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嫌なことも大切だと気付いただろうか

新たな國光劇場は小さなホールすらも埋められなかったようで。

國光夫妻が新たにぶち上げた「mirai」の報告には、コメントがたった6件。それも4人だけ。うち2人は信者の端くれ。一時期の熱狂を思えば寂しくなったものだ。

アンチからの反論もなければ、信者やファンすらも「もうええって」とか思ってそう。これだけお騒がせしてもなお世界中の人間は國光夫妻に無関心だ。

気にしてない風を装ってキックボクシングやらに興じているが、マヤさんはこの状況に焦燥感を持っている。湧き出る承認欲求も満たせずイライラが止まらないから、キックボクシングでそれを発散している。

子供もいなければ旦那も尊敬できないとなると、溜まりに溜まってまたトチ狂ってもおかしくない。國光夫妻の新公演『團十郎、やっぱり9000万円返して』なら大歓迎だ。

「愛の反対は憎悪ではなく無関心」の言葉は、ノーベル平和賞を受賞したときマザー・テレサが語ったとされている。逆説的に、「世間や親族から無関心を貫かれてる國光夫妻こそが愛なし」ということが証明されている。

本当に大切なものは失って始めて気付く。

ずっとアンチを敵視して苦言を呈してきた國光夫妻は今、アンチすら恋しいはずだ。

無視されるより嫌われた方がマシ。憎まれっ子世に憚る。みんな知ってる当たり前のことにようやく気付いた頃だろうか。

そりゃみんなから好かれて賞賛されたいだろうけど、努力なく望みだけ持っても成就しない。どちらがマシか、という話だ。

だから中途半端な有名人は適度にアンチを煽る。イラつこうがイラつくまいが、気にしてようが気にしてまいが関係なく煽るのは、アンチからの反応はインプレッション(反応・webの表示回数)を稼ぐから。

表に出るケンカってのはおしなべてネタであり、プロレス的な見世物の場合がほとんど。そりゃ本当にムカついてる人もいるだろうが、それをSNSでやるのはみんなに見てもらうため以外にない。ケンカならLINEでやればいい。

國光夫妻には社会性がなく、人の機微や心情を察することができないから、見たものをそのまま受け入れてしまう。SNSで罵り合ってるならケンカしてると信じるし、アンチからの誹謗中傷は憎悪や嫉妬によるものと判断してしまう。

要は空気が読めないってこと。だからアンチコメントにマジギレするし、人との距離感を間違ってしまう。

今回のお騒がせであるジムの関係者や◯っちーさんとの蜜月は、國光夫妻の空気の読めなさによっていずれ崩壊する。そんな場面を我々は10回は見てきた。國光夫妻は反省も改善もできないから、また必ず同じ過ちを犯すことになる。これは確定事項である。議論の余地はない。

一時期は勝手な記事を書く週刊誌にも暴言吐いてたけど、今では「何でもいいから書いて!」と願っているはずだ。

「週刊誌のせいでアンチが増えた」とも言っていたがこれは大きな間違いで、因果関係が逆になっている。

正しくは。

國光夫妻にアンチが多いからこそ、週刊誌は彼らに否定的な記事を書く。


つまり美人投票というもので、勝馬に乗ってみんなの共感を得る記事を書く。あえて逆張り的な記事を書くこともあろうけど、それだって売れるから書く。事実かどうかは重要じゃない。

マヤさんにファンやアンチが多かったのは総て周りの人たちのおかげであり、マヤさんの力なんてほとんどなかった。別の誰かでも結果は同じだった。つまり世間は作り上げられた「有名人・小林麻耶」に反応してただけ。

それらの虚構がなくなり生身の人間・小林麻耶に戻ったとき、世間は賞賛も誹謗中傷もしなくなり無関心となった。國光夫妻2人きりで活動してるときの世間の無関心がそれを証明している。

でも、悲観することはない。
賞賛はなくなったが誹謗中傷もなくなくなり、幸せな生活を送れてるんだから。ファンもアンチも蜘蛛の子散らすようにいなくなったが、魂婚して最愛の人とずっと一緒にいられるのだから。

今の状態はマヤさんが望んだことだ。彼女は自分の思い通りの人生を生きている。

本当に幸せ者だ😊💡

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