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ネガティブモンスター誕生から脱却まで(前編)


はじめに

今回の記事に関しては、内容が暗いですし読んでいてイライラするかもしれません。明るい記事が読みたい方はここでページをそっと閉じて下さい。(または『ネガティブモンスター誕生から脱却まで(後編)』を読んでください)

当時、私には『温かい家庭を作りたい』という強い憧れがありました。
私の両親は夫婦仲が悪く揉めに揉めて離婚。毎日が夫婦喧嘩で、怒鳴り声や物が飛び交い、時に棚のガラス扉がガシャンと割れる。その中で1人泣きながら食事をするなんてザラでした。

そのうち『なんで2人は結婚して私を産んだんだろう。産まなきゃよかったのに』と思うようになります。

これが私という人間の基礎になります。

そして、私には歳の離れた兄と姉がいますが、2人は私を可愛がってくれたし守ってくれた大好きな人達です。
そんな兄が結婚して義姉ができました。義姉ははっきりとした物言いの人だけど愛情深く、自分の考えを持っている1本芯の通った人でした。かっこいいと思ったし、昔も今も大好きです。

でも母は違った。当時中学生の私に義姉の愚痴を言って聞かせ続けた。おそらく、母にとって義姉は“都合のいい嫁”ではなかったのでしょう。

『都合のよくない嫁は悪い嫁扱いされてしまうんだ』

『私なんて産まれてこなければよかったのに』という自己肯定感の低さ。

『相手の都合のいい人間にならなければ嫌われる』という他人軸な考え方。

この2つが、結婚後の生活を苦しいものにさせていきます。

家族経営の後継長男の妻に


居心地の悪い実家から就職を機に飛び出した私が夫と出会い結婚。当時の私は脳内お花畑。

『専業主婦でもいいし、やりたい仕事があればやってもいいよ。(いずれは農家を一緒にして欲しい)』と言われていた私。()内は完全に耳に入っていなかった!笑
『自由なんだやったー!』と、家族経営の農家の嫁になることをとっても軽く考えていました。

結婚してしばらくは、軽い気持ちで時々農作業を手伝いに行く生活。妊娠を機に専業主婦生活が開始。

そして産後。

周囲の方から『いつから農家の仕事始めるの?』『何ヶ月から子供預けて働くの?』とまるで農業をやるのが当たり前のように言われ始めます。

ご近所のお年寄りからは『お皿1枚洗うだけでも、ご飯支度しに行くだけでも役に立つんだから行きなさい』『農家はそういうものだよ』と頻繁に言われる生活。


え?子供まだこんな小さいのに?何ヶ月もまともに寝てないのに?

と、周囲の言葉に心から納得はできていなかった。
○○すべき、○○であるべき、○○だから仕方ないって考え方、本来はあまり好きではありません。

なのに

『“でも”、そういう環境に飛び込んだのは自分だし、最初に農家がどういうものか確認しなかった自分が悪いし』

『両親にいい嫁だって思われたい。いい妻だって思われたいんだもんね。なら“仕方ない”。』

“だって”納得してないの、私だけだし。

危うい。危ういですよねこれ。

結局、子供と過ごす時間は欲しかったので、毎日子供を連れて昼食の支度をしに行くことにしました。


前回の記事に書いたように、一度は『農家やる!』って決めたんです。あの気持ちに嘘偽りはありません。

でも上記のようなことが続いたわけです。

そうしてしまったのは紛れもなく私自身です。

農家をやると決めた後。

蓋を開けてびっくり。まさかのお給料0円。

え?え??ここ日本?お給料って、もらえるのが当たり前じゃないの⁉︎農家やるって決めてから言われるのこれ!

夫からは『ごめん』の一言。夫のお給料も当時はびっくり価格でした。

夫は夫で事情はあるようでした。両親が反対する中で野菜作りを始め、当時は売上的に結果が出せていない状態だったらしいのです。トップダウンの象徴とも言える家庭&職場環境において、私に給料出せとは言えなかった模様。

正直、納得なんていかなかった。だって当時は9時〜17時の週6日勤務。それで0円とはこれいかに、、、おかしくないかこれ、、、

なのにだ

『“でも”働く前に確認しなかった私が悪いよな。いい嫁だと思われたいんだもん給料出せなんて怖くて言えないよ。言えないなら“仕方ない”。』

出たよまたこの思考。

『私の今の働きは価値0なんだ。もっともっと頑張って、認めてもらえればお給料もらえるかもしれない。我慢しよう』

“だって”納得してないの私だけだから。

そうして労働時間も自ら延ばし、農作業もフルでしながら、野菜ソムリエやSNS活動で森農場のPR活動もしました。

自分なりに頑張ったけれど、丸5年、お給料が発生することはありませんでした。

(現在は交渉の末、未払い分も含めてしっかりいただいています)

そして、長男の嫁は割と通る道『同居』。


私は元々、仕事とプライベートは分けたいタイプ。
家族と一緒に仕事をしているわけだから、プライベートまでは勘弁したいのが本音でした。会社の上司が、帰宅しても居る状態と思ってもらえたら分かりやすいだろうか。

両親の老後のことは考えていたので、最初は別居で高齢になったら同居できるように部屋は少し多めに建てたいね、と夫とは話していた。

ところがそんな折に兄弟からの打診。まとめると『こちらは両親から干渉されたくないし老後の面倒も見たくないから早いうちから同居して』という内容だった。

夫に話したけれど、期待した反応は返ってこなかった。

納得いかなかったし、腹が立った。この時ばかりは夫のことも憎かった。

なのにまただ

『私が首を縦に振れば全て丸く収まるんでしょ。もういいよそれで。』

そう夫に言った翌日、同居が決まった。

『なら“仕方ない“。”だって“いい嫁、いい妻と思われたいんだもんね。』

”だって“納得いってないのは私だけだから。

そうして段々と、農家をやると決めた当初の気持ちは薄れていくのです。

自己肯定感激低、豆腐メンタル、他人軸のフルコンボ。

はい、ネガティブモンスター、一丁あがり!なわけです。

その後(まだあるんかい)


農場に新人のアルバイトが入ることになります。これが私にとって1つの転機となります。彼女は年も近く、農業は未経験。コミュ力が高いのが印象的でした。

両親と一緒の作業ではとてもよく気が付きよく働いていたらしい彼女。

がしかし、初めての私と2人での作業。繊細な作業だったので細かく説明していると、腕を組み私を見下ろしながら『まだ説明あんの?w』と言ってきた。

おや、おやおや。

その後もおや?と思うことがポツポツと出てきました。みんなの前では私にも朗らかに話しかけてくるのだが、、、


夫に言うと、心配しながらも『大袈裟じゃない?』との返事。

義母からは『あなたがうまくやりなさい。あなたが弱いからでしょ。』とのお言葉。

ネガティブモンスター化していたし、真夏に休みなく肉体労働。これまでの人生で出会ったことのないタイプ。エネルギッシュに対処する気力は湧いてきませんでした。ガス欠です。

彼女からは、身に覚えのないことへの指摘もあり、身に覚えがないことを説明しても『そんなわけないから』と一掃でした。ごめんと言うしかなかった。

重ねて『一回お酒でも飲みながら腹割って話し合わなきゃダメだね』と言われたんです。
当時の私には、彼女に腹を割り“合う”気持ちがあるとは思えませんでした。

諦めにも似た気持ちが湧いてきたらなんだか泣けてきたわけです。

すると彼女は『ずっと病んでるんじゃないかと思って心配してたんだ。大変だよねうんうん』と言って私の頭を撫でたのでした。よしよしと。

何かがプツンと切れた。




『こんなにしてあげてるのになんで感謝しないんだ』
『こんなに頑張ってるのになんで認めてくれないんだ』
『こんなに苦しんでるのになんで守ってくれないんだ』


外では愚痴ばかり、家では泣いて怒ってばかり、夫にイライラをぶつけてばかり。

情けないし恥ずかしいですが、完全なる他責思考でした。

私今まで、何やってたんだろう。

みんなみんな大っ嫌い!!




、、、でもそんな自分が1番嫌い。



この記事では誰がいい悪いと書きたいわけではないんです。
これまでのことを『こんなに苦労してきたんです』と美化するつもりもないし、私の事を理解してほしい、共感して欲しいなんて思ってないんです。

それぞれが、それぞれの正しさの下に生きていただけ。それを私自身がどう受け取るかの問題だっただけ。
情けない話だけれど、この歳になるまで気付けなかった私が愚かだったと思います。

そして本当は心の奥の奥にはちゃんと『私はこうしたい』『これがしたい』『こんな風に生きていきたい』って思いがちゃんとありました。そこに無理やり理由をつけて、他人のせいにして、押し込んで蓋をしていた。


自分を苦しめていたのは、紛れもなく自分自身でした。


このままでは自分がダメになるなと思った私は、まず自身を立て直すことに。頼れる人の力を借りて、自分を掘り下げ、向き合いました。

『ネガティブモンスター誕生から脱却まで(後編)』につづく。、

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