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はじめてヘアドネーションをした

筆者が2024年4月にはじめてヘアドネーションをした体験を書きました。
なお筆者は、レシピエント(ウィッグの提供を受ける側)の方にお会いしたり、お話を聞いたりしたことがありません。
ヘアドネーションする側の視点にかたよっていることをご承知おきください。

きっかけ

ヘアドネーションが目的で髪を伸ばす前にも、同じくらいの長さに達していたことがありました。それは数年前、ブライダルフォトを撮ってもらったとき。
撮影が終わったあと、美容室でばっさり切ってもらいました。とにかくさっぱり軽くなったことは、なかなか体験できない快感でした。
美容室の床を見ると、さっきまで自分の体の一部だった黒い髪の毛がもりもり落ちていて、ちょっと衝撃を受けたものです。

結っているのでわかりにくいが、かなり伸びていた
2022年3月。いわきFCのJリーグH初試合。
しばらくはこれくらいの長さ(肩につくくらい)でキープしていた

後悔先に立たず

そしてその後で、とても惜しいと思うことが。

ヘアドネーションしとけばよかった!

せっかく、十分な長さがあったのに...

2021年12月。北海道コンサドーレ札幌の荒野選手が、ヘアドネーションをした、と公言しました。それが私の後悔を大きくさせました。
試合に出る時いつも結われていた荒野選手の長い髪は、すっかり短くなっていました。その姿がとてもかっこよかったのを覚えています。サッカーしてる彼もかっこいいけど。

それから、強い決心をしたわけではないけれど、何となく美容室から足が遠のいて、気がつけば1年ほど経っていました。

髪の育成強化


その時期に、「ここまで育てたんだからドネーションできるまで育て切ろう」と思いはじめたのだと記憶しています。
私の中では、髪を「伸ばす」というより、「育てる」という感覚でした。時期がきたら収穫して出荷するところが作物と同じだったからでしょうか。

この頃から、「人さまにあげるなら、自分の髪であって自分のものではないんだ。」という思いが芽生え、よりケアに力を入れるようになりました。

洗髪やドライヤーが大変だったのは言うまでもありません。
でも、ヘアケアに関するグッズを選ぶのは楽しかったです。
寝る時は雑貨屋で購入したナイトキャップをかぶりました。髪の傷みを防ぐだけでなく、枕周りがスッキリして寝つきやすくなったので、おすすめです。
(短くなった今、グッズを処分するかしまい込むか迷っています。)

自分でできる範囲で色々なケアをしたつもりですが、それでも収穫直前には、枝毛などの傷んだ毛が目立つようになってしまいました。

なお、地味に一番大変だったのは、家中に落ちる長い抜け毛の処理でした。
コロコロを家の各所に設置して、まめに使うことで対処しました。
ひとりのヒトの髪の毛は、1日に100本は抜けてるというけれど、それが長いものだと大変!
同居人の夫はどう思っていたんだろ。ほんとは床が毛だらけで嫌だったけど、我慢してくれていたのかな?

そろそろ切っていい?

最後に髪を切ってからおよそ2年。

もう十分かな、と思ってはいたものの、自分じゃうまく長さを測れません。
(ドネーションには31cm以上の長さが必要です)
通っているジムのトレーナーと雑談しているとき、
「ヘアドネーションしたいんですよね~。足りるかな?」
という旨を話したら、
「あっ!いま測れますよ」
と、ポケットから身体測定用のメジャーを取り出して、すぐに測ってくれました。持ち歩いてるのね。恐るべし。
「40……cmくらいありますよ!余裕余裕!」
とりあえず長さは大丈夫そう。
「いいですね!ぽんぽ子さんは、いつも目標に向かってがんばっていて、素敵ですね。」
褒められた^^
このジムのこういうところが好き。
ぽんぽ子は褒められて伸びます。

トレーナーから太鼓判を押してもらったので、その日のうちに美容院の予約をとることにしました。
ヘアドネーションの協力店をネットで探し、電話で確認・予約しました。
なんと予約日は、電話をかけた日の翌日!
繁盛してて予約がいっぱいいっぱいらしいのです。
私にとってはべつに、別れを惜しむ必要も、心の準備も必要なかったはずだけれど、予想外の急展開。1週間くらい猶予があると思っていたので。

※美容室を利用しなくても、規定どおりであれば、自分でカットしてヘアドネーションすることは可能です。後述のリンク先参照。

その日の夜は、いつもどおりにお風呂に入って、髪を洗って乾かして寝ました。明日には大部分がなくなるなんて、信じられませんでした。

さよなら

翌日。はじめて行った美容室でしたが、スタッフさんたちにとても丁寧に接してもらえました。
担当してくれた美容師さんは、某Jクラブのサポーターでした。世界は狭い。

最初に、残したい長さについてよく話し合いました。
きれいにクシでといてもらって、輪ゴムでいくつかの束に分けてもらって、後は切るだけになりました。

ここですかさず写真を撮ってもらいました。

美容師さんが、
「切りますよ……。さよなら!」
もったいなさそうに、ひとつ目の毛束を切りました。
私の代わりに「さよなら」を言ってくれたのね。

約2年分の髪を切り取ったわけですが、特に「寂しい」という感じもしませんでした。
私の中では「さっぱり!」が圧勝していました。

それから美容師さんは、あっという間に全部切り取って、まとめて袋に入れてくれました。

※現在、美容室がヘアドネーションの法人に毛髪を送付することはできません。一度毛髪を受け取って、個人で送付します。

後で毛束の断面を触ってみると、化粧筆のような、動物の毛並みのような感触で気持ちよかったです。
さすが美容師さん。切り取り方が上手だったんですね。

それから、通常のシャンプーやカットをしてもらいました。少なくとも1年以上ぶりのこと。
誰かに自分の体のケアをしてもらうって、贅沢でいいですよね。私はこの時間が好きです。

カットが終わると、お店にいた数人のスタッフさんが、
「すごい!スッキリしましたね。」
と声をかけてくれました。
美容師さんとして長い髪をバッサリ切るのは、やりがいがあるのかな。

わすれもの

会計を済ませると、担当してくれた美容師さんが見送ってくれようとしました。
その時まだ、まとめてもらった髪の毛を受け取っていなかったので、美容師さんに頼みました。
「髪の毛をください」
一生に一回使うどうかのパワーワード。
美容師さんは、慌てて髪の入った袋を渡してくれました。

家に帰って発送の作業をしました。
一度袋から毛髪を取り出すと、私には見慣れない物体に一瞬ぎょっとしました。
それと同時に、
「えっ!これだけ?」
とも思いました。
体についていた時は、たくさんあった感覚だったのに。
知識として聞いたとおり、これじゃあ、ひとり分のウィッグにも全然足りません。
だから、さっそく2度目のヘアドネーションを考えはじめてしまいました。

ひろがる輪

すっかり短くなった髪で、例のジムに行くと、あの時髪の長さを測ってくれたトレーナーはもちろん、よく知らない会員さんまで声をかけてくれました。(全然顔覚えてなくてごめんね。)
その会員に、
「髪を寄付したんですよ。」
と話すと、興味を持ってくれたようで、
長さはどれくらい必要なのか?歳をとっていてもいいのか?どんな方法で寄付するのか?……
色々なことを訊かれました。喜んで全部話しました。一度やれば、知っていることなので。
「へえ。いいこと聞いた!ありがとね。」
その方が、実際にドネーションをするかどうかはわかりませんが、存在を「知らない」から「知る」って、とても大きな変化。

私は一連のヘアドネーションに関して、このときはじめて、善いことをした気持ちになりました。
だから、こちらが「ありがとう」なんです。
そして、「荒野選手の影響力すげえ!」とも思いました。

そして私はまた、その会員さんの顔を忘れました。

ヘアドネーションを終えて

自他ともに認める怠惰な私ですが、ヘアドネーションを完遂させることはできました。
個人的に、20代のうちにやりたいことだったので、これでひとつ人生のやり残しを消すことができました。
私は、あくまでも自分のためにやったことです。それが結果として、どこかの誰かの役に立てればいいな、と思います。
※ヘアドネーションは、31cmの長さであれば、年齢・性別・髪の色や質に関わらず、どなたでも参加することができます。

髪を育てるのはそれなりに大変だったけど、もう一周してもいいかな、と思いはじめている私がいます。
先述のとおり、ひとりが一回に提供できる毛髪は少ないものだとわかったので。
あと、正直なことを言えば、2年ほど髪を切らずにフツーに生きてただけなので……。

下記の記事を読んだ限りでは、提供された毛髪は、余らせて処分されることはなく、時間はかかっても確実にウィッグに加工され、提供を待つ方のもとに届けられるそう。


献血された血液は保存期間が決まっており、使われなければ廃棄されてしまうため、常に絶え間ない提供が必要です。
ヘアドネーションはおなじ『献』でもちょっと性質が違うな、と思いました。
※献血は非常に大切なボランティアです。

ヘアドネーションを考えている方へ

こちらのNPO法人のホームページをご覧ください。
いくつかのきまりはありますが、ちゃんと守ればそこまで難しく考える必要はないと思います


そして、ドネーションを考えている方もそうでない方も、一度は読んだ方がいいと思った記事がこちら。
法人の方の本当の思いがわかります。

必ずしもウィッグを必要としない社会へ。
もっといえば、ゆくゆくはヘアドネーション自体が必要ない社会を目指しているようです。
私もその考えに賛同しています。

このように、どうしてもレシピエントの気持ちを置き去りにしてしまうので、私当初、この記事を書こうかどうか迷いました。

かといって、この方の言いたいことは、「ヘアドネーションしないで」ということでは全くないし、この問題に関して個人ができることといえば、「差別をしない」「差別に気づく」という抽象的な行動に限られてしまいます。
(外見を理由としたいじめは論外オブ論外。)

髪の無い人にウィッグを渡しても、本質的な解決にはなっていない、ということを頭の片隅に入れておけばいいと思います。

おもいで

私事ですが、子どものとき、同じ学校にスキンヘッドの女子がいました。ほぼ話す機会はなく、別に私は友達ではなかったのですが。
その子には他の女子の友達がいて、いつも数人のグループでいました。いわゆる陽キャグループだったので、よく遠くから眺めてました。
なぜ彼女に髪がないのか、誰にも言わずに何回か考えたことがあります。病気なのかな、とか。
でも、どうせわからないので、そのうち考えなくなりました。
彼女の髪のことは、私の友達の間でも一度も話題になりませんでした。
「話題にしてはいけない」という遠慮が働いていたのでしょうか。今となってはわかりません。

彼女と友達になったとして、面と向かって「ウィッグをあげる」なんて言えたでしょうか。たぶん、とても言えません。
(本人が欲しがっていたなら話は別)
善意の暴力性とはこういうことなのかな、と少し思いをめぐらすことができました。

おまけ。『どっさりのぼく』

美容室にいくと、いつも思い出す詩があります。

さんぱつにいったら おもしろかった。
ぼくが どっさりいたの。
ほら、いすに こしかけた ぼくが、ぼく。
かがみのなかの ぼくも、ぼく。
それから、ちょきちょきちょっきん、
おちていく かみのけも ぼく。

『どっさりのぼく』小林純一

椅子に座っているのは間違いなく私。
鏡の中の私も私自身だと思えます。
ただ、私の体は私のものだけれども、果たして「髪」は私そのものだといえるのでしょうか?
手は?血液は?つけてる指輪は?
ましてや、体から分断されて床に落ちた髪一本一本も「私」なのでしょうか?

作者の小林さんは「おもしろかった」と表現していますが、私はこの詩を思い出すたびに、「いったい体のどこまでが自分なのだろう」、と答えのない問いを解かなければいけない気がして、なんだか不安な気持ちになります(笑)

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