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発達障害児の子育て記録


 5歳になる三男は軽度知的障害広汎性発達障害があります。noteではその子育ての記録を書きます。

 三男が産まれてすぐ、初めての授乳の時から少しずつしか飲めませんでした。ずっと2時間おきの授乳が始まります。小さな音でもすぐ起きます。離乳食が始まった時には、重湯を少し口に含ませた所むせるように吐き出してしまいました。今まで、難なくクリアしていたことが、クリア出来ないずれのような感覚が少しずつ感じることがありました。

 一歳半健診では言葉の遅れから市の発達支援教室に2歳から通うことになります。その頃はまだまだ発達が遅れているだけで、幼稚園に入れば周りの刺激から追いつくようになるだろうと深く考えていませんでした。

 幼稚園の進路を決める時には発達支援教室の先生から「私立幼稚園は無理だろうから、公立で加配をつけてもらうか市の発達支援センターに一年通い年中から公立で加配をつけてもらうことがいいですよ」と言われました。しかし、私が決めた進路は、比較的のんびりした私立幼稚園と療育の併用でした。発達支援教室の先生からは、何度も考え直すように言われましたが、私はその私立幼稚園できらきらした顔で遊ぶ姿が忘れらませんでした。そのことを説明し、受け入れてくださった幼稚園に通うことに決めました。必要な療育先も探すことにしました。私自身が、発達の遅れは感じながらも、まだ発達障害として受け入れられていませんでした。

 幼稚園に入ると、初め教室に入れない、お弁当も食べれない、他にも、集団生活での困難を目の当たりにすることになり、私は自分の判断が間違っていたのではないかと日々悩みました。そこから真剣に彼の行動、発達特性、必要な支援と向き合うようになりました。ほっといても、周りと同じようにできるようになるわけではないことをまざまざと突きつけられることになりました。

 年中になり、療育を増やし、OT(作業療法)、地域訪問支援と様々な支援を受けて、幼稚園での生活を送れるようになってきました。そして、先日、軽度知的障害広汎性発達特性と診断を受けました。


 彼の特性を受け入れ、必要な支援を受けるまでに私自身沢山の葛藤と学びがありました。次、小学校入学に向けどのような進路を選んで行くのか、彼自身の気持ちに寄り添いながら、彼の人生が豊かなものになるように支えていきたいです。


たこあげ

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