良い愚痴、悪い愚痴
プライベートで人の話を聞くときに感じたことです。
人は、時には愚痴を言うことも必要かとも思います。
ちょっぴり誰かに聞いてもらうことで、もやもやが軽くなって、
楽になれる場合もあります。
「なんだ、大したことないや」「そっか、みんなも大変なんだな」
「私、がんばったんだな。励ましてもらえてよかった。」などと
気がつかせてもらえたり、自分で話しているうちに
「私、こんな風に思っていたんだ」と自分の思いに気がつけたり。
でも、話す時には、感謝の気持ちと、節度が必要だと思うんです。
愚痴り方によっては、せっかく聞いてくれた人を疲労困憊させてしまったり、
自分で自分の怒りを煽ってしまうこともあります。
悪い愚痴は、重たいお土産を残します。
だから、聞いている人の具合が悪くなってしまいます。
せっかく楽しい時間を過ごすために会ったのに、
体力も時間も、奪われて、げんなりしてしまうことないですか?
悪い愚痴は、わかりやすく暗いパターンもありますが、
もう一方で、一見、明るく会話が弾んだように見えるパターンがあります。
でも、それは単なるヒステリー状態で、その原動力は怒りなので、
聞いた人は後から具合悪くなる。二日酔いみたいに。
質の悪いお酒に酔ったみたいに、質の悪いトークに酔ってしまう感じです。
質の悪い愚痴を提供する方は、愚痴を聞いてもらう快感や
興奮状態になる高揚感に依存して、愚痴ることが癖になってしまう。
愚痴依存症、愚痴中毒者です。
話しながら怒りのガソリンをヒステリーで燃やし続け、興奮し怒り続けるので、
問題は解決に向かいません。
個人的に聞くのと、セラピーとしてお話を聞くのでは、全く違いますから、
愚痴中毒者には、カウンセリングやセラピーに行くことをお勧めします。
ただ、難しいのは、愚痴中毒者は、
「(セラピーだと)時間制限があって、お金がかかる。
それより友人知人に無料で延々と聞いて欲しい」
「カウンセリングは、自分に向き合うことになるから嫌だ」と考えます。
お金が発生するということは、その時間内に、お金に見合った対価を
セラピストは与えなくてはいけないし、
クライアントは金額の分何かを受け取ることになる。
お互いの目的がはっきりしている分、割り切った時間として有効に使えます。
そして、時間制限があるのは、人が悩みに付き合える時間は限られているからです。体力も労力も必要です。
以前、愚痴が上手な人に出会ったことがあります。
「ねえ、今日はちょっと聞いて欲しいの。愚痴るけど、ごめんね。」
と愚痴を始める。
愚痴も、おもしろおかしく事実のみ、客観的に話す。
そしていっしょに「えー嫌だねー腹たつねー」など感想をいいあう。
最後に、「じゃ、愚痴はこれで終わりね。ごめんね、聞いてくれて、ありがとう。」と言って、その日は、もうそのことに触れず、別のことをして楽しく解散する。
聞き手に負担にならないように話してくれるのです。
私になんとかして欲しいと思っていないから、
嫌な重たい空気をお土産にもらうことがないのです。
気分転換に友人知人と会うときは、悩みと関係のない
楽しいひと時でリラックスした自分を取り戻すのが有効だと思います。
たっぷり素敵な時間を過ごすと、問題へ立ち向かうエネルギーを取り戻せます。
そして、悩みは一旦きちんと対処したら、忘れる時間を増やすのが、
悩みのタネから離れるコツだと私は思います。
私も愚痴っぽい時期がありました。優しく聞いてくれた方がいらして、
その方に申し訳なかったと反省しています。
今思えば、私はその頃、体調がとても悪かったです。
自分が嫌な感じに愚痴っぽくなっていると感じたら、自分を変えるチャンスです。生活を変えるチャンス。
他人は変えられないけれど、自分は変えられるから。
自分の生活が変わると、愚痴の質が変わります。
素敵だなと思う人の愚痴は、軽い空気を纏っています。