」

わたしやわたしのまわりの友人はよくそんなことを言っている。でもわたしの大学生活はちゃんと楽しかった。きっとコロナ禍と大学生活が重なっていたことに悲しさを見出してしまうのは、わたしたちの代くらいだ。

これまでは大学を歩いていれば楽しむためのチャンスも、成長するためのチャンスも、何かを手に入れ、身に付けるためのチャンスも転がっていた。自分で踏み出すともっと挑戦できそうなチャンスが転がっていた。わたしたちは歩いているだけでチャンスを得ることができ、そのおかげで置かれた場所で楽しむことができていた気がする。

コロナ禍は閉塞と分断を生んだ。置かれた場所にはチャンスは転がってくれなくなった。自分で外の世界に出ようとできたときに初めて世界が広がり、チャンスが降ってきた。チャンスは今までよりももっと転がっていた。チャンスを見つけると、それはとても楽しいと思うことができた。チャンスを見つけられれば。
そして、置かれた場所では咲けなくなった。

#いまコロナ禍の大学生は語る

この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。

また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。


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