2024年は、私個人としては、何かしら好転する年にしたい。そして、市井に住むあらゆる人への敬意がある世の中になってほしい

明けましておめでとうございます。今年も気が向いたら駄文を書いてきます。

まずは自分語りから始めましょう。

まあ、2023年は私にとって、散々なシーズンでした。

何回も休職寸前まで追い込まれ、仕事における信頼の貯金を使い切ったような気がします。

生産技術も7年続けてきましたが、正直辞めたいなと思いつつも、辞める気力が無いです。このまま流されるようにキャリアを無駄に積むのか?という気が強いです。

プライベートはさっぱりです。ちょっと寂しくなってきました。

健康診断でも、あちこち引っかかりました。ああ、体も無茶が利かないんだな。面倒だなと思い、とても泣いていました。

本当に散々なシーズンでした。とはいえ、うずくまって泣いてる訳にもいかないので、認知行動療法を始めたり、ダイエットを始めたりしました。

ダイエットは結構順調ですし、体の数値はとりあえずよくはなりました。

認知行動療法は始めたばかりですが、職場において「責任をとる」ということを引き受けていくための足掛かりになればなと思っています。いつまでも「責任」から逃げるわけにもいかないので。

2024年はプライベートを改善させる行動が必要なんでしょう。

正直、私は行動が大嫌いです。常に「うずくまって泣いていたら、どうにかなってほしい」と思っています。

でも、とりあえず、なにかしら行動してみました。だから、せっかく行動したんだから、2024年は何かが好転してほしいなあとは思っています。

次に世界の話をしてみます。
2021年始に、こんな書初めをしました。

当時の私は、こんなことを思っていました。

2020年は色んな事がありました。間違いなく後世からはターニングポイントの年として見なされるでしょう。歴史的な評価は後世の人間に任せるとして、私からすると、冷戦構造の終焉から30年ほど語られてきた「大きな物語」が終わりを迎え、新たな「大きな物語」が語られるスタートの年だったと思います。

それ故に、今後10年程の世界は、コロナが終息したとしても、新たな「大きな物語」が語られるまでは、不安定で不透明で、個人も国家も彷徨い続けるのだと思います。

2023年を振り返ると、この見立ては間違ってなかったなと思います。

そして、2024年は選挙が多く、いろんな混乱が起きると思います。

しかし、ポスト「冷戦終結後」の世界が、どの様な世界になるのかを、かなり規定する出来事が起きるとも思っています。

つまり、誰が次の時代の勝者で、誰が次の時代の敗者なのかが、うっすらと見えてくるのではないでしょうか。

そして恐らくですが、冷戦終結後の明確な勝者だった西側諸国にとっては、かなりの試練の年になると思います。

試練の内容も、戦争とかそういう武力的な物ではなく、自分達が信じていた価値を踏みにじられる様な物ではないかと思います。

道義の喪失・自信の喪失・世界に対して語りかける言葉を持てなくなるという物ではないかとも思っています。

そう。かつて共産主義者たちが冷戦終結時に味わった苦しみと同じ物です。

なので、我々は大変な時代を生きる事になると思いますが、だからこそ市井に住むあらゆる人への敬意がおきてほしいのです。

現代の言葉は、市井に住む人々を細かな属性で分割していき、その細かな属性ごとに社会への怒りを表明するようなものが多いです。

それは間違いではないと思います。不当な扱いはされるべきではないのですから。

しかし、あまりにも市井の人々を細かに分けすぎて、包摂する事が出来てないのではと思います。

皆が怒りを表明して、いろんな運動が起きて、いろんな人が取り上げて、いろんな人が問題提起して、いろんな政策が打ち出されているのに、皆が「自分は、この社会に包摂されてない」と感じているように見えます。

自分が包摂されてないと、皆が感じる社会は、とてつもなく脆弱な物だと思います。

だからこそ、もう一度、細かな分割ではなく大きな言葉・全体への敬意という物を取り戻してほしいのです。

市井に住むあらゆる人々への敬意がある社会は、混乱の時代でも踏みとどまれると信じているからです。

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