将来飲めるようになるか分からない。だけど飲めるようになると信じて搾乳。

断乳して丸3日が経った。
最後の授乳から48時間経った頃に一度空っぽになるまで搾乳。
その48時間の間は、さすがに張って痛くなった。
最近張ることはほとんどなくなっていたので、前を思い出して懐かしくなった。

搾乳してから約丸一日経ったが、もう張りはない。ほとんど分泌されていないんだろう。

なんとなく寂しい気持ち。

断乳を前向きに捉えるために、昨日スーパーで缶チューハイを一本買った。
晩に飲もうと思っていたけど、酒を飲む習慣がなさすぎて飲むのを忘れてしまった。

さて、前回の続き。
いつのまにか授乳の話から息子の病気の話になっているけどこれも記録としてついでに残しておこう。

◾️命懸けの開腹手術

結局息子は先生が言うように、お腹の中で腸が捻れ壊死しかけていた。

本来人間は内臓が固定されて生まれてくるが、息子の場合は小腸、大腸が固定されずに生まれてきた。
そのため何らかのきっかけで捻れてしまい機能しなくなっていたらしい。

手術が始まる前に、施術をしてくれる先生から改めて説明があった。

その時の具体的な話はほぼ覚えていない。
要点をまとめると、

「このまま放置したら間違いなく命を落とす。一刻も早く手術をしたい。
しかし大きい手術になるためその手術に耐えられず命を落とす可能性もある。
同意してサインをください」


ということだった。

その時は、信じられなくて実感が湧かずにボーッとしながら聴いていたものの、頭のどこかで
「あぁ、こんなドラマみたいな展開が現実に起こるんだね」
なんてことを考えていたことを覚えている。

手術は夜22時ごろだったか、そのくらいから始まり、所要時間は4時間。

その間、手術室の近くではなく、なぜか別棟のマタニティハウスの診察室の中で待たせてもらった。

妊婦検診でいつも使っていた部屋。

エコーで息子を見て幸せな気持ちになっていた部屋で、息子の生死をかけた手術の成功を祈ることになるなんて。

4時間後に看護師さんが呼びにきた。
夫と共にNICUへ。

術後の息子が数え切れないほどの管と共に、なにやらすごいベッドに寝かされていた。

涙を堪えながら、「よく頑張ったね、戻ってきてくれてありがとう」と声をかけた。

あまりにも痛々しい姿に、覚悟をしていたが涙が出てくる。
写真も撮れなかった。

その後はNICUの看護師さんが入院の手続きやら注意事項やらを説明していたが何も頭に入ってこなかった。

面会後はマタニティハウスの自分の部屋に戻る予定だったのだが、夫と離れ1人になるのが怖すぎて病室の前で過呼吸を起こしてしまった。

昨日まで息子と2人で幸せいっぱいの気持ちでいた部屋に、1人で戻るなんて無理だった。

本来コロナの影響で夫の付き添いは不可だったのだが、私の様子を見て病院が特別にLDR室を貸してくれた。
そこなら夫も入れるとのこと。

その心遣いが本当にありがたかった。

私は分娩台の上で一夜を過ごし、夫は病院が用意してくれた敷布団で過ごした。

2日前にここで産んだんだ。
で、そこに息子がいた。
その時から腸は捻れてたのかな?
なんて考えても無駄なことばかり考えた。
(実際に捻れたタイミングは分かりようがないらしい)

翌日、病院が特別に、私を本館の病棟に移してくれることになった。

マタニティハウスで他の赤ちゃんの泣き声を聞くのも、妊婦さんや他のママさん達に会うのも、正直辛かったので、本当にありがたかった。

更にその病棟はNICUが目と鼻の先でとても近いのも嬉しかった。少しでも息子の近くにいたかった。
移動先の病室も本来は付き添い禁止だったのだが、特別に許可してくれた。

1人になると過呼吸・パニックになっていたので、夫と一緒に過ごせることになり本当に良かった。

◾️私が唯一できることは3時間おきの搾乳だけ

手術の翌日から毎日NICUへの面会が始まった。

面会時間は一日3時間。

正直に言うと面会の前はとても気が重く、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
悪化していたらどうしようと言う気持ちや、管だらけで鎮静剤で寝かされている息子の姿が可哀想で見ていられなかったからだ。

元気に産んであげられなくてごめんと、数え切れないほど心の中で謝った。

面会以外の時間も意外と忙しかった。
採血や血圧測定、ご飯の時間、産科の先生の回診や心療内科の先生も来てくれた。

そんなとき、担当の助産師さんが搾乳の話をしてれた。

「病室で絞った母乳をNICUに届けたい。
そのために、3時間おきに絞ってみましょう!」
とのこと。

助産師さんに手で絞ってもらうとポタポタとたれてきた。
「すごい出るので搾乳機持ってきますね!!」
と嬉しそうに搾乳機を持ってきてくれた。

初めての手動の搾乳機。

実は妊娠中に、何を思ったか手動の搾乳機と母乳のフリーザーパックを買っていた。
それをみて私の母が「保育園に預ける予定もないのになんでこんなもの買ったの?w」と笑っていたのを思い出した。

私もなんでこれを買ったかよく分からなかったが、今となってはフラグになってしまった…とその時思った。

3時間おきというのは、一見そんなに大変そうには聞こえないが、実際やってみると大変だった。
片方15分ずつ30分搾乳し、搾乳が終わると搾乳機の洗浄、消毒。

搾乳機の洗浄は、付き添ってくれている旦那がやってくれた。

目の前に息子がいないのに、この先飲めるようになるかどうかもわからないのに、搾乳しなくてはならないのは辛かったけれど、
私が息子のために出来ることはこれしかなかった。

むしろ、息子のためにできることがあって救われた。

母乳の分泌を増やすためにも、病院食は必ず完食した。
もともと好き嫌いが多い偏食なので食べれないものもたくさんあったけど頑張って全て食べた。
水分も取った。

ふとした時にパニックになったり涙が出て辛くて仕方なかったけれど、一番頑張っているのは息子本人だ。
夫婦で病院と息子を信じてとにかく毎日を一生懸命に過ごした。

入院中、あまりにも辛かった私を支えてくれたのが狩野英孝のゲーム実況。
搾乳中ずっと見ていた。

本当は子供の写真を見ながら搾乳すると分泌が増えるらしいのだが、写真を見ると泣いてしまうのであえて忘れるように現実逃避しながら搾乳した。

この時、お笑いやお笑い芸人の偉大さを改めて感じた。

果たして息子は、母乳を飲むことができるようになるのだろうか。

外科の先生からは、油断できない状況が続いていると言われた。

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