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思えば遠くへ来たもんだ
「思えば遠くへ来たもんだ」
曇り。朝6時の気温は10.6℃。ずいぶん涼しくなった。ここからさらに20℃下がる季節がもう目の前。あっという間に雪が降り、あっという間に氷に閉ざされる。
秋明菊が元気に咲いている。コスモスも咲いている。ハナトラノオと百日紅が、まだ咲いている。
花を眺めながら、空を眺めながら、人々を眺めながら、歩く。ところどころ、蟻の姿を探しながら、下を向いて歩く。僕のわがままで、ありの生活を邪魔してはいけないし、蟻の人生(蟻生)を終わらせてはいけない。
さて。
今朝の新聞に、高校生の文化的な取り組みの記事が掲載されている。いろんなことをやっている。僕もいろんなことをやったものだった。
その記事を眺めていて、僕は、ずいぶん遠くまで来てしまった、と思った。
抽象的な絵よりも、具象的な絵のほうが、人の興味を惹く。Twitterのイイネの数を見てもわかる通りだし、だいたいツイートの数そのものが、圧倒的に具象的なものが多い。
僕は、中学生の頃から、抽象的なものを描き始めていた。具象的なものも描いていたが、25歳頃には、さっぱり描かなくなってしまった。
アニメーションもそうで、キャラクタを動かしていたこともあったが、それも、25歳頃には、さっぱり描かなくなってしまった。
バックグラウンドはあって、小さな頃から、目に見えない領域に興味を持っていた。今でいう、意識の地平の向こう側、隔世、意識の底に湧き出す泉、そういったものだ。
普通に人には見えない、感じることができないもの、もちろん僕にも見えないものを論じたり、描いたりすることに夢中になった。
音楽にも興味を持って、ディズニーの「ファンタジア」や、ボゼットの「アレグロ・ノン・トロッポ」に興味を持って、僕もこういうフィルムを作りたい、と思ったものだった。
その延長線上に、今の創作がある。3DCGソフトウエアHoudiniを手に入れた僕は、水を得た魚。というと聴こえはいいかもしれないが、言い換えると、底なし沼にはまった狸、と言えるかもしれない。
と、書いているうちに、レンダリングが上がったので、次の作業に入ることにする。
そうそう、抽象的、と言っても、完全にこの世のものではないものもあるけれど、この世にありそうでなさそうな花や昆虫みたいなものを描いたりしている。
今上がってきたものにも、この世にありそうでなさそうなものが描かれている。
こんな世界に浸ることができている僕は、実にツイてる。
ツイてるツイてる。
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