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本棚は生きた証だと思った

そろそろ本棚が溢れかえって収拾がつかなくなっているので整理しようと思っている。のだが、これがなかなか手につかない。これはきっと読まないなって本や同じような本は売るなり捨てるなりしてもいいと思っているんだけど。

手放せない。この本の山が自分が生きてきた証みたいに思えてくるから。

自分の心を燃やしたくて買った自己啓発書、デキる男にあこがれて手にしたビジネス書、こころのモヤモヤをなんとかしたくて読んだ思想本、想像の世界にしたりたかった小説、モテたいと思って熟読した「LOVE理論」。

どの本も自分がそのとき、悩み、欲し、飢えた証。いつまでも残して置きたいと思った。

でもそんなとき、ふと思った。


もし子供ができて大人になったとき、自分の本棚をみてどう思うんだ?
てか、むしろ自分が恥ずかしくねーか?

じっさい本棚って、裸を見られるのと同じ気持ちのような気がする。いや、それ以上に恥ずかしいかも。自分が何に悩んでいて、どういうことを欲していて、どんなイタイ奴だったかが筒抜けになりそう。


自分がどんな父親になるのかはわからない。子どもとどういう距離感になっているのかも。

もし、「ネチネチすんな!前を向いて生きていけ」という熱血教育をしていたら、ノンスタイル井上の「スーパーポジティブ」はそそくさ隠すだろう。自分がネガティブ人間だったことが筒抜けだ。

もし、「気楽に生きていけばいいんだよ」なんて優しめの距離感だったとしたら、ゴリゴリの自己啓発本や思想本をみられて、あんたが難しく考えてんじゃんなんて思われそう。

もし、「真面目に真っ当に生きろ」みたいな厳格な存在であったとしたら、「LOVE理論」や「ナンパ道」が置いてあるのをみて、ドン引き間違いなし。


こんな親の生きた証をみせるべきなのだろうか。ていうか自分が耐えられるのか。きっと子どもには見せられないな。

んー、では。この本たち。どうしようかな。

とりあえず今ではないかもな。以上。終わり。

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