承認欲求は量より質

誕生日は大概の人がおめでとうコメントするだろうから、サブスク登録者数の推定は誕生日の後にしようと考えていた。

ところが、前祝いと称した投稿へのコメントは現時点で14のみ。以前の誕生日は1000も2000もおめでとうコメントもらってた事を鑑みると、かなり寂しい。

これはサブスク登録者しかコメントできないから仕方ないけど、ある意味「承認欲求の満たし方を量から質へ変換させた」という見方もできる。

承認欲求って「他者に認められたい」ってことだけど、これは自己のアイデンティティに繋がると考えてる。要するに「私」という存在の確認作業。

ご夫婦って言うことだけは立派だけど結局、ただの欠乏欲求でしかない


承認欲求は量と質のバランスが大切。彼女は仕事としてやってる部分もあるから一概に言えないけど、承認の質が悪いと量を求めてしまうものだ。

例えば、たった一人の旦那さんに愛されていれば、承認欲求は充分に満たされる。それがないから皆SNSで満たそうとするんだけど、承認の質が悪いために量を求めてしまう。

どこの馬の骨とも分からん人に何件「おめでとう」とコメントされようとも、彼女の心は満たせない。直接的な触れ合いもないし。だから量が必要となる。

彼女の旦那さんは無能でしょーもないことばかりして、傍から見ると良いところが一つもない。唯一の良さが優しさだったのに、それとて弱さが根源にあるから男らしくない。しかもSNSで吠えまくって良さが台無し。

彼女はそんな無能な旦那さんから承認されたとて、心は1ミクロンも満たされない。そりゃ当たり前だ、心の中では旦那さんを見下しているのだから。

わざわざ「◯◯君❤有難う❤」と薄っっっすい文章を記すのは、金儲けのための旦那アゲに加えて、何とか「最幸の旦那さん」と思い込もうとして自分を慰めてるから。そうでもしないと心が保てない。

旦那さんから承認を得ても意味がないから、大量のコメントで承認欲求を満たしてきた。彼女の根底には「全ての人が私を好きになってくれるはず」という勘違いがあるから、少しの批判も許容できない。彼女にはこういう式が成り立つ。

團十郎からのおめでとう=1000件のおめでとうコメント

質の悪い1000のおめでとうコメントか、良質な1人からの愛の言葉か。どちらも得られない彼女は今、ちょっとだけ良質な14のコメント(自分を愛してくれてる信者たちの)で欲求を満たしている。

金のためにやってるだけだから、そんなものでは永遠に心が満たされることはないんだけど。

現時点で確認できた彼女のサブスク登録者数は29名。コメントしてない方を考慮すると、50名前後ってところか。

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