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ヒステリーな人は、何をやってもヒステリック

ヒステリーな人は、ハラスメントをします。ハラスメントをしているつもりはないのでしょうが、ヒステリックな振る舞いは、どうしても人に害を与えてしまう。

最近、迂闊にもヒステリックな人に絡まれて、そんなことを思い返していました。それにしても、迂闊だったなあ、と反省。笑
モヤモヤしたので、えーいブログのネタにしてしまえ、と思いました。
大きな独り言です。

大昔、ヒステリーは、子宮の病気、女性の病気だとされていたようですが、男も女もどちらもヒステリーな人はいます。
ヒステリーを起こす人は、別に生まれつきヒステリックな訳ではないので、何か病的な原因があるのでしょうかね。

ヒステリーとは、きっと、物事を誰かのせいにして、自分の問題を誰かに解決させようとするアピールだったり、
「自分はこんなに大変なんだ」「自分はこんなに頑張ってきたんだ」と言う悲鳴だったりするのではないかと思います。
自分に起きた出来事を受け入れられない、対処できない人がヒステリー症になりやすい気がします。私の勝手な感想ですが。

その中でも、いい歳をした大人のヒステリーは、本当にたちが悪い。それなりに歳を重ねて、それなりに生き延びてきた経験があるだけに「私は、これまでこれでやってきた」という変な自信を持っているので、とどまるところを知らない。

そして、ヒステリーというと、不機嫌で怒っている状況を思い浮かべがちですが、一見、機嫌が良くても、ヒステリーな人は、ヒステリックなのだと言うことにも気がつきました。
喜怒哀楽、どれをとっても、ヒステリーな人は、ヒスっちゃう。だから、一緒にいる人は、非常に疲れます。
相手に自分を認めさせたい、相手に何か要求を叶えてほしい、そう言う考え方が、根っこにあるから、何をしても、それが滲み出ちゃう。
例え、それがこちらを褒めてくれている場面でも、恩着せがましくなってします。自分を認めさせるために褒めてくれるので、本当の意味では褒めていません。
「それって褒めてないよね?😅」という場面もあるし、何かお返しを要求されている空気も感じたり。

また、相手の反応をコントロールしようとするので、明るい話題や普通の話題であっても、いつも鼻息荒くワナワナしていて、どこか「攻撃的」。怒りがこもってしまう。

私の見てきた限りですが、このタイプは、共通して、とても引き出しが少ないです。だから、物事を「良い悪い」「白黒」でしかみられない。
自分ではそれを「完璧主義」だと思っているけれど、彼らの考えている「完璧」は、ほんの小さな世界でしかない。他の世界があることを知らないから、全体を見たり、他の角度から物事を見られない。

引き出しが多ければ多いほど、人は、物事を多面的に見られると思います。あるものをA地点から見れば悪いことだけれど、B地点から見れば良いことになることもある。と言う考え方ができます。

単純な例で言うと、受験で第一志望の学校に落ちたとします。落ちたことは残念なことかもしれない。でも、そのおかげで見つけた別の進路で、天職が見つかったならば、さあ、第一希望の学校に落ちたことは果たして、悪いことなのでしょうか?良い出来事、悪い出来事を超えたもっと膨らみのある結果だと思うのです。

引き出しの少なさは、選択肢の少なさであり、人のことを自分の物差しで測る彼らは、少ない判断基準で人をジャッジして非難します。
なぜ非難するかというと、自分と関わる人は皆、自分の駒だからです。理解不能なものは使いこなせないから、怖いのです。

無理やり、少ない引き出しの中で、相手を判断し、分類する。理解できないもの、判断基準に見合わないものは、手に負えないし、怖いから、非難する。

当然、世の中の人もものも、彼らの数少ない引き出しには収まりきらない。
だから、どうしてもいつもイライラして、ヒステリックになる。

引き出しが少ないことに罪はない。世の中は、知らないことだらけ。知らないことの方が、多い。私たちは、少しずつ自分の経験を通じて、引き出しを増やすしかない。
でも「自分には知らないことがある」と言うことを知ること、無知の知が大事だと思います。
そして、人をコントロールしようとするのではなく、自分のできることをやるしかない。そうしていたって、どうしたって、人は人に助けてもらうことになるのだから。

自分の弱さに目を向けないと、どんな経験をしても、何年経っても、人は成長できないし、引き出しも増えない。しっかり自分に向き合って、心の中を豊かにしていきたいと思いました。

今回のアクシデントで、一つ吹っ切れた気がします。私は、自分の気難しさをオブラートに包むようにしていたのですが、もっと素直に、厳しさむき出しで行こうかなと思います。万事これで良し。