残酷なこどもの話。ラリ男。

1. 川辺のラリ男。

 ラリ男(発音は”らりお”)との出会いは中学生の時に遡る。誰が彼のことをラリ男と呼び始めたのかは知らないが、僕の友人たちの間で、彼は確かにそう呼ばれていた。

 僕の育った街は、大きな河川とそこから別れた運河に囲まれた港町だった。そのため、中学生くらいになると友達との間で釣りが流行った。それは海でも河でも良かったのだが、家から近いという点で、僕たちはよく川釣りをして遊んでいた。

 ブラックバスを釣るのは難しい(個人的な感想だが)。ポイントを定めて適切な仕掛けを使えば釣れる船釣りとはわけが違う。ワームやルアーの取扱いなんてよくわからないし、中学生の小遣いで買える道具にも限界がある。だから僕はまともにブラックバスを釣ったことがない。それでも、友人たちと朝から河に向かい、ふざけたことを言いながら釣りをして、午後からは誰かの家に自転車で移動してゲームをする、なんて土日が僕は好きだった。

 ラリ男は、河で釣りをしているとよくやってくる。年齢は多分20歳くらいで、いつも白いシャツを着ていた記憶がある。癖毛と抜けた前歯、日焼けした顔に浮かんだ不気味な笑顔を忘れることはできない。彼は地元の若者にしては訛りが強く、おそらくだが、軽度の知的障害があったこともあり、ちょっと変な話し方だったのだろう。「おーつれでっかー?」、みたいなことをよく言ってきたのを憶えている。

 僕たちはラリ男と友達ではなかったが、コミュニケーションは取っていた。ラリ男は釣りが上手いらしく、釣り場のポイントを聞くとよく教えてくれた。でもラリ男が実際に何かを釣っている場面は見たことがなかった。

 ある日、友人3人と釣りをしていたらラリ男に出会った。その日、僕は友人からもらったちょっと高いルアーを使用していた。その日のラリ男はアクティブだった。僕のそばまでやってくると、俺が代わりに釣ってやるよと言って、僕から釣竿を取ったのだ。まあいいだろう、多分僕より上手いのだろうし、何か見て学べることがあるかもしれない。

 それから数分後、ラリ男は僕のルアーを川底に引っ掛けた。焦り出すラリ男は、沸々とした怒りを感じている僕に見守られながら、なんとかそれを外そうともがいていた。しかしながら、その努力も虚しく、僕が楽しみに使おうと思っていたルアーはたった数回使っただけでラリ男によって虚無世界へと旅立ってしまった。大人になれば何かを喪失することにも慣れて、たかがルアーがなくなったくらいなんとも感じないのだろうが、当時の僕は若かった。ありったけの怒りをラリ男にぶつけた。彼は「ごめんー、ごめんー」と叫びながら、その場から走り去っていった。

2.ラリ男の償い

 それから数分経つと、ラリ男はプラスチックの箱を持って帰ってきた。それはルアーケースだった。ラリ男は僕への償いとして、それを僕に渡すと言ってきた。

 その瞬間、僕の怒りは急激に冷めた。失ったものの価値よりも、その代償として与えられたものの価値の方が高いように思われたからだ。人の感情なんてものは単純なもので、空いた穴を埋められるだけの何かを渡されれば、自分の心に喪失があったことなんてすぐ忘れてしまう。よく何かあったときに「お金じゃどうにもできないんだよ!金が全てじゃないんだよ!」と吠える人を見るが、それでも結局物質的な見返りの前に人は無力だと思っている。ただ単にそういうセリフを言うことで、自分は物質的欲望だけで生きているわけではない高貴な人間なんだ、ということを周囲に示しているようにしか感じられない。もちろん人命のように埋め合わせが効かないものなら別だろうが。

 すっかりご機嫌になった僕は、友人とお昼を食べるために川辺を去った。ラリ男も悪いやつじゃないな、という話をしながら。

3.ラリ男を撃つ者

 ある時から川辺に行ってもラリ男を見ることがなくなった。あいつも流石に釣りに飽きたんだろうか、なんて思っていたら真相は別だった。

 ここから先は友人からの伝聞なので真相はわからないが、どうも、上級生が何人かでラリ男を襲撃したらしい。彼らは釣りをしているラリ男に3人で近づくと、電動エアガンで一斉に射撃をした。ラリ男は「いだい、いだい」と言いながら、釣り道具を置いて逃げ出して行ったそうだ。

 当時友人が笑いながら教室でその話をしていた。当時の僕も笑いながら聞いていたが、今になって思えばこれは随分と残酷な出来事だった。社会の輪の外側にいる(ように見える)人々を、子供は平気で攻撃する。と言うよりも、元々持っている残酷さの吐口がそこになるのかもしれない。何も我々は好きこのんでそういった人々に悪意を向けるのではない、元々悪意を持って生きていた人間が、たまたまそれをぶつけても自分に被害がなさそうな存在に出会ったしまったということなのだ。

4.ラリ男のその後

 その後のラリ男の動向だが、それを僕は知らない。高校に入ってからは釣りもしなくなったし、何より震災でぐちゃぐちゃになった街と、そこからの立ち直りの渦中で、僕の意識からラリ男は消えてしまった。

 日本橋や丸の内のあたりを散歩している時に見かけたホームレスから、僕は彼を想起してこれを書いた。ホームレスが大学生によって殺された事と、ラリ男が中学生にエアガンで撃たれた出来事は同じようなものだ。子供の持つ無加工でありふれた残酷さが、それを一番向けやすかった対象に向かってしまった。

 彼にとって川で釣りをすることは、それそのものが彼にとっての世界の全てだったのかもしれない。その人間の持つ世界を他者が勝手に規定して、憐れみを向けて共感ぶった言葉を書くのは品がない行為だと自覚しているが、彼の世界を奪ってしまったことはその命を奪うことにも等しいのかもしれない。

サポートいただけたらそのお金でバドワイザーを飲みます。というのは冗談で、買いたいけど高くて手が出せていなかった本を買って読みます。