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クラシック音楽について


 クラシックを聴くようになったのは、今からの7年ほど前だ。だから、私はまだ、クラシックに関しては初心者である。しかし、今では私の持っているCDの半分以上がクラシックになってしまった。しかも私は偏食家で、気に入ったものだけをしつこく追求するものだから、その中でも同じ演奏家の名前がずらりと並んでいる。オーケストラはあまり好きじゃない。ソリストのほうが好きだ。

 私は思うのだけど、おそらくオーケストラという存在は、ある種、社会との共生や調和を象徴している。それぞれが自分の役割を承知し、それに徹したときに、素晴らしいハーモニーが出来上がる。しかし、ソリストはそれとは逆で、自分の個性を目いっぱい出さなければいけない。彼らは個性的であればあるほどいいのだ。そして、そこには必ず内省が必要となる。社会性の欠如している私には、ソリストの演奏が際立てば際立つほど好きだ。彼がユニークであればあるほど、そそられる。なぜなら、そこには彼自身の発する言葉と同じで、我々の歓喜の琴線に触れるような何かがあるからだ。


 すっかり偏った私の棚に並ぶのはピアノ、ヴァイオリン、チェンバロがほとんどだ。だから、正直クラシックの知識というものはあまりないほうだと思う。しかし、今では私が聴く音楽の半分以上はクラシックが占めるようになった。そして、私がいつからクラシックを聴き始めたのかと思い出すときに、一つの記念碑的な作品が思い当たる。それは、バッハの「小フーガ」だ。
 まずこの話しをし始めるには、少年時代へと遡らなければならない。


 それは夕方だった。私にとって少年時代の夕方という時間帯は、いつだって特別な意味を持っている。それは慌ただしく帰宅する夕暮れの時間であり、あの憧憬を含んだオレンジの空が、様々な思い出と結びついている。そして、バッハの小フーガが流れていたのも、いつも夕暮れの時刻だった。

 その曲は、いつも楽しみにしていたテレビのアニメが終わってから聞こえてきていた。毎年、ある時期になると市民会館にやってくる演奏会のCMで、そこからバッハの小フーガが流れていたのだ。もちろん私の田舎にはパイプオルガンなんて大それたものはなかったから、一般的なオルガンで演奏された、あの有名な小フーガの一節が、テレビから流れていた。私はそれがバッハの音楽だとは知らなかったし、小フーガだという名前も知らなかった。しかし、その音楽はその後長い間、耳の奥に残り続けていた。

 やがて思春期が過ぎ、二十代も終わりにさしかかった頃に、なぜだか不意にその音楽を思いだし、聞きたくなったのだ。それは白昼夢のように、本当に突然やってきた。
 その二十年近くの間に、私は色々な音楽遍歴を辿っていた。JーPOPから、ロック、パンク、ヒップホップやハードコア、そしてジャズ、民族音楽。その頃はジプシーミュージックに興味が出始めていた頃だと思う。そして、奇妙だが一つ確実なことは、私の周りでクラシックを聴いている人間など、一人もいなかったということだ。そして仮に、自分が誰かに「クラシックを聴いている」なんて言ったとしたら、こいつ大丈夫か? というような目で見られるような空気が、当時の私の周囲にはあったのは確かだ。クラシックというカテゴリは、わけがわからず、気取っていて、ノリも悪く、踊ることも、はしゃぐこともできず、ただ一人で黙々と聴かなければいけない、というイメージがあったのだろう。その頃の私たちの音楽を聴く理由には、それらは当てはまらなかったのだ。私たちにとっては、カッコ良かったり、メッセージ性があったり、気分を高揚させてくれて、奇抜で、真新しいものが、そのとき音楽に求めていたものだったのだ。
 だから私がなぜか不意に小フーガを聴きたくなったのは、全くの突然変異のようなものだった。

 私はどうにかしてその曲を聴きたいと思ったが、知っているのはオルガンの音色と、そのメロディだけだった。まだスマホも普及していない頃で、今みたいにネットで検索するのも困難だった。だが、どうにかして小フーガというその曲名だけは突き止めることができた。そして、新宿のタワーレコードに行き、初めて訪れるクラシックのフロアで、それを探し始めた。しかし、今でこそ慣れたが、クラシックの音楽を探すということは、素人には非常に大変なものだ。何故ならクラシックの音楽というは、作曲家、演奏家、指揮者、楽器、時代、など実に様々なジャンルで分かれているからだ。例えば、J-POPのフロアでCDを探そうと思ったら、アーティストの名前だけを探せばいいだけだ。しかし、クラシックではそうはいかない。広いフロアの中には現代音楽からロマン派、古典派、バロックなど時代ごとで分かれていたり、そうかと思えば協奏曲、交響曲、室内楽など素人にはさっぱりわからない分類や、さらにピアノ、ヴァイオリン、チェロなど楽器ごとで枝分かれしている。その中から作曲家のコーナーでようやくバッハまでたどり着いたとしても、大バッハ、小バッハなど、さらに様々なバッハに惑わされる始末で、そこから作品名(平均律クラヴィーア、ゴルドベルク変奏曲など)が分類されていて、その上同じ曲目だとしても、数多の演奏者と楽器があるのだ。
 私はその広い海の中を手探りで泳ぐように、あてずっぽうでCDを引っこ抜いていった。そして、裏面に日本語で書かれた<小フーガ>の文字を運よく見つけることができた。それは実際に運が良かったと言っていいだろう。なぜなら、一般的に<小フーガ>といわれる曲は、正式名称は<フーガ ト短調 BWV578>というもので、後で気づいたのだが、そちらで表記されているほうが多かったからだ。私が買ったのはヘルムート ヴァルヒャの「トッカータとフーガ」だった。パイプオルガンでの演奏だった。そして、家に帰り、嬉々としてプレイヤーへとセットすると、一曲目に流れたのは<トッカータとフーガ ニ短調BWV565 トッカータ>だった。それを聴いて私が真っ先に思い出したのは、加門達夫の「♪てれりー、鼻から牛乳」という替え歌だった。


 とにかくそんな風にして、バッハを起点として、私のクラシック体験がスタートしたのだった。

 そして、次に購入したクラシックのCDは、ワンダ・ランドフスカの演奏する、「スカルラッティ」だった。そのきっかけを与えてくれたのは名曲喫茶だった。

 その頃から私は渋谷のライオンや、高円寺のルネサンスなど、名曲喫茶へときおり行くにようなっていた。はじめはクラシックを聴くためではなく、本を読んだり、書き物をするためだった。しかし、そこで流れていたチェンバロの音が(もちろん、それがチェンバロという楽器だとは当時は知らなかった)無性に気に入って、店員にこの演奏家は誰かときいたのだ。するとランドフスカだと教えてくれた。それから数日後にディスクユニオンに行き、ランドフスカという名前だけを頼りに陳列棚を探していたら、スカルラッティのアルバムを見つけたのだ。しかし、私がどうしてすんなりとチェンバロの音を気に入ったのかを語る上でも、もう一度子供時代へと戻らなければならない。

 私たちの世代が子供時代に遊んだものといえば、なんといってもファミコンだ。そして、その中でもとりわけロールプレイングゲームは全盛期だった。ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジー。誰もがそれに夢中だった。私は、毎年夏に行く墓参りの車中で、窓の外を流れてゆく山の稜線を眺めながら、あのドラクエの画面の中のドットで描かれた山々の姿と重ね合わせてはよく夢想をしていた。そこには冒険が待っているはずだと。
 それから大人になって、初めて東欧に行ったときに、電車の車中から外の景色を眺めながら、ああ、子供時代に夢見た、あのファンタジーの原風景に、初めて足を踏み入れるのだなと感慨を覚えたものだ。

 私たちは当時夢中になっていたゲームの世界から、知らずうちに多くの影響を受けている。武器や魔法、中世ヨーロッパの世界観、それから勇者と魔王。それは音楽も一緒だった。当時のロールプレイングのゲーム音楽は、クラシック、とくにバロック音楽を元につくられているものが多い。そして、それはあの陳腐で単純で素晴らしいファミコンというものに、実によく合っていた。さらにその電子音は、チェンバロの音にそっくりなのだ。(実際、今でもルージイチコヴァなどの軽快なチェンバロの音を聴くと、電子音と区別がつかないときがあるくらい、それはよく似ている。)あるいはチェンバロの音に似ているからこそ、バロック音楽を採用したのかもしれない。卵が先か、鶏が先かはわからないが、とにかく名曲喫茶でチェンバロの音を聴いたときに、私のノスタルジーの奥からひそひそとした喜びが呼び起こされたのだ。それは、本当にぞくぞくするような穏やかな興奮だった。

 そうして私の記念すべき二枚目のクラシックのCDはランドフスカとなったのだが、そのあと、全く無作為に、そして決定的な作品と出会うことになった。それは、グレン・グールドの81年版ゴルドベルク変奏曲だった。

 当時の私は、どれ、クラシックをちょいと聞き始めてみるか、という気になっていた頃で、今はなき新宿のツタヤでクラシックのコーナーをぶらぶらと眺めていた。そして、何の脈絡もなく、グールドのゴルドベルク変奏曲を手にしたのだ。それを手にした動機としては、たった一つだったと思う。その中で私が聴いたことのある作曲家がバッハしかいなかったからだ。私はグールドという名前も、ゴルドベルク変奏曲という名前も知らなかった。しかしその後、今に渡って長い付き合いになろうとは、そのときは夢にも思わなかった。

 とにかくそのときグールドもゴルドベルクも、私のiPodに加わった一枚のアルバムに過ぎず、お気に入りでもなんでもなかったように思う。しかし、その後カナダのトロントで再び無作為に手にした音楽が、ピエール・アンタイのゴルドベルク変奏曲だったのだ。始め、そのCDで私がたった一つ読めた英語の単語は「チェンバロ」だけだった。私はチェンバロ自体には絶対の信頼を置いていたので、そのCDをいわばジャケ買いのようの気持ちで買ったのだ。しかし家に帰って聴いてみると、どこかで聴いたことのある曲だということに気づいた。それがグールドがピアノで演奏していたゴルドベルク変奏曲だとわかり、その曲名がそのとき私にとって初めて意味を持つようになったのだった。


 それから帰国後に、怒涛のごとくゴルドベルクを集め始めた。私はゴルドベルク変奏曲が無性に好きだった。それはグールドが種を植え、アンタイが花を咲かせたと言ってもいいだろう。ゴルドベルク変奏曲の全体の構成は、いわば一つの輪のように循環している。始めのアリアと終わりのアリアで繋がっていて、その間を30の変奏曲が、それぞれの個性を発揮しながら展開されてゆく。それは干渉不可能な時間軸に沿って繰り広げられる人生の様々な場面と同じで、我々に一つの完全生を見せつける。私は色々な奏者によって演出されるそれを、飽くことなく聞いた。ランドフスカ、マリア・ユーディナ、スコット・ロス、アンドラ―シュ・シフ、神西敦子、ルドルフ・ゼルキン、アンジェラ・ヒューイットなど。そしてそれはまた、グールドへと戻ってくるのだった。
 グールドのゴルドベルクの55年版があるのを知ったのは随分後になってからだった。多分、多くの人はグールドときけば、55年版のゴルドベルクを想像するのだろう。しかし、私は歴史を遡るように、81年版から始まり、55年版へと辿り着いた。しかし、正直55年版はあまり好きではない。ビックリ箱のような印象がある。それは確かに真新しいが、ゴルドベルク特有の丸みがなく、ガタガタとしている。それに比べて81年版は、完全に曲が彼自身と同化している。それもわずかな隙もないほどに、ぴったりと。まるで彼自身が作曲したかのように。それから私は、今度はグールドのCDを貪るように買うようになったのだった。



 クラシック音楽というものを考えると、実に奇妙なものだと思う。それは、現在数多にある音楽のジャンルの中でも、ことさら特殊である。それは例えるなら、それぞれの演奏家や指揮者が、偉大な設計図をもとに、見事な建築物を再建するのに似ている。始めは宗教や民謡と結びついていたそれは、やがて音の響きや構成の美しさに重きを置き、次第に、ただ素晴らしい音色だけを追求するようになったように思われる。今となっては、クラシックでは踊れないし、クラシックでは歌えない。それに、クラシックは社会の風刺でもなく、クラシックは時代を象徴しない。クラシックはただただ、聞くだけである。そして、うっとりとしたり、感動したりするだけである。そこに物語はないが、情景はある。また、オーケストラには共生があり、ソリストには個性がある。彼らはただ、音を追求している。それはいったい何のためなのか。メッセージ性も社会性もなく、遊星のように浮かぶ音楽の園を追求することがいったい我々に何をもたらすのか。それは、芸術の領分であり、我々に現実を離れて、夢を見させてくれる。彼らの発する音の積み重ねが、巧みであればあるほど、その情景は鮮明である。そう、それはハーメルンの笛吹きと同じなのだ。音楽、それ自体はハーメルンの笛吹きであり、現代も我々もまた、笛の音に誘われることを望んでいるのだ。私自身は現実家とはいえない。現実を飼いならし、コントロールしなければならないのは十分に承知している。しかし、そのために、夢が必要なのだ。できるだけここから遠くにある、夢が。クラシックにはどうやらそれがあるようだった。

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