ノイズの奥底の真実
洗濯物を取り込んでいて、ふ、と思った。
僕は、積み上げてきたものを、潰して、台無しにして、水の泡にして、捨て去ることが得意だ。
実績とか、キャリアとか、信用とか、勉強とか、友人とか、女性関係とか。
理由は簡単。
大事なものではないからだ。
いろんなことが、簡単にできてしまったり、手に入ったりしたので、捨てるものも多かった、というところだ。
捨てて捨てて捨てて捨て去って。
余計なものがなくなると、だんだん見えてくる。
雑音を除去すると、信号を捉えることができるようなものだ。
しかし、捨て去ったものから学んだものは、残っている。
雑音で思い出したのだが、アマチュア無線の、VHFのSSBの、ほとんど電波が飛んでいないところの音をスピーカーから流していたり、ヘッドフォンで聴いていたりする。
そうすると、雑音が、誰かの声に聴こえたりする。
それが、ほんとうに誰かの声なのか、幻聴なのかを峻別する訓練を、知らず知らずのうちに積んでいる。
そうして、聴いていると、かすかな信号を拾うことができる。
いま、日常で、みんなが聴こえない音を聴いたりすることができる。
あるいは、クラシック音楽の中に、わずかに聴こえる楽器の音や、細かな音の表情を捉えることができるのも、アマチュア無線の、あの雑音を聴き続けたお陰なのだろうと思う。
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