2021年は、粛々と生きる事が肯定される世の中になってほしい。

明けましておめでとうございます。今年も気が向いた時に駄文を書き連ねていこうと思います。

2020年は色んな事がありました。間違いなく後世からはターニングポイントの年として見なされるでしょう。歴史的な評価は後世の人間に任せるとして、私からすると、冷戦構造の終焉から30年ほど語られてきた「大きな物語」が終わりを迎え、新たな「大きな物語」が語られるスタートの年だったと思います。

それ故に、今後10年程の世界は、コロナが終息したとしても、新たな「大きな物語」が語られるまでは、不安定で不透明で、個人も国家も彷徨い続けるのだと思います。

なので、専門家でも何でもない私が予想できる事などないのですが、私が2021年以降の世界に望むことは「粛々と生きる事が肯定されてほしい」と言う事です。

私が生きてきた30年ほどの人生を考えるなら、「あなたは特別だ」「皆が特別で、創造的な仕事に就ける」「人生は常にハッピーで納得感にあふれてなければならない」「何歳になっても、学び続け、進化し続けよう」という「物語」が世界中で語られ続けていたと思います。

しかし、圧倒的多数は凡人だし、創造的な仕事の数は限られています。人生は、常にハッピーに過ごすにしては、あらゆる事が起こります。何歳になっても学び続け、進化し続けるのは終わりなきレースを強制されているような物です。

しかしながら、今回の1件で明らかになったのは、そういった凡人で非創造的な仕事についている多くの人々が、出勤し続ける事で世界は回っていたと言う事なのではないかと思います。

私は生産技術職ですので、多くの現場の人たちと働き、緊急事態宣言下も毎日工場に出ていました。もちろん「輪番制にしてくれよ」とか「なんで出勤しなきゃいけねーんだ」とも思っていましたが、同時に「自分達が出勤する事で、世界や社会を回しているんだ」というプライドのような物も持っていました。

しかしながら、マスメディアにせよウェブメディアにせよ、「日本はDXが遅れている」とか「これを機に業態を一気に変えるぞ」とか「もっと創造的な仕事を増やし、新時代に適応せねば」という話ばかりだったと思います。

私は今でもそれは違うのではないかと思うのです。

本当は「社会は、日々の業務を粛々とこなしている人達こそが、真に支えているんだ」「そういった粛々とした人達が報われる世の中にするべき」と話をするべきだったと思います。

今回の騒動はまだまだ続くでしょう。
最初に述べたように私達は、新たな「大きな物語」が作られる最初の段階に立っています。どんな物語が語られていくのかは解りませんが、後世の人間から「2020年を境目にして、粛々と生きる事が最も気高い行為と見做される様になったんだよね」と言われる様な方向に行ってほしいと強く思います。

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