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ガガンボと戯れる

「ガガンボと戯れる」

晴れ。朝6時の気温は14.8℃。大寒の時から20℃上がった。気温の上昇は、もうこれくらいにしておいてほしい。

10メートルくらい先の、道路の真ん中に降りて、なにかしていたツバメが、飛び立って、真っ直ぐに僕の顔を目掛けて飛んできて、あわやぶつかる、というところで、翼を翻して、目の前を掠めて、どこかへ飛んでいった。

昨日は、家の玄関戸のガラスのところで、外に出られない、と言って(いやたぶん喋ってはいない)、小さなガガンボがじたばたしていたので、なんとか外に出した。

戸の隙間から家の中に入ってきては、外に出られない、と言って、じたばたする子が多い。

ガガンボだけでなく、カメムシも、蜂もそうだ。

その子たちは、遊んでいるのだろうか?。

それとも、僕と遊んでくれているのだろうか?。

その子たちと、いろいろやっているときは、僕は孤独じゃない。

でも、頼むから、駆除をしなければいけない状況ではなく、簡単に外に出してあげられる状況で来てほしい。

ということを書いていて、5歳のときのことを思い出した。

なにか辛いことがあって、消えてしまいたい、と、思ったことがあった。

そのとき、こんなことを考えた。

僕が存在しなくて、宇宙が存在する状態はあり得るか?。

僕が存在して、宇宙が存在しない状態はあり得るか?。

そして、こう思った。

どちらの状態も、あり得ない。

なんとなれば、僕と宇宙とは一体のものだから。

僕と宇宙とは一体なのだ。

ということは、虫たちや鳥たちとも一体なのだ。

みんなが仲良く楽しく暮らせるように、そんな世界にする。

それは、至極当たり前のことなのだ。

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