胡座(あぐら)が組めなくなった。 年末に体調を崩してから、しばらくホットヨガをおやすみしていた。そのあいだに、なんか、左足が抜ける感じがするなと思っていたら。 木の人形で関節が分かれていて、ゴム紐で繋がれているアレの脚を、ビヨーンと伸ばして、もどすべき場所から外して戻しちゃったあの感じ。調べるに「変形性股関節症」が近い気がする…日常生活にまだ支障のない程度だが、胡座が組めない。ヨガにいっても、なんともマヌケな感じ。なんとかしなければ… 薬指を怪我してから、薬指の重要性に
朝は、女性専用車両に乗る。 通勤時間帯のため、ギュウギュウのラッシュだ。 でも、女性ばかりだから、そんなに息苦しくもならない。が、たまに、駅についてさらに人が乗車してきても、ガンと動かない人がいる。人が増えたから、すこし押してしまったら、頑なに押し返してきたりする。 ご自分の意見も、なかなか曲げられないタイプの人なんだろうなあと、ぼんやり思ったりする。(違っていたら、ごめんなさい) まあ、些細な行動はひとつとっても、性格はでるものだ。 自分が高校生のときは、女性専用車両
運動は苦手である。 中学の時に軟式テニス部に所属はしていたけれど、後半はずっと更衣室でおしゃべりばかりしていたし、高校はなぜか、なんとなくの流れでマネージャー業なんかやってしまったが、ついぞ最後までルールもあまりわからないまま、ぼんやりとした部活生活を過ごしてしまった。。。 運動部の友人たちには、Pちゃんは運動が苦手とずっと言われ続けてきたから、まあ事実苦手だし、やろうとも思わないまま、大人になった。 しかし、こどもがうまれて、公園で家族で遊んだりする時間が増えてきたと
最近のこどもたちは、だいぶ小さいときから「将来の目標」「何になりたいのか」「明確な目的をもって学校選びを」と言われ、教育されているように思う。 無目的になんとなく学校を選んだり進学先を決めたり、もちろんそんな、ぼんやりした進み方より、明確な目的をもって進むのは、大変よいことなのだろうと思う。 しかし、そんなこと今から言われてもと思うだろうなぁとも思う。10代のときなんて、自分「らしさ」がどこにあるかなんて、全然わからないのが当然なのだ。 私自身も自分の進みたい道がわから
年があけた。 今年はムスメの受験もあり、長い年末年始のお休みだというのにどこにもいけない。母がよく、こどもの受験が気が気でないと言っていたが、当事者になりその気持ちはよくわかる。自分ではどうしようもないのに、ドキドキだけしなければならないのだ。 昔、映画「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」という映画で、主人公の少年が「人工衛星スプートニクに乗せられて死んだライカ犬より、僕のほうがまだ幸せだ」と空を見上げて思うのだが、こんな風にドキドキだけしなければならないとき、これの真似をし