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精神的にキツイとは

『精神的にキツくて』
それを理由にしてもよくなったのはここ10年くらいだろうか。

時代が変わったんだね。

気持ちは自身でコントロールするもの

そんな時代はどこにいったんだろう。
用意されたテキストをこなす、用意された物を組み立てる。
そんなことを繰り返してきた人は『さぁ、どうぞ自身で考えて!』の場にすこぶる弱く。
『いじめられた』
『無茶ぶりされた』と言う。

その割に人の提案には
『それでは時間が足りない』
『もっとこうすべき』と突っ込んでくる。
自分は偉く素晴らしい人だと言わんばかりに自信満々に話してくる。

そんなときこちらは相手にしないだけ。
『そうだねー』と。
自分の機嫌は自分で取りたいから。

精神的にきつい理由は人のせいにするから

〇〇がこう言うから
〇〇にこう思われるのがイヤで

つまり、自分自身はないんです。
誰か、が評価の基準で自分がなりたい自分は描いていない。

だから一生ツライ。
だから一生認められない。

逃げて逃げて逃げ、中身がないからまたツライ。
何年も何年もそのループ。

じゃあどうすれば?と思いますよね。

精神的にという理由を手放す

一括りするのに便利な言葉を手放すともっと見えてくる。

可愛い動物が
ウサギやパンダの人もいれば
サイやカバ、ワニが可愛いと思う人もいる。
可愛いは便利だけど表現をのっぺりさせる。

では精神的にキツイのはなんでだ?
〇〇さんの言い方が苦手
→なぜだろう
いつもキツく言われるから
→なんでいつも言われるんだろう
なおっていないから
→なんでなおらないんだろう
チェックが甘いから
→なんでチェックが甘いんだろう
ギリギリにチェックするから
→なんでギリギリ?
時間がないから

じゃあ早くチェックしたらいいんじゃないか?
自ら怒られにいって精神的にを理由にされたらみんな身が持たない。

一歩の努力ができない人が増えている。
一歩の思考ができない人が増えている。
それを強いることを守ろうとする社会がある。
それでどうやって経済成長するんだろう、、
それでどうやってこどもを増やすんだろう、、
それでどうやって変えていくんだろう、、

精神的にキツいとみんなが言い出したら何も回らなくなる。

それでもみんな生きていける?
わたしは無理だよ

時代がかわっても変わらない
頑張り続けるみんなにエールを送りたい!
フレー!フレー!頑張る人!
負けるな!負けるな!頑張る人!

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