足踏みするレスバと人生


また🐽くんがインスタにて鼻息荒くしてレスバトルしてた。

  1. NPOの寄付金について質問がくる

  2. 🐽くん答える

  3. 理路整然と矛盾点を指摘される

  4. 🐽くん支離滅裂な反論をする

コメントで指摘していた方の論説は至極真っ当で矛盾点はないのに、🐽くんの反論は知識不足と見当外れで全くレスバになってない、といういつもの構図。

削除すればいいだけのコメントにいちいち反論するのは、メディアで取り上げてもらいたいか、もしくは「僕は間違ったことはしてない🐽💦」と無理やり正当性を主張しようとしているか。「ちゃんとディスカッション出来るとアピールしたかった」可能性もある。

話の通じない相手に対して、論理的な説明をしても意味がない。道端の口喧嘩の是非を論ずるほど無意味なことはない。🐽くんのようなバカには「やってはいけないことを明示して従わせる」のが最適解。

あのレベルのバカに自省を求めたり矛盾点を考えるよう促しても、自分に都合の良い結論を導くだけ。バカには考えるより休んだり、ゲームだけしてくれていた方が世間のためになる。

🐽くんは毎日、スプラトゥーンで遊んでいる。ときには朝からプレイすることもあるようだけど、ここ数年ずっとそんな感じの生活だからそれが彼のスタンダードなのだろう。霊感商法さえしなければ、部屋でゲームしているのが世のためだ。稀に見るバカなんだから。

🖤は何をしているのか?

何もしていない。
朝起きてエゴサして、飯食ってクソして寝るだけの生活。目的も予定もなく、誰かに求められることもなく、仕事もやりたいこともない生活。キラキラ輝いていた頃を反芻しながらの自堕落な生活だが、それが彼女の求めるタイムラインだったのだから本望なのだろう。

以前は表がアメブロで裏がnoteだった。現在は表がインスタで裏はBANDで活動しているわけだが、裏ではコソコソと霊感商法を継続している。以前、noteでやっていたように、未だに信者に向けてサランラップよりも薄い言葉を書き散らかしている。

自分の言葉に酔い、信者の賞賛で悦に浸っている。求められ賞賛されていなければ死んでしまう自己肯定感の低い女は、そうやって自己のメンタルを保っている。彼女にとって自分のファンは単なる精神安定剤の代わりであり、ただの金づるでしかない。

最低限やるべきことすら🐽くんに丸投げしている。やるべきことをやらなかった結果が誰にも求められない現在の自堕落な生活であり、それを求めていたのだから今はさぞ幸せなことだろう。

ネットニュースにもならなくなり、ついにアンチにも飽きられ始めた。自身の代名詞とも言えるテレビ番組『カラ騒ぎ』の復活番組に呼ばれなくて地団駄を踏み、ガーシーの報道に焦燥感を募らせている。心の平穏を脅かされてばかりの生活は、個人的には幸せを感じることは出来ないと思うが。

一説によると人間は毎日、3.5万回の選択を繰り返しているという。歩く、座る、言葉、食事…無意識も含めると無数の選択をしている。

細かな選択の結果が行動であり、行動の結果が習慣であり、習慣の結果が人格であり、人格の結果が運命である。小さな選択の積み重ねが大きな運命を変えてしまうのは、まさに人生のバタフライ・エフェクトと言える。

🖤の運命が瓦解したのは小さな選択を軽視して、大きな選択をエセスピリチュアルに頼ったから。人生に何か不満があるのなら、それは「選択を他者に依存するという選択した」本人の責任に過ぎない。

5人家族の主婦である姉貴は毎日の献立に頭を悩ませているようだが、僕は決まって「給食みたいにメニュー決めればいいのに」と返す。「金曜日はカレー」と決めるだけでもだいぶ楽になる。

選択肢が多すぎると決めるのに労力がかかる。たくさんの中から選択できることが幸せとは限らない。「断捨離」は低コスト生活とか部屋が広くなるとかのメリットよりも、選択肢を少なくできるというメリットが大きいと感じる。

何かを判断して選択するのはとても疲れる。小さな選択で神経をすり減らして、大きな選択をミスるのは非合理的だ。選択の労力を極力、減らして大切な選択にリソースを注ぎ、人生の航路を間違えないようにしたい。

いつまでも妹さんや過去の栄光に囚われている🖤は、人生の断捨離ができていない。だから永遠に足踏みすることになる。まぁ、まずは選択うんぬんより、心の洗濯することをオススメする。


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