掌編小説:岩塩、喜んで (ホラー)

 あの人、今日も帰りは遅いのかしら。

 義母と黒猫の夕飯の支度の時間。
 楽しい楽しい料理の時間。
 
 料理を始める時はいつも最初に塩の準備から始めるの。あの人が好きな岩塩を削るのよ。
 男の人のこだわりって不思議。
 この岩塩は風味が違うんですって。
 義母もあの人の言うことなら何でもきいちゃう。食べるものは和食ばかりなのに。

 いつも、頑張ってミルをまわしているわ。くるくるくるくる。

 夕飯の支度が出来た。
 義母にまず食事を出す。
 次が猫。
 私は最後。

 この黒猫はあの人がどこかから拾ってきたの。
 そう、義母から赤ちゃんが出来ないことを責められたことを、あの人に愚痴った翌日のこと。
 あの人は言ったわ。ほら、この猫、拾ったんだ。可愛いだろ。赤ちゃんのかわりにさって。
 私は無理やり笑顔を浮かべた。それからこの猫の世話はずっと私の役割。義母の世話に猫の世話。

 
 ああ、またこの時間。
 楽しい楽しい料理の時間。
 今日もあの人は遅いのかしら。
 岩塩をミルで削る。一生懸命思いを込めて削る。

 このミル、あの人からもらったの。透明で中の岩塩が見えるのよ。真っ赤な岩塩。地中海の方のものらしいわ。私は詳しく無いのだけれど。

 今日のお味噌汁、どうかしら。
 義母は夕飯には必ずお味噌汁を飲むのよ。
 お味噌汁を啜る義母のシワの寄った唇を、バレないようにこっそり伺う。

 大丈夫、何も言わずに飲み続けている。


 またこの時間。
 楽しい楽しい料理の時間。
 今日も一生懸命ミルを回す。
 今日もあの人は帰ってこない。

 削った塩を捨てるような勿体無いことはしないわよ。
ちゃんと皆が文句を言わないように味付けには気を付けているもの。


 さあ今日も楽しい楽しい料理の時間。
 昨日よりほんの一捻りミルを多く回す。
 私はちゃんと覚えているの。これまで作った夕飯で、いつ、何回ミルを回したか。ちゃんとね。


 楽しい楽しい料理の時間。
 昨日、黒猫が居なくなっちゃったの。
 あの人は色々探してたわ。ネットを使ったり、実際に歩き回ったり。本当にバカみたいに頑張って探してたわ。
 でも結局見つからなかったの。動物って賢いのね。野生じゃなくても危険を察知するんだもの。
 今日からはミルを回す回数をだいぶ減らさなきゃ。物足りないぐらい。
 本当に残念だわ。あと少しだったのに。


 ああ、楽しい楽しい料理の時間。
 私の生き甲斐。
 明日はどれだけミルを回せるかしら。

 ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、昨日より今日、今日より明日、ミルを多く回すの。

 それが、私の生き甲斐。

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