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進撃の巨人の郷「大分県日田市」に残るリアル巨人伝説を紹介!

進撃の巨人ファンの皆さん、日本の文化が世界を席巻している中で、特に海外でも根強いファンを持つ「進撃の巨人」についてご存知ですよね。この物語の作者、諫山先生の故郷が大分県日田市であることはご存じですか?

この日田市には、実に興味深いリアルな巨人伝説が残されているんです。

この記事を読んでいただければ、リアル巨人伝説が残っている日田の日田神社と慈眼山永興寺への興味が湧いてくるのではないかと思います。そして、日田という土地への関心がより深まるはずです。

リアル巨人伝説!日田殿(ひたどん)こと大蔵永季(ナガスエ)の伝説

リアル巨人伝説が残されている場所は、大分県日田市城町に鎮座する日田神社です。

日田神社には、日田初代郡司である大蔵永弘と永季(オオクラナガスエ)が祀られており、この地の周辺に、300年以上に渡り日田を支配した大蔵氏の本拠地があったとされています。

特に、大蔵永季(ナガスエ)は、地元民からは「日田殿(ひたどん)」と親しまれており、リアル巨人伝説が残されているのです。

「日田殿」こと大蔵永季は平安時代の相撲節会で大変活躍した人物でした。相撲の神様として知られ、日本相撲協会も日田巡業時に公式参拝しています。

永季は、怪力無双で名高く、相撲節会に15回参加し、一度も負けなかったとされます。身長は約2メートルとされ、当時としてはかなり巨人だったことが伺えます。

そんな大蔵永季に、残されている伝説がこちらです。

永季、太宰府で神の神託を授かる

初めて参加する、相撲節会のために京に向かう途中、太宰府を通りかかったとき、永季の前に童女が現れて、(相撲の対戦相手は出雲の小冠者(こかんじゃ)といわれる全身鉄の皮膚を持つ強敵である。)という事を知らされ、また、弱点は(小冠者の母は、子が腹にあるときに鉄粉を食していたが、あるとき瓜(うり)を食べたため、額が弱くなった。)と弱点を伝えたとと言います。

この童女の正体は天神様で、永季は神意を得たのでした。

そして、初めて参加した相撲節会で順調に決勝まで勝ち上がった永季、そこに立ちはだかったのは、神のお告げ通り、出雲の小冠者(こかんじゃ)でした。かなり苦戦を強いられたものの、小冠者(こかんじゃ)の弱点である、額をめがけて突きを入れ見事に大金星を飾ります。

それから、35年間15回に渡って相撲節会に参加し一度も負ける事がなかった強者だったのです。

そんな、大蔵永季と永季のおじいちゃんが祀られているのが「日田神社」なのです。

勝負事があるときなどにお参りをすると、御利益を頂けるかもしれませんね。

また、この地には、まだ興味深いものが隠されています!

次は慈眼山永興寺のお話を移りますね。

大蔵永季(ナガスエ)の等身大の仏像が眠る慈眼山永興寺


そして、日田神社の道を挟んで向かいにある慈眼山には永興寺があります。この寺院は、永興寺は新羅の渡来僧、智元(ちげん)により開基され、永季の父、永興公を弔うために建立されたと伝えられています。

由来
正面階段

南北朝時代初頭には真言律宗として、西大寺(奈良県)の末寺であったとも伝えられています。

現在は、寺院自体はなく寺院跡地として、公園に整備されています。

園内には、8体の仏像が所蔵されており、その中でも迫力満点なのが「木造兜跋毘沙門天立像」は、永季(ナガスエ)が相撲節会での成功を祈って作らせた等身大の仏像です。


なにか今にも動き出しそうな躍動感がありますよね!

これよくみると下で女性が支えているのです、これは永季のお母さんとされているそうです。自分はお母さんやご先祖様に支えられて、愛されてこの世に立っているのだということを物語っているようです。

※この毘沙門天さんを見るには予約が必須なので注意してください!
連絡先は目次の場所に貼ってあるリンクに記載されてあります。


このように日田市には、進撃の巨人のファンにとって見逃せない歴史とリアルな巨人伝説があります。

日田を訪れる際は、ぜひ日田神社と慈眼山永興寺を散策コースに加えてみてください。きっと、より一層日田という土地に魅了されることでしょう。

下の写真は、慈眼山永興寺から日田盆地を見下ろした景色です!どうですか!!壁の上から見下ろしてる感じがするでしょ!

場所

日田神社

慈眼山永興寺


これからも、日田の歴史や地政学的な洞察についての記事をどんどん書いて行くので、よかったらフォローしてください!

それでは、また、チャオ

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