社会に馴染むために職業訓練校にいく
障害のある人にとっての禁断の果実がある。
自らの障害を隠して働く「クローズド」で働くことだ。
病気の理解があるかもしれないが、精神障害のことをオープンにして働いても、貰えるお金がとても少ない。任せてもらえることはバイト以下の単純作業だ。。。
工場勤務、清掃、郵便仕分け、名刺をつくる、エクセルのデータ入力
特例子会社で障害のある人を押し込めて、数字上で雇っているに過ぎないじゃないか。。。
今までの人生で学んだこと、頑張ったことは何だったんだ???
「「「大学を出たのに」」」
仕事に貴賤はないと頭ではわかっているのに、心の奥底の私が叫んでいる。
同年代の人は仕事を始めて、高卒なら8年目。大卒なら4年目。結婚している人もいる。
なんで病気なんかになったんだ。
いっそのこと隠して働いてやる。。。
わたしは耐えられず「クローズド」で働くことにした。
しかしその道は思ったよりも険しい道のりだった。
・入院の期間と自宅療養の期間の2年間は「ニートをしていた」とへらへらしなければならなかったこと。
・年齢の割に疲れやすくて、記憶力が低下していたこと。
こんなにも健常者の中に溶け込むことができないのかと愕然とする。
罵声を受けながら働くことに疲れた私は、逃げるように退職した。
3か月で辞めて私を責める人は誰もいなかった。
家族も友人も主治医も「よくやった」と褒めてくれた。慰めてくれた。
周回遅れで生きることを開き直ることにした。
全部投げ出して大の字に寝たときに、空ってでっけえなって思う。
カラオケで友人と歌うことで、吹っ切れる。
頭でごちゃごちゃ考えても堂々巡りするだけなので、いっそのことバカになることが多々ある。
「持たざる者が強いんだ」みたい大層な話じゃない。
こういう生き方を受け入れないと生きていけないんだという諦めと、生存戦略なんだっていう遠吠え。
人生のハードルを下げる
あんだけ嫌がってた障碍者雇用に戻る形になった。
人生のハードルを思い切り下げることにした。
誰とも比べないために、誰も知らない土地に行きたい。
年収が少なくても生きていけるように、過疎の一軒家とやっすい中古の軽自動車を手に入れて生きていけたらいいと思うようになった。
そもそも全身拘束された日から、自由に食事と排泄ができることがいかに幸せなのか、学んだはず。。。
当たり前のハードルがどの位置にあるかで「幸せ」が変わる。
分かっていたのに忘れてしまう。
慣れというものは怖い。
訓練校に行く
さらに1年かけて、就労支援を受ける。
周回遅れ人生。ここまで来たらどこまで行くか楽しみになってくる。
開き直って生きるしかない。
けどそれを楽しめるかどうかは自分にかかってる。
100歳まで生きる時代なんだから誤差だと思うようにした。
みんなが山登ったり、船旅したり、宇宙いって、すげえなっておもうけど、自分は足元の土を耕してるくらいに思うことにした。
この文章読んで、気楽になってくれる人が一人でも増えることを願って。。。
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