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“ぷーさん”のプロフィール【掲載用素材あり】

わたくし、ぷーさんのプロフィールページを見てくださりありがとうございます! こちらのページでは、ぷーさんの今までの経歴や、SNSプロフィール素材を掲載しています。

理解してもらうのが非常に難しい仕事内容のため、開業してから幾度となく「どういう仕事をしているの?」と尋ねられ続けてきました。上手に伝えることができないときも度々あったこともあり、お仕事依頼ページを作成しました。
しかし今度は、「どういう背景や思いでそういう仕事をしているの?」と聞かれることも増えてきたため、それを伝えるページも作成しました。


あらためまして。
「薬を、必要な人に、正しく届ける」をモットーに、メディカルコピーライター、医療系メディア編集者・執筆者などの活動をしている“ぷーさん”と申します。

趣味は旅行です。過度な旅好きのため、自宅のある日本にはほとんど帰らず、今では世界のどこかで生活をしています。現在、50ヵ国程度訪問するほどに、いろいろな国を訪問しています。

トップ画像は、インドで最も有名なホーリー祭を、お祭りが最も盛り上がる地域マトゥラで参加した時の写真です。

過去のお仕事の実績の詳細は、下記の依頼ページに掲載しています。



経歴・やっていること

幼少期に、看護師である母親の仕事場(病院)を日常的に遊び場としていたこともあって、物心ついたときからずっと「お医者さんになりたい!」という夢を抱いていました。

そして、受験直前の高校3年生のクリスマスイブに彼女に振られ、クリスマスにノロウイルスを発症。年明けまで寝込み続け、うっかりセンター試験に失敗。ランクの低い医学部を選ぶのは家庭のお財布事情から難しかったので、合格ラインが少し低く、同じ医療職である薬剤師になるべく薬学部を受験し合格、無事進学しました。

何も知らずに入学した薬学部。旧帝大だったこともあり、薬剤師になるための学校ではありませんでした。薬学部から薬剤師になる学生は1割程度。医薬品やヘルスケア製品をつくる研究者として製薬会社や化粧品会社、食品会社などに就職、あるいは大学に残るという選択肢が9割を占めました。

それでも医薬品の力で世の中をよくしたいと考え、創薬系の大学院に進学しましたが、「人生で1個、ないし2個の新薬開発に関われたら上等」といわれるTHE・研究者な働き方や考え方にマッチせず、さらにアカデミック独特の王政制度に嫌気をさし、結局私は大学院を中退して調剤薬局の薬剤師になることを決めました。

縁があって、北海道に本社がある大手薬局チェーン「なの花薬局」(旧ファーマホールディング)に就職し、いうちからさまざまな店舗を経験し(ヘルプも含めると30店舗くらい)、薬剤師としての力を着実につけていきました。

新人薬剤師時代

また、この頃から、海外旅行にどハマりし、さまざまな国へとふらふらしていました。

北インドの標高3500mにある聖地・ケダルナート寺院
ラオスで浮遊写真を撮りたくて

薬剤師として働く中で、「薬局薬剤師である限り、自分の手の届く範囲の患者さんしか関われないし、助けられない」とモヤモヤしていた時期がありました。そのタイミングで大学時代の友人からお誘いを受け、新薬を中心とした医薬品のプロモーションを行う医薬専門広告代理店である株式会社インフロントへと入社。

医療従事者でもほとんど認知されていない医薬専門広告代理店。簡単に説明すると、製薬会社から頼まれて医薬品の売上をより増やす手助けをする、いわゆる医薬品販売のコンサルから資材制作まで一貫して行います
一番身近なものでは薬の説明書(添付文書、インタビューフォーム)や、製薬会社の営業担当(MR)が病院や薬局にもっていくパンフレットなどを作っています。

医薬専門広告代理店の仕事は、私なりの解釈では「薬を本当に必要としている患者に、正しく届けるお仕事」でした。当時の私の所属は企画部/メディカルプランナーという、医薬品販売の戦略を立てて、戦術に落とし込み、アクションプランを設定し、実際にクリエイティブをたばねたディレクションまで行う業務幅の広い職種でした。

学会でも、記録集を作成したり、ブース運営をしたり。

やりがいたっぷりのお仕事ですが、広告代理店あるあるで、一日中(ときには深夜、というか朝まで)働いていました。毎日が文化祭のようで楽しい日々を過ごしていたのですが、寿命を削りながら駆け抜けていた感覚がありました。

それでも働き続けれたのは、会社のスローガン「自由と責任」が自分の理念に合っていたからです。
また、広告代理店が仕事を発注している業務委託者の多くが広告代理店出身で独立している方であり、将来自分もそのポジションを取ることで自分が大好きな旅行をしながら仕事する生活ができるのではと考え、スキルを身につけることを意識できたからです。

十分にスキルを獲得して退職した後は、元同僚からお仕事をいただきながらフリーランスとしてスタートを切ったため、お仕事がなくて困った時期は幸いにもありませんでした

その後も、バンコクのノマドエンジニア育成講座「iSara」に通っていた実績を買われて薬局メディアの編集長を任せていただいたり、広告代理店時代に身につけたライティングスキルを活かしてヘルスケア会社運営のメディア記事執筆・編集などのお仕事をいただくようになりました。

独立後、別事業として医療デザイン・コンサルティング会社ピージーで取締役として参画し、コンテンツディレクターとして働いていました。製薬会社や医療法人などをクライアントに、ライティングはもちろん、映像制作・収録、PR、デザイン制作のお仕事を任せていただき、より幅広いスキルが身につきました。

社員紹介写真(photo by Hayato Wakabayashi )

医療デザイン・コンサルティング会社を退職後は、再び本事業であるメディカルコピーライティングを生業としていき、製薬会社だけでなく一般企業や行政機関からご依頼いただくこともあり、少しずつではありますが着実に制作スキルを高め領域を広げています。

私のことをざっくりとまとめると、お薬に関係することは何でもしている人です。その中でも「薬を、本当に必要な人に、正しく届ける」を自分の軸に据えて活動を行っています。


SNSアカウント

・Twitter ▶︎ (@pooh_medicine
・Instagram ▶︎ (@pooh.medicine
・note ▶︎ (ぷーさん
・stand.fm ▶︎ ぷー「世界はこんなにも面白い


【掲載用】プロフィール写真

インタビュー記事やプロフィール紹介に使える私の写真をGoogle driveに保管しています。ゆるいものからカチっとしたものまであります。ご使用ください。


【掲載用】略歴

北海道出身。薬学部を卒業し、調剤薬局の薬剤師を経て、医療系広告代理店の企画部として従事。医薬品のプロモーション戦略立案、それに伴う様々なツールの企画立案・資材制作に関わる。2019年より独立しメディカルコピーライター、医療系メディアの企画・編集・執筆などに携わる。2022年に合同会社HOOPを設立。(150文字)


実績

過去のお仕事の実績は、noteの依頼ページに詳細を掲載しています。


過去に受けたインタビュー記事

・toiro magazineインタビュー

・Medi Jumpインタビュー


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