博士の愛した数式 小川洋子 感想

記憶が80分しかもたない老数学者「博士」、家政婦の「わたし」、10歳の息子「ルート」の3人の物語。

登場人物

・博士→老数学者。交通事故に遭い、それ以降記憶が80分しかもたなくなった。子どもと阪神タイガースの江夏が大好き。
・わたし→29歳。10歳の息子がいる。女手一つで家政婦として働いている。博士の家に家政婦として派遣される。
・ルート→わたしの10歳の息子。頭のてっぺんがルート記号のように平らだからと、博士から「ルート」と呼ばれる。
・未亡人→博士の義姉。博士と一緒に交通事故に遭い、今は杖をついて歩く。

数字の美しさと数学の楽しさ

おれは算数・数学が昔から好きだった。小学生のときおれは掛け算九九が得意で、100マス計算は常にクラスで一番速かった。当時の担任の先生はおれのことを「算数博士」と呼んでくれた。その言葉がおれの自己肯定感を高め、どんどん数字の世界にのめり込んだ。計算してる時や証明の問題を解いている時、脳がフル回転している感覚があり、それがすごく気持よかった。問題が解けた時は、まるでジクソーパズルのピースを埋めた時のような「完成した」という快感があるのだ。それに、うまく言えないけど、なんかこの世界のカタチをその計算式に見出していた。「この世界に存在している」ということを、数字が教えてくれているような感覚。でもこの気持ちよさを意識したことはなかったし、言葉にしたこともなかった。この本を読むまでは。

この本の中では、数学の用語がいくつか出てくる。友愛数、素数、完全数など。登場人物たちが数字に対して抱く感覚の描写があるが、それが今まで自分が無意識に抱いていた感覚とほとんど一致し、歓喜した。
例えば、1〜100までの素数を書き並べて、どう思うかを博士がルートに聞くシーン。

"「みんなばらばらだ」
たいていルートの方が先に答えた。
「それに、2だけが偶数だよ」
なぜかルートはのけ者の数を見つけるのが得意だった。
「まさにその通り。素数の中で偶数は2、一個だけだ。素数番号①の一番打者、リードオフマンは、たった一人で無限にある素数の先頭に立ち、皆を引っ張っているわけだ」
「淋しくないのかな」
「いやいや、心配には及ばないさ。淋しくなったら、素数の世界をちょっと離れて偶数の世界に行けば、仲間はたくさんいるからね。大丈夫」"(小川洋子、『博士の愛した数式』、2006、新潮社、P98〜99)

素数の中で唯一の偶数である2に対して、「淋しくないのかな」と感情移入するルート。数字に感情移入することに何も違和感を感じる様子もなく、「偶数の世界に行けば仲間いるから大丈夫」と答える博士。これとまったく同じことを昔考えたことがおれにもある。「あれ2だけぼっちだな、あでも偶数だから大丈夫だ、よかった」って。
人が数字に見えることがある。あるいは数字が人に。例えば"30"という数字。2でも3でも5でも10でも割れる。だから30は「誰とでも打ち解けられるような人」のようだと思う。あるいはそういう人を見ると頭の中で「この人は30だ」と勝手に思ったりする。素数に対しては、「群れない人」というイメージ。1と自分自身でしか割れないから。どことなく孤独な雰囲気を感じる人を見ると、「素数みたいだ」と思う。
博士は素数をこの世で最も愛する。そして博士は人込みを嫌う。おれはこのことがイメージ通りな感じがしてとてもしっくりきている。どことなく孤独な雰囲気を醸し出す素数を愛している人が、たくさんの人とウェイウェイやってたらなんかおかしいもん。とか、
でもこの感覚って今まで意識したことあんまりなく、なんとなく頭の中に浮かんでくるだけのものだった。数字と人物の内面部分のイメージを結びつけて言語化した小川洋子さんほんとすげえって思った。この時、おれはこの結びつけの作業が楽しいから数字が好きなんだと初めて気づいた。だからおれは、それぞれがさまざまな個性を持つ数字を足したり掛けたりして出てくる数字に美しさを感じたり、その計算自体に楽しさを感じてたんだろうな。

ルートの純粋さ

ルートが博士の家に通うようになった頃、「私」が買い物に行っている間に、ルートが包丁で怪我をするシーン。診療所で手当てをしアパートに帰った時、泣きながらルートは「私」にこう言い放つ。

"「ママが博士を信用しなかったからだよ。博士に僕の世話は任せられないんじゃないかって、少しでも疑ったことが許せないんだ」"(小川洋子、『博士の愛した数式』、2006、新潮社、P116)

この小説でおれがいちばん好きなセリフだ。「私」はたしかに、正直博士と息子を二人きりにすることが不安だった。その不安は、博士を完全には信用していないことのあらわれだと思う。ルートは博士のことを愛している。そしてルートは「私」が博士を完全には信用していないということをほぼ無意識的に感じ取ったのだ。自分の信頼する人に対して、自分の母親が不信感を抱いているということが悔しくて悲しかったんだろうな。
子どもは繊細だ。大人の心の中なんてお見通し。ウソはバレる。何も見てないようで、実はよく見ている。言葉の裏にある意思を敏感に察知している。おれはこういう子どもの持っている純粋さが本当に好き。おれはこのルートのセリフではっとさせられ、泣いちゃった!

博士の愛

博士は80分しか記憶がもたない。だから「私」もルートも、博士と思い出を積み上げ共有するということができない。80分経てば、初対面の状態に戻るのだから。
でも逆に、積み上げてきた思い出がない分、常に「私」やルートに対してなんの先入観もない。博士は「私」とルートに対して、その博士が持つ人間性のみで接している、そのように見える。記憶を失っては、何度も何度も同じやりとりをする。博士の反応が変わることはない。博士は博士のまま。その人間性は様々な体験を通して、どんどんくっきりと鮮明に浮かび上がってくるのだ。

"数学だけに限らない。怪我をしたルートを病院へ運んでくれた時も、身を挺してファールボールを防いでくれた時も、私たちの感謝の気持を上手に受け取ることができなかった。頑固だからでも、ひねかれているからでもなく、どうしてそれほどまでに自分が感謝されるのか、理解できなかったのだ。
自分にできるのは、ほんのちっぽけなことに過ぎない。自分ができるのならば、他の誰かにだってできる。博士はいつも、そう心の中でつぶやいている。"(小川洋子、『博士の愛した数式』、2006、新潮社、P237)

どこまでも謙虚で飾らない性格。子どもに優しい。数学に夢中。そんな博士にこの本を通して出会えてほんとラッキーだわ!今とても心が温かい。気持ちいい。


ところで、目に入った数字を無意識に掛け算したり割り算しちゃうよって人いらっしゃる?例えば、時刻。9:54とデジタル時計が表示していると、無意識に6という数字が浮かぶ。27-81という車のナンバープレートを見ると、無意識に3という数字が浮かぶ。その時、同時に「お、ピッタリだ!」という気持ちよさを感じている。これ、小さい時からずっと当たり前のようにやってるんだけど、みんなもしかしてやってない??


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