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ウクライナのドネツクから避難した人、避難できない人①

2月21日、ロシアのプーチン大統領は、ウクライナ東部の「ルガンスク人民共和国」と「ドネツク人民共和国」を承認。「平和維持のため」軍を派遣することに決めました。


ちまちまと訳していたドネツク州の人々の声を、中途半端ですがアップします。そこに住んでいる人々を踏みにじる、ロシアとアメリカの「パワーゲーム」に怒りとやるせなさを覚えます。

そもそも「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」とは

ざっとまとめます。2014年、キエフで親欧米派による「マイダン革命」があり、親ロの大統領ヤヌコヴィッチが失脚。親ロのクリミアで、「選挙」でクリミア自治共和国が成立。ロシアに編入しました。

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それに呼応する形で、ドネツク州のドネツクで親ロシア派のデモ隊が議会を占拠。「ドネツク人民共和国(DPR)」の建国を宣言しました。ついで「ルガンスク人民共和国(LPR)」建国を宣言。それぞれ、州の一部を武力で占拠しました。(地図のようにべたっと全体を占拠しているわけでなく、飛び地での占拠です。つまり、ウクライナ政府との戦線があちこちにあります)

排除しようとするウクライナ政府軍と激しい武力衝突が起こりました。2014年9月、停戦のための「ミンスク合意」が締結されます。しかし、DPR・LPRとウクライナ政府軍はともに停戦合意をやぶり、2015年ドネツク空港で激戦が起こりました。その後、紛争は散発的に続き、「ミンスク合意」は失敗。停戦交渉は、現在、フランス、ドイツの仲介によりロシアとウクライナの四カ国で続いています。ただし、ミンスク合意は合意ではないと、ウクライナは交渉のテーブルについていません。

この間ロシアはDPR・LPRの「人民共和国」を援助。ただし、国家としては承認していませんでした。しかし、軍事援助、さらに、そもそも国家運営などできない「武装カルト」の代わりにインフラや年金などの援助をしています。なお、アメリカはウクライナ軍に軍事援助を続けています。

つまり、「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」は、国の統治機能などなく、ロシアの援助がなければ「国民」の生活など支えることができません。通貨はロシアのルーブルです。それでもロシアが国家として承認をしていなかったのは、それなりに国際世論に配慮していたからでしょう。

ドネツク住民の悲痛な声

「ドネツク人民共和国」で2月18日、ウクライナ軍が攻撃を仕掛けてくるとして、住民の避難が始まりました。

私は、避難をする方々がどのような所に避難するのか、帰ってこれるのか心配で、ネットで調べていました。なかなか日本語や英語系の記事では、「住民の声」が見つかりません。ようやく、ロシアの大衆紙『モスコフスキー・コムソモーレツ』のサイトで記事を見つけたので、ご紹介します。TOP画像は、こちらのサイトの写真を拝借しました。

https://www.mk.ru/politics/2022/02/20/shkolnica-iz-gorlovki-rasskazala-ob-evakuacii-boyus-chto-ne-vernus-domoy.html

ドネツク人は戦火に吹き飛ばされて生きている

Школьница из Горловки рассказала об эвакуации: «Боюсь, что не вернусь домой»«Никто не знает, в какое время прилетит снаряд в дом»

ゴルロフカの女子高生が避難について話しました: 「私は家に帰れないのではないかと心配です」「砲弾がいつ飛び込んで来るか、誰にもわかりません」
Ситуация с эвакуацией жителей ДНР и ЛНР в соседние области России никого не оставляет равнодушным. Людям пришлось сорваться с родных мест и переместиться в непривычные для них и не во всем комфортные условия, причем на неопределенный срок. Однако это все равно куда лучше, чем рисковать жизнью под обстрелом.
DPRとLPRの住民がロシアの近隣地域に避難する状況は、誰もが関心を持っています。 人々は故郷から離れて、異常な状況下で、そして、いつ終わるか分からない逃避行をせねばなりません。 しかし、命を危険にさらすよりもずっとマシでした。

«МК» побеседовал и с теми, кто по каким-то причинам не стал уезжать, и с теми, кто находится сейчас в эвакуации.
「MK(本誌)」は、何らかの理由で街を立ち去らなかった人々、そして現在避難している人々と話をしました。
Как выяснил «МК», очень многие жители уехать отказались. А срываются с родных мест в основном те, кто боится за своих детей.
多くの住民は去ることを拒否しました。 一方、子ども達の安全を恐れ、故郷から離れる人々もいます。

逃げなかった人の声

– Все очень сильно раздули, эвакуируются только окраины, Донецк как жил так и живет! Эвакуируют по всей линии соприкосновения, на данный момент идет обстрел в районе Марьянки, – сообщил нам житель Донецка Кирилл.
「誰もが戦火に強く飛ばされて隅に避難している、ドネツクの住民はそのように生きてきました!(政府軍と武装派の)戦線となり、今も砲撃が続くマリアンカ地区から避難が続いています」と、ドネツクに住むキリルは語りました。

– Мы остались дома, – говорит Алена из Горловки. – В семье сейчас 3 человека. Сыну младшему 11 лет (старший женат и живет не здесь). Мужа не выпустят. Если уехать без него, то душа будет болеть...
「私たちは家に残りました」とゴルロフカのアレナは言います。「家族3人で住んでいます。 末っ子は11歳です(長男は結婚しここには住んでいません)。 夫はここから出られません。彼と離れて去ることなんて、心が引き裂かれます。できません…」Здесь у нас рядом много родственников, и они тоже не хотят уезжать. Соседи уехали потому что у них маленькие дети. Каждый день есть уезжающие. Сегодня еще тихо, но не знаешь, что будет через 5 минут. Все это как страшный сон...
多くの親戚がいる人たちも、ここを去りたくないのです。 でも、近所の人たちは小さな子供がいるので出て行きました。 毎日、人が去っていきます。 今日はまだ静かですが、5分後に何が起こるかわかりません。すべて悪夢のようです...

ゴルロフカってどんなところ?

ウクライナ東部、ドネツク州にあります。ドネツ炭田の中心地で工業都市、大学があり教育も盛んでした。

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この写真はwikipediaに載っていた、ゴルロフカにある「文化の家」の写真です。2013年、Nushtaev Dmitriy氏により撮影されました。2013年、まだゴルロフカが、戦火に巻き込まれることなく、おだやかな暮らしがあった頃の写真です。

そして、2014年4月、武装したデモ隊が警察署を襲撃。それから8年。親ロシアの武装集団である「ドネツク人民共和国」とそれを排除しようとするウクライナ政府軍の戦いの前線となりました。

避難者はどこへ

主にウクライナと接する、ロシア南西部のロストフへ避難しています。

В основном приходит информация о том, что эвакуированных людей размещают в неплохих условиях, хотя они и разнятся по степени комфорта. Кому-то в этом плане повезло больше, кому-то – меньше. Пансионат, да и даже детский лагерь ведь значительно отличаются, например, от таких объектов размещения, как школа или стадион.
避難者の状態は、人にも拠りますが、おおむね良好な状態にあるとの情報があります。幸運な人もいれば、そうでない人もいます。 保養地や子供用キャンプと、学校やスタジアムなどの簡易宿泊施設では大きく異なります。
Известно, что беженцев приняли, например, пансионат «Звезда» и лагерь «Спутник» в Ростовской области. В «Спутник», который расположен в селе Натальевка на берегу Таганрогского залива, в субботу прибыло три автобуса с жителями ДНР.
避難民は、例えば、ロストフ地域の「ズベズダ」保養地「スプートニク」キャンプ場に受け入れられました。 土曜日、タガンログの海沿いスプートニクに、DPRの住民を乗せた3台のバスが到着しました。
Сообщается, что среди них в основном дети и пожилые люди. Есть информация, что эвакуированных разместили также и во Дворце спорта в Таганроге.
それらのほとんどは子供と高齢者であると報告されています。 避難者はタガンログのスポーツ宮殿にも配置されたという情報があります。

『ズベズダ』保養地

なんとなくソ連感がある保養施設です。

「スプートニク」キャンプ場

子ども達のキャンプ場です。勉強したり、課外活動をしたり一年中、子どもたちで賑わいます。でも避難者を受け入れたため、現在、閉園しています。


しかし、このサイトに写真は掲載されていなかったのですが、スポーツアリーナにベッドを並べた簡易宿泊所も設置されているようです。

あなたは、こんなホームレスのような生活をしたいですか?


Как видно по выложенным в Сети фото, на спортивной арене стройными рядами стоят раскладушки. Жительница Макеевки Валентина комментирует иллюстрацию:
ウェブに掲載された写真からもわかるように、スポーツアリーナには折りたたみベッドが整然と並んでいます。 マケエフカの住人であるバレンティーナは、写真について次のようにコメントしています。
На что другие ей замечают: «Ну, можно было и остаться. Правда, никто не знает, в какое время прилетит снаряд в дом».
だれかが、言いました。「まあ、あなたはとどまることもできたでしょうに。確かに、砲弾がいつ着弾するかは誰にもわかりませんが」
«Что вы там все делаете? Неужели вы хотите вот так жить, как бомжи?».
「あなたは、そこで何をしているの? あなたは本当にこのようなホームレスのように生きたいですか?


続きます。(話し言葉は訳すのが難しくて時間がかかっています)



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