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通天閣の下の赤ちゃん 第五話

 翌日から三十九度の高熱がでて、寝込んでしまった。それから酷い下痢が続いた。血と膿の混じる排便から赤痢菌が検出されて、二人は桃山病院の法定伝染病隔離病棟に移送された。区役所保健担当官の取り調べでは、ペンギン堂のアイスキャンデー製氷器内部に鼠の死骸があったそうである。

 十日程して、やっと下痢が止まり、三階の二人部屋でベッドを並べて寝た早朝。明け方、バシッバシッと窓を打つ変な音でヒロシは目覚めた。空を見上げると葉っぱをつけた木の小枝が舞い上がり、時々時々窓硝子に当たる音だと判った。やや長目の小枝が飛んできてビシッ甲高い音が鳴った時に、硝子窓に罅が走った。「こらあ、えらいこっちゃ」とヒロシはベッドから起きあがり、窓辺にきて「なんじゃあ、これあ、どないなっとんねえん」と目を丸くした。空一面に木の葉、新聞紙、段ボール、小枝、ゴミが舞い上がっては天空を横に、流されていくように飛んでいるのである。竜巻かと一瞬おもったが、そうではなかった。時間が経っても風は止むどころか、ますます強まる一方で、八時になってもお粥の朝食が配膳されてこない。廊下をバタバタ看護婦さんが走り廻って、何号室の窓が破れた。「板をもってきてください!」と叫び声を張り上げ病院中が騒然としてきた。

 ヒロシは窓際で、外を監視する気持ちで突っ立っていた。いつの間にかベッドでシーツを頭から被っていたユキノが傍に来て、ヒロシの腰に手を回して「オニイチャン、こわい」と抱きついている。

 外の暴風はもう尋常ではなかった。昭和九年九月二十一日、瞬間風速六十メートルの室戸台風の襲来であった。

 木の葉や小枝ではなくて、瓦、トタン、看板が次々軽々と宙を舞って無数の物が空を覆うに流れて飛んでいる。その時、目の真下の民家の屋根全体がふわっと浮き上がり、バラバラになると飛んで行ってしまった。あちらこちらで家が半分に割れたまま片方が失くなったり、ドサッと倒潰しだした。

 「ニイチャン、ココダイジョウブヤロカ」

 「心配するな、病院は鉄筋コンクリート四階建てのビルやから、倒れへん」としがみつくユキノをヒロシは抱き上げた。 

 抱きしめ合う姉妹の彼方で、つい先程までユラユラと激しく揺れていた四天王寺の五重塔が唐突に、視界から消えた。

 「今の見たか、四天王寺さんこけてしまいよった。えらいことになりよった」 

 「ウン、えらいこっちゃ、こけよったわ」

この瞬間、ヒロシとユキノは塔瓦解の目撃者になってしまった。仏の庇護を求めて四天王寺の塔下に避難していた人々、全員が死傷してしまった。この関西風水害で、大阪の死者は約千六百人、重軽傷者二万数百人、行方不明者十数名の犠牲者がでたそうである。

 その後、入院生活は当分続いた。ヒロシは頑健だったので下痢が止むと、どんどん元気になった。だがユキノは華奢で脆弱だったから、なかなか快復しなかった。むしろ日々衰弱していくような気がした。

 看護婦さんの運ぶ食事も食べきれず、残った分はヒロシが平らげた。この看護婦さんには奇妙な癖があった。子供を悦ばそうとしたのか、怖がらそうとしたのか、どちらかよく分からないが、食器を下げに来る度に怪談話をした。本人はコミニュケーションのためだと言うが、子供には傍迷惑であった。とくにユキノは桃山病院に纏わる怪談は身近すぎて、ものすごく怯えた。一日目は入院中に死んだ患者の顔が廊下の硝子窓に映ると言った。二日目は今迄に亡くなった血の気のない青い死者の顔の顔が総出で、長い廊下の窓全部に揃って映るというのである。

 三日目には、もっとひどい看護婦の体験談になった。窓外に本当の首が硝子越しに覗いていると話すのである。そしてニイッと笑って挨拶をしたのは先日亡くなった患者だったという。これは、いくらなんでも度の過ぎた悪ふざけで、病院関係者の為すべきことではない筈だ。

第五話終わり   続く

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