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大きすぎるiPhoneが手に余る

中古市場では現在は発売されていない小型iPhoneが人気だそうだ。

このニュースを目にして、私は驚いた。

こんなにも当たり前のことに、世間は気がついていなかったのか!と。
iPhone SE を愛用している私にとっての疑問をまとめてみました。


巨大化が止まらないiPhone

年々、大型化するiPhoneやスマホ。小型化が進む半導体やカントリーマアムとは対照的なスマホ開発の潮流に常々疑問を感じていた。

大型化したスマートフォンは、能力こそ飛躍的に進化を遂げてはいるのだが、その大きさはズボンのポケットに入れればプロテクターのように服の厚みを増し、プロテクターとして心の臓を守ろうにも胸ポケットに入れることができない。

安いスマホホルダーに固定してみれば、スマホの重さに耐えきれずアームが見事に曲がり、お辞儀をするように画面が下を向く。ああ、賢くなったスマホは姿勢も謙虚だなあ、と一流のスマホも実るほど頭を垂れる稲穂のようになってしまうのだ。

裸バキバキスマホか重防備のスマホか

世間を見渡せば、iPhone愛好者たちのスマホ画面はバキバキに割れている。ガラスや金属で加工されたiPhone本体はさらりとした手触りで心地よいのだが、時に手からスルスルと逃げていき、うなぎを素手で掴むような難しさがある。

しかし、世のiPhone愛好者たちは割れた画面を少しも気にすることなく、普通に利用したり、人に画面を差し出したりしている。スマホ画面が割れていることは当たり前のようだ。バキバキ画面のスマホを堂々と愛用する姿は「バキ堂」という言葉で定義しようと思う。

スマホの割れた画面は今の時代、もはや個性であり、表現の一つだ。ダメージ加工やエイジング加工は服や家具、フィギュアにとどまることなく、スマホにも行われているのだ。

だが、バキ堂は全てのスマホ愛好者が求めているものではない。スマホには一切の傷をつけまいと、スマホを優しく包み込む手帳型のスマホカバーを利用している人も多く存在している。両手を使って表紙をめくるような動作は一手間かかるのだが、両手を使うことで落下を防ぐ目的があるのか、初めから片手で操作することを諦めている人たちなのか、真相を知ることはできない。

ここに、大型化するスマホの要因を理解するヒントが隠されていると私は思う。

視界の悪さを端末の大型化で解決

スマホが普及し、老若男女問わず、日本の成人なら1人1台が当たり前の世の中になった。40代以降の方には、頑なにガラケーを使い続けているレアキャラもいるが、その年代の方頭に外したメガネをかけ、老眼にピントを合わせるようにスマホを前後させている、という光景はよく見られる。

文字が小さくて見えにくいけど、らくらくフォンを使う年代ではない、とスマホ購入層の多くが思うようになった今。文字表示を大きくするのではなく、端末自体を大きくした方が何かと便利だろうということで、スマホの大型化が進んだのだろう(いい加減な解釈)

卵が先か、ニワトリが先か、需要が先か、供給が先か、スマホの大型化が先か、スマホカバーの台頭が先か、老眼世代も、そうでない世代も、なんだかんだスマホで動画を見たり、イラストを描いたり、ゲームしたりするのに便利だということで、どうせ買うなら大きいスマホだ、わっしょい、と需要も供給も右肩上がりになったのだ。

ドデカスマホカバーが一部で流行

そして、若い人たちの中には小型化を進めるテクノロジーを嘲笑うかのように、とてつもなく大きな装飾をつけている人たちもいる。
大きいスマホはカワイイし、映えるのだ。
必要以上に大きなスマホカバーをあてがい、文庫本くらいになった大きさのスマホを首から下げている人もいる。

若者はシリコン製のスマホカバーを、中年層は手帳型のスマホカバーを利用し、物理的なカードを一緒にしまい込むなどしてスマホを肌身離さず持ち歩いている。

こうして技術者たちの叡智の結晶を無効化するような重さと大きさのスマホが出来上がり、少しだけスマートさが失われたスマートフォンが広く利用されている。

偏見かもしれないが、アンドロイド端末利用者は手帳型のスマホカバーの利用率が高く、画面は割れていない。iPhone利用者は薄手のスマホケースで画面バキバキか、夢かわいいドデカスマホケースで画面バキバキである。

シン・イノベーションのジレンマ

イノベーションのジレンマとは画期的な製品を開発したが故に、それに変わる新しい新製品が作れなくなってしまうことや、新しいニーズに応えられなくなってしまうようなことを表す経営学の用語だ。

スマホの世界では、身につける小型のスマホ、パソコンよりも手軽なタブレットと棲み分けができていた。ガラケー時代のスマホ、スマホやパソコン時代のタブレットと当時でいえば市場が変わった破壊的なイノベーションであったといえよう。
しかし、時代が進むにつれ、市場ニーズや技術の進化とともに持続的な技術開発によって、スマホの大型化、あるいはタブレットの小型化が進んできた。

以前のスマホとタブレットの棲み分けから、時代の流れでその空白の領域をお互いに侵食し合い、大型のスマホと小型のタブレットという重複するゾーンが生まれてしまった。結果的に、私自身も、どちらを選択すべきか決めかねている。

流行は繰り返すというが、スマホ大型化は飽和状態で大きいものから小さなものを求めるほうへ流れが変わっているのかも知れない。さらなる大型化を求める人はタブレットのような端末を使い始めるのだろう。
多機能を兼ね備えた電化製品が売れるのか、機能を限定したシンプルな電化製品が売れるのか、そこに着地点があるように思える。
市場では、すでにスマホに変わるイノベーションを求めているのかもしれない。

中古iPhone「片手サイズ」販売急増 新シリーズ大型化で:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB04C4K0U3A001C2000000/

あとがき


シン・イノベーションのジレンマと銘打って、蛙化現象のように、大型化するスマホが急に嫌になるという着地にしたかったのだが、うまくいかなかった。

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