神道
「神道」
晴れ。黄砂曇り。朝6時の気温は10.0℃。
歩きに出たが、足が進まない。見渡す限り、黄砂で、ぼや〜ん、としている。
桜が散ってしまったことを確かめて、すぐに帰ってきた。
さて。
その昔。
昔といっても、つい50年も前のこと。そして、一部では、今でも行われていることだ。
人々は、山に、衣食住の財を依存していた。山は、衣食住の財を、すべて恵んでくれた。無償で。
人々は、そんな山に感謝する場所を設けた。小さな斎場を作ったり、小さな祠を建てたりした。
山に感謝する、ということは、当たり前に行われていたし、今でも、山に住む人たちは、山に感謝を捧げている。
現代において、そんな習俗が「神道」と呼ばれることがある。
僕は、これに違和感を感じている。
僕の認識では、「神道」は、国家が主導する国家神道か、あるいは、神社庁の定めたもの、というようなところだ。
山に住む人々が山に捧げる感謝は、せいぜいが民間信仰、というところだ。
でも、ほとんどは、民間信仰とさえ言えなくて、ただ、当たり前の感謝、というところだろうと思う。
今では、そんな「当たり前の感謝」の気持ちは、廃れてしまった。
しかし、神道は残っている。
でもね、僕は、「当たり前の感謝」のない神道なんて不要だと思っている。
神道なんかなくって、「当たり前の感謝」があればいい。
そのほうが、ずっと純粋だ。
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