私が陽性になった話


2020年に世界中でパンデミックを起こした新型コロナウィルス。
日本では、2022年5月末時点で感染者はいるものの、ピークと比較すると感染者は少なくなっており、2019年頃までのような活気が街に徐々に戻ってきているようだった。

私は仕事柄、出張が非常に多い。新型コロナウィルスが最初に猛威を奮った際は、週3日勤務や残業無しなどの社会的な流れに乗ったが、それ以降はそれまでと変わらずに出張に行き、全国各地を回った。

そんな中でも、私は感染すること無く忙しい日々を過ごしていた。時には陽性者と濃厚接触になっても、PCR検査は陰性で、数々の局面を乗り切っていた。もちろん対策は施しており、新型コロナウィルスに効果があるとされるワクチンも現在の最大回数である3回接種していた。

そんな私が陽性者になるなんて。

あれは夏のような日差しだった5月末の三重県某所。
本来なら一緒に業務を担当している仲間が、欠席することになったのだ。
私は追われていた、彼がこなしていた部分も気にかけないといけなかったのだ。
正直心中穏やかではなかった、なんで彼が欠席なのか。しかしそんな事を思っても彼は来ない。とにかく私が埋め合わせをしなければ回らないのだから。

私がリーダーを務める仕事のメンバーは4名。普段はバラバラだがイベント毎に集まる。
その時1人のメンバーの声がカサカサしているようだった。
「声どうしたんだ?」
「昨日までのお仕事で、喋りすぎました」
「大丈夫なのか?」
「元々扁桃炎もちなので、大丈夫です」
私はこの言葉を信じた。だが、何かあってもいけない為、待機スペースは常に開放をしていた。

本来の業務以外の部分もバタバタと仕事をこなしている最中、夕方頃に声がカサカサだったメンバーから
「OSー1いただけないでしょうか?」と依頼を受けた。
これはもしかしてよくない状況ではないのか。いや、よくない。まずい。
仕事をしているのはこの5人だけではない。何十人というメンバーが他にも関わっているのだ。こんなご時世だから・・・私はそのメンバーをつれて、ホテルに戻った。

ホテルに戻り、すぐに休ませた。

が、そのメンバーは翌日には高熱を出した。ダメだったか・・・。
私はそのメンバーを置いて行き、残り3名のメンバーで局面を乗り切った。それ以外の部分でも様々なトラブルがあり、精神的にズタボロだった。

そして仕事が終わり、足早に三重県を去った。

翌日、すぐに病院に駆け込んだメンバーから受診結果が。
「コロナウィルス陽性でした」と。

残りのメンバーは朝1番でPCR検査を実施した。なぜなら、すぐに静岡県のイベントに向かう必要があったからだ。そして、検査結果を待つことになった。

翌日。
まずはワクチンを打っていなかったメンバーの結果が出てきた。
「陰性でした」
「陰性でした」
ホッとした。そりゃそうさ、換気はしっかりしていたんだから。

さぁ私はどうなんだ、検査結果が一向に来ない。試しに家に転がっていた抗原検査キットを試してみると・・・
〜検体あり〜
抗原検査キット何度もしているが、心の中で信用していなかったのだ。それがまさかの結果が出てしまった。これはまずい。

抗原検査から1時間後、PCR検査の結果が出た
「陽性です」
私は唖然とするしかなかった。今まで様々な局面を乗り切ってきた私が・・・
このタイミングで・・・。

そしてもう1人、ワクチンを打っていたメンバーからも陽性が確認された。
奇しくも、ワクチンを打っていた2人が見事に陽性となった。

しかし私は熱も上がらず、喉がエアコンで乾燥したような違和感があったが、症状は無いに等しかった。これはやはりワクチンを3回打っていたおかげだったのか。念のため、病院も受診しPCR検査をしたが結果は変わらずだった。

関係者に報告をすると
「ゆっくり休めってことさ」とほぼ全員が言ってくれたのが嬉しかった。
確かに3月から5月末まではほぼ休みなく動いていて、正直疲れていた。

でも今回、陽性者になって分かった事は、やはり人は支えられて生きているんだと実感した。幸い私は無症状だったので、身体的に苦労はしなかったが、実家からは食材を送ってきてくれたり、静岡県に行ったメンバーからも気にかけてくれて、連絡をもらう事ができた。私は陽性者の自宅に物を運んだりする事が多かったが、逆にしてもらう事ができて、本当に助かった。

正直悔しい気持ちもあったが、今は前向きに、この自宅療養を楽しもうと思う。
(テレワークというのがあるので、結局できる仕事はしなきゃいけないが・・・)

だけど、早く外出たいな〜笑

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